Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方
酒田と鶴岡の街並み
~庄内の二大都市を歩く~
2010年10月16日、山形県庄内地方を訪れました。米どころ庄内地方は稲刈りも終わり、間近に迫る冬の手前のさわやかな晴天のもとにありました。港町として栄えた商業町・酒田と、城下町・鶴岡。互いに似た規模ながら異なった表情を見せる町並みを楽しみました。
|
訪問者カウンタ ページ設置:2015年5月12日 |
|
|
港町酒田 ~日本一の大地主の暮らした商業町~ 山形県の日本海沿岸は庄内地方と呼ばれます。山形県内陸を縦貫してきた最上川が最上峡を経て海に達する一帯は新潟平野ほどの規模ではありませんが、広大な沖積平野が形成されており、我が国における有数の穀倉地帯となっています。2010年10月中旬、稲刈りはすでに終了し、間近に迫る冬の前の束の間の晴天の下、到達した庄内平野には、虹がかかっていました。早朝に時雨が降ったようで、ここでも秋から冬への移ろいを感じさせました。徐々に明るさを増す空は、秋のすがすがしさにあふれていました。
山形道を北上し、最上川河口の酒田へと到着しました。市役所前には大獅子が展示されていて、同市のシンボルとされているようでした。悪病・災害除けの信仰の対象として、奉納行事や玩具のモチーフとして欠かせない存在であるようで、1976(昭和51)年10月に発生した酒田大火後の復興記念として作成されたもののようでした。市役所に隣接する史跡・旧鐙屋は、酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代に大いに繁栄し当時の海上流通の発展に寄与していました。日本永代蔵に登場することでも知られます。1672(寛文12)年、河村瑞賢によって刷新されたいわゆる西廻り航路によって、酒田をはじめとする日本海沿岸の港は上方と直結し、商業町としての成長していきました。酒田はまた最上川舟運の拠点としての地の利もありました。 マリーン5清水屋の北の通りを西へ進み、酒造会社の蔵造の建物や旧料亭「山王くらぶ」の豪奢な佇まいを確認します。1895(明治28)年建築の旧山王くらぶは、玄関の唐破風状の意匠が目を惹くその優美な料亭建築が、往時の酒田の繁栄を物語っているように思われました。道は徐々にゆるやかな上りとなって、海岸に発達した砂丘の地形が実感されます。その先には、日和山公園があります。酒田の成長の礎となった廻船模型が帆をあげてたり、旧灯台が移築されて穏やかな表情を見せていたりと、酒田の町をゆるやかに俯瞰しながら歴史を感じることのできる緑に満ちた憩いの空間です。日和山とは、港の高台にあって潮流の様子を眺めた場所にしばしば付けられた名称です。最上川に沿って掘りこまれた酒田港を眼下に、緩やかに展開する風景は、この町の歩んだ時間そのもののように雄大でした。
日和山公園からは中心市街地北の旧寺町界隈を経て北へ歩き、JR酒田駅にほど近い場所にある本間美術館へ向かいました。本間美術館は、庄内地方の大地主であった本間家が収集した美術品などを展示・収蔵していまして、敷地内には本間家四代光道が、1813(文化10)年に失業対策事業として築造された日本庭園の鶴舞園」と純和風建築の「清遠閣」もあって、美しい庭園美を楽しむことができるようになっています。本間家は第二次世界大戦後の農地改革によって資産の大半を失うまでは日本一の大地主でした。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」という歌にも、同家の栄華が偲ばれます。 中心市街地からはやや離れた位置にあるJR酒田駅前を経て、中心終点街である中町界隈へと進みました。駅前は空閑地が多い印象で、駅前に進出した大手スーパーマーケットの跡地の再開発が計画途上であるようでした。中町地区は先に触れた大火で大きな被害を受けたため、県と市とで一体的・集中的な復興計画が実施され、復興したという来歴を持ちます。緑地や幅員を確保した街路、スレートのような瓦を側面に配したアーケードなど、防災に配慮した町並みが印象的でした。中町商店街の南には本間家旧本邸があって公開されています。もともと庄内藩主酒井家のため、幕府の巡見使宿舎として本間家が建設したため武家屋敷としての様式を持った建物です。その後本間家が拝領し、本邸として使用してきました。武家屋敷と商家造りが一体となった、珍しい様式の建物は、酒田が豪商の台頭と活躍によって繁栄した歴史を余すところなく伝えているかのようでした。
酒田港へと流れる新井田川河畔にほど近い酒田町奉行所跡の公園を一瞥しながら、架けられた木橋を渡って、酒田でも有数の観光地として知られる山居倉庫へ向かいました。1893(明治26)年に建設された山居倉庫は、日除けのために植えられたケヤキ並木がつくる美観や、米どころ庄内を象徴する存在として注目されています。白壁・銅像造りの倉庫は9棟あり、現在でも米の貯蔵庫として利用されているところに凄みを感じます。土蔵と屋根の間を二重屋根にすることで隙間をつくり、内部の湿気を防止するといった工夫も見られます。 近現代の産業資産と呼ばれる建造物群はその後の時勢の変化により使用されなくなったり、ギャラリーなどの別の目的に転用されたりすることが多い中、現役で地域の産業を支えている山居倉庫はどこまでも美しく、頼もしい存在であるように感じました。
酒田市街地を日通り巡った後自家用車に再び乗って最上川を渡り、市街地から対岸の飯森山公園に立ち寄りました。高台から眺める市街地は、最上川の流れに寄り添うように輝かしい姿を見せていました。 鶴岡城址の周辺 ~城下町として発展した地域の姿~ 庄内地方は米どころであるというほかに、地域的には大変興味深い特徴があります。それは、酒田と鶴岡という、似たような規模の中心都市が域内で並立していることです。我が国においては、単一の中心都市が地域に大きな影響を持つことが一般的です。近隣の地域では、福島県会津地方における会津若松や、新潟県中越地方における長岡などがその例です。この酒田と鶴岡、ともに影響しあうライバルというよりは、互いに異なる機能を擁する相互補完的な関係であるようです。 庄内藩の城下町として政治的な中心地として特化した鶴岡と、港を擁し、商業と流通の面を強化した商人の町酒田。先にお話しした酒田有数の商人であった本間家が藩主酒井氏のために建物を建設し後に拝領したことにも見えるように、酒田と鶴岡は庄内地域において役割分担をしながら、今日に至っているようなのです。藩主側も商人町に対して過剰に干渉せず、また商人町の側も武士の側を立てて町の存立を図った、そんな歴史的な背景が垣間見られる関係のように思います。
城跡にあたる鶴岡公園の一角に車を止め、散策を開始します。国指定史跡である藩校致道館(ちどうかん)は、1805(文化2)年に開設され、東北地方では唯一現存する旧藩校の遺構です。風格を感じさせる表御門や聖廟、行動などの建物が往時をしのばせます。藩校時代は現在の敷地の倍の広さであったようで、文化会館や産業会館のあるあたりまでの広がりであったそうです。個々の長所を伸ばし、自主性を重んじた教育方針は、質実剛健の教育風土の礎となりました。 市役所の西、お濠に面した場所に佇む擬洋風建築が目を惹きました。1915(大正4 )年に大正天皇の即位を祈念して建設された「大宝館」です。物産陳列場として使用された後、市立図書館を経て現在は高山樗牛や松森胤保、横光利一などの地域の偉人の関連資料を展示する施設となっているようです。中央に配された独特の塔状の意匠が、入母屋の建物に程よく調和して、和洋折衷の巧みな風合いを構成しています。鶴岡城の本丸跡には、幕藩体制終結後も旧藩主を敬慕する人々の総意で1877(明治10)年に建立された荘内神社が鎮座しています。
鶴岡公園とその周辺には、近世や近代初期における魅力的な建造物が点在しており、また今日も市役所をはじめ多くの行政・文教施設が立地し、さらに濠や公園が豊かな緑地景観を形成していまして、城下町としての佇まいと現代都市へと飛躍した町の姿とを感じることができます。城跡を中心とした地域が地域を物語る魅力的な事物の存在から歴史ある町としての地域アイデンティティの拠り所となっているところは各地に存在していますが、鶴岡公園はその典型であるように感じました。鶴岡カトリック教会天主堂や旧風間家住宅丙申堂などを確認しながら、内川を渡って中心市街地へ歩を進めました。内川沿いの川端通りと一筋東のアーケードのある銀座通りはそれぞれ反対方向の一方通行となっており、市街地の集積性を感じさせます。本丸跡(荘内神社)正面から一直線に伸びるみゆき通りから再び鶴岡公園方向に戻り、歴史ある町の市街地散策を楽しみました。 夕闇が徐々に迫る中、公園の西側にある致道博物館(藩主酒井家の御用屋敷)を中心に移築された洋風建築物群(旧西田川郡役所、旧鶴岡警察署庁舎)に触れて、鶴岡の町歩きを終えました(博物館内の諸施設は時間外となり見学はできませんでした)。地域の政治の中心として豊かな歴史を刻みながら、その時々における多様な文化的所産を生み育ててきた鶴岡のほんの一端に触れるのみでしたが、その奥行きの深さにどっぷりと浸ることができた町歩きとなったように思います。
酒田と鶴岡の彷徨を通して、北前船による上方との交流によってもたらされた文化や財産、そして何より庄内地方全体に豊穣の実りを約束した土壌の存在が、ふたつの町に多様な文物を育ませてきたことを実感しました。それは藩政期、地域がそれぞれの創意工夫でそれぞれの故郷の資産を生かしながら「経営」してきた所産そのものであるとも言えます。地域創生が叫ばれて久しい現代にあって、その精神は注目に値するものであるのかもしれません。 |
このページの最初に戻る
地域文・東北地方の目次のページにもどる トップページに戻る
Copyright(C) YSK(Y.Takada)2015 Ryomo Region,JAPAN |