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中国山地を見つめて

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#6 吹屋の町並み 〜ベンガラに彩られる往時の面影〜

 石州瓦の赤銅色の家並みに朱色に染まった土塀にベンガラ格子が重なる町並み。銅を吹く場所という意味があるという吹屋は、中国山地、いや日本列島の中にあって、少々異質な風合いと雰囲気を感じさせる地域であると思われました。古来よりたたら製鉄など、金属との関わりが深い中国山地にあって、吹屋は有数の銅山を控えた鉱山町として地域の礎を築きました。ベンガラとは、化学組成的には酸化第二鉄を主成分とする、朱色を呈する鉱物由来の顔料です。水銀と硫黄の化合物であるいわゆる「朱」とともに、古くから染色に用いられてきた鉱産資源であったのだそうです。製鉄産業の本場である中国山地では、鉄の酸化物であるベンガラもまた自然状態でしばしば採掘され、土器や古墳の石室の装飾等に利用されてきたと推定されています。

 吹屋がベンガラの町として大きく成長し、全国に知られるようになった事情については多くで語られているところですね。吹屋の名を一躍有名にしたのは、銅や鉄の鉱石を採掘する際に副産物として大量に採鉱される硫化鉄鉱石を「緑礬(ろうは)」と呼ばれる結晶に変えてからベンガラを造り出すという人工的な技法が江戸期に考案されたことによります。以降、第二次世界大戦後にベンガラの生産が近代化されるまで、吹屋はベンガラ生産で大いに活気づいて、ベンガラをふんだんに用いた豪奢な町屋造りの豪商を多く生み出す原動力となりました。

集落景観

吹屋へ向かう途中の集落景観
(高梁市宇治町遠原付近、2007.9.1撮影)
吹屋

吹屋の町並み
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)
吹屋

吹屋の町並み
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)
吹屋

吹屋の町並み、郵便局付近
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)

 吹屋を紹介する多くの紀行文が、高梁市街地から吹屋へいたるまでの長い道のりと、狭隘な道路のことについて触れるところから始まります。吹屋あたりは中国山地はなだらかな表情をしていまして、石積みの上に集落や水田がたおやかに展開する風景はたいへんに美しいもので、吹屋への道のりはただ狭い道や山林が続くだけはないことだけではお伝えしたいなと思います。緩やかな勾配とはいえ、石を積んで平坦な耕地や住宅用地などを地道に造成してきた地域の歴史をも滲ませる風景は、中国山地をある意味では最も象徴する風景なのではないかなとも考えています。

 高梁川の支流である成羽川からさらに分岐する島木川の上流域に広がる準平原的な一帯に吹屋の町はその独特な景観を見せています。高梁市街地の石火矢町と同時期に「ふるさと村」として位置づけられ、1977(昭和52)年には岡山県下初の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並みは、ベンガラの鮮やかな色彩に包まれ、豊かな歴史性に満ち溢れているように感じられます。郵便局の建物もベンガラの町屋風にアレンジされていました。吹屋における弁柄元祖釜元のひとつである旧片山家住宅は、江戸寛政期(18世紀後半)建築で、平入形式の風格を感じさせる建物です。欅のベンガラ格子やなまこ壁、主屋の横に階段状に土蔵などの複数の建物が連接する造りもまた特徴的です。ベンガラ色は往時から流れた時間の変遷の中で穏やかな色合いを呈して丸みを帯びながら、重厚な町並みをいっそう深みのあるたおやかなものにしているようでした。
 

旧片山家住宅

吹屋・旧片山家住宅
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)
吹屋小学校

市立吹屋小学校(中央本館)
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)
吹屋俯瞰

吹屋・俯瞰風景
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)
吹屋俯瞰

吹屋・俯瞰風景
(高梁市成羽町吹屋、2007.9.1撮影)

 町並みから北へ坂を上りますと、現役の校舎としては全国最古級の歴史を持つという市立吹屋小学校の校舎が優美な姿を見せています。切妻平屋建の東西の二棟は1900(明治33)年の建築、アーチ状の玄関ポーチが美しい寄棟造の中央本館は1909(明治42)年の建築です。吉岡銅山本部敷地跡に建設された木造洋風建築は、吹屋における近世以降の繁栄を雄弁に物語る、貴重な遺産です。現在も学校として使用されているということも特筆されます。校舎前には25メートルプールがありまして、今でもここが吹屋の子どもたちの貴重な学び舎であることが見て取れました。

 高台から吹屋の家並みを眺めますと、緑濃き山中にベンガラ色の美しい建物が立ち並ぶ様子を穏やかに俯瞰することができました。繁栄を極めたベンガラの町は、往時の豊かな町並みを今に伝えながら、昔懐かしく、かつこの地域独自の歴史的・文化的な雰囲気によって、ここを訪れる多くの人々を魅了しています。1901(明治34)年に町制施行したかつての吹屋町は、戦後1955(昭和30)年に成羽川流域の成羽町に編入され、さらに高梁市の一部となり現在に至ります。中心地としての吹屋を見ますと、郵便局と小学校の存在がかつての中心性を偲ばせるのみであるようにも感じられます。中国山地で紡がれた時間の中できら星のごとく鮮烈な光を見せた財産として、吹屋が持つベンガラに彩られた景観が末永く刻まれ続けます。同時に活気あるまちとしての吹屋の姿をもまた、見てみたい気持ちもあります。
                                     

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