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HIROSHIMA REVIEW

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#2 江波界隈 〜港町の伝統の息づく住宅都市〜

 江波山に建つ江波山気象館の屋上から、江波の町並みを眺めました。遥か北方には、高層の建築物群によって充填された広島市中心部が展開しています。それらを取り囲むように、幹線道路に面して高層住宅群も多く建てられています。中国地方の広域中心都市として目覚しい成長を遂げてきた広島の町の趨勢をそのまま反映させた高密度の市街地を背景に、低層の個別住宅を中心とした江波の住宅地域はとても穏やかな佇まいを見せていました。太田川の静かな流れに接する家並みは近代都市として再編成されながらも、海と川と密接にかかわりをもってきた地域の記憶を濃厚に伝えているようにも見えました。

江波俯瞰

江波山から広島市中心部を望む
(中区江波南一丁目、2003.8.29撮影)

江波俯瞰その2

江波山から太田川(本川)を眺める
(中区江波南一丁目、2003.8.29撮影)

舟入通り沿いの景観

舟入通り沿いの景観
(中区江波本町、2003.8.29撮影)
住宅地沿いに江波山気象館を望む

住宅地沿いに江波山気象館を望む
(中区江波南一丁目、2005.2.11撮影)

 江波地区の北側に隣り合う舟入地区から南進することからそう呼ばれる「舟入通り」は、広電江波線の軌道敷も備えた大通りです。十日市町で横川線を分け、土橋で宮島方面の本線と分かれた市電は、大通りに迫りくるほどの高層ビル群の間を進んでいきます。南に行くにつれ、建物の密度は徐々に小さくなっていくものの、大通り沿いはマンションの立地も多く、通りから見た地域のファサードは、あくまでも大都市のそれを印象づけるものです。大通りから少しそれた先、江波車庫の手前に設けられた江波電停で市電を下車し、そんな中高層の住宅地域となっている大通り沿いをしばし南へ歩きます。周辺にはかつては広島湾に浮かぶ島であった江波皿山や江波山の緑も鮮やかに広がっています。江波周辺を俯瞰した江波山山頂には、かつて地方気象台であった広島市江波山気象館の建物が眺められます。
 江波本町交差点から東へ路地を進みます。大通り沿いの町並みとは打って変わって、そこは狭い街路に家々が肩を並べあう下町の風情を感じさせる住宅街です。江波本町と江波東二丁目の境界となっている小路は、もはや自動車も通過不可能なほどの幅員です。家々のひしめく住宅地域から視界が広がる先には、小ぢんまりとした港-江波港-が豊かな景観を見せてくれていました。太田川(本川)からほんの少し中洲に食い込んだ形の小さな港には、小規模な漁船が係留されていまして、ささやかながらも漁村の雰囲気を感じさせます。港に面して、海神宮のお社があります。「ここは聖域です。汚さないように配慮をお願いいたします」と書かれているところも、伝統ある漁港のコミュニティが現代に息づいていることを実感させます。


江波港

江波港
(中区江波東二丁目、2005.2.11撮影)

管絃祭の伝馬船

管絃祭の伝馬船
(中区江波南一丁目、2005.2.11撮影)

太田川(本川)、北方向

太田川(本川)、北方向
(中区江波東二丁目、2005.2.11撮影)
太田川(本川)、南方向

太田川(本川)、南方向
(中区江波東二丁目、2005.2.11撮影)

 港の南側、トタン壁の格納庫に守られて、木造船が大切に保管されている一角があります。「江波の漕ぎ伝馬」で知られる伝統芸能に使用されるものです。「江波の漕ぎ伝馬」は、毎年6月17日に行われる厳島神社の管絃祭に際し、御座船を曳く役割を果たしていまして、祭の前日、伝馬船は地域への挨拶回りのため本川を遡ります。そして祭りの当日、祭礼のために宮島へ向かい、ご神体を戴いた御座船を曳航することとなります。元禄期に御座船が遭難した際、いち早く救援したのが、阿賀村(現在の呉市阿賀)の漁船と江波村の漕船であったことが縁となり、以来漕船には阿賀と江波の両町が奉仕する慣わしとなっています。漕ぎ伝馬の伝統は、、近世以来江波が城下町広島の外港として活況を呈してきたことや、当時の信仰や操船技術などの民俗的な諸相をよく保存しているとされ、1996(平成8)年、広島市指定重要無形文化財となっています。

 港の開口した太田川の堤防からは、たおやかな水辺の景観、都市の景観、広島市のスカイラインを演出する似島や江田島などの島々の影などが眺められました。付近では、名産の牡蠣の加工場も多く立地しており、処理された牡蠣殻の匂いが海風のさわやかな潮の香にほのかな味付けをしているように感じられました。
江波は大都市広島の外縁にあって、大通り沿いと、港に抱かれた住宅地とで、対照的な姿を見せるまちでした。


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