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静岡から掛川へ至る
〜旧東海道筋の宿場町を訪ねる〜

2014年10月、穏やかな陽気の静岡市街地と掛川の町を歩きました。
日本の大名脈たる旧東海道筋に発達した宿駅を基礎に発達した城下町の姿を概観する行程となりました。


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ページ設置:2017年11月13日


静岡市街地、駿府城公園を歩く

 関東地方ローカルの天気予報には、関東一都六県と首都圏の一角である山梨県に加え、静岡県東部と伊豆地方が含まれていることが一般的です。静岡県の東部が関東地方との交流が少なくないことによる措置とも思われますが、その地図表記に見慣れていた幼少期の私は、実は伊豆半島が静岡市から浜松市にかけてを広く範域に含む静岡県の一部であると認識したのはかなり後になってのことであったと記憶しています。駿河、伊豆、遠江の3つの旧令制国を含む広がりを持つ静岡県を考えるとき、その3つの地域が強烈に印象づけられる一方で、それらをひとつの「圏域」として位置づけるには、私はまだ十分な認識を持つに至っていません。それが、本稿を書くにあたり、静岡県を単位としたシリーズとはしなかった理由です。

静岡駅前

JR静岡駅前
(静岡市葵区黒金町、2014.10.18撮影)


JR静岡駅前、葵タワーを望む
(静岡市葵区黒金町、2014.10.18撮影)
呉服町通り

呉服町通りの景観
(静岡市葵区紺屋町、2014.10.18撮影)
青葉通りシンボルロード

青葉通りシンボルロードの景観
(静岡市葵区呉服町、2014.10.18撮影)
静岡庁舎本館

静岡市役所静岡庁舎本館
(静岡市葵区追手町、2014.10.18撮影)
静岡県庁舎

静岡県庁舎
(静岡市葵区追手町、2014.10.18撮影)

 2014年10月18日、雲一つない快晴の空の下、JR静岡駅より静岡市街地の散策を始めました。駿河府中(駿府)と呼ばれ、今川氏や隠居後の徳川家康が拠点とした城下町を基礎としてた成長した市街地は、今日では静岡駅前の商業施設や再開発ビルが林立する繁華なエリアを軸に、現代の中枢都市として輝きを見せていました。バスプールが効率的に配された駅前は幹線道路である国道1号が目の前を横切ります。そのため、中心市街地へは地下道連絡していまして、それによって市街地における目抜き通りのひとつとして賑わう呉服町通りへと導かれます。

 現市街地は旧駿府城の城下町であるとともに、東海道19番目の宿場町でもありました。江戸方面からの街道筋は伝馬町通りを進んで江川町交差点に達してここから呉服町通りに通じ、さらに右折して呉服町通りを辿るルートをとっていました。人通りの多い呉服町通り沿いには百貨店やショップが建ち並んでいまして、歩道にはアーケード上の屋根があって、車道は所々でクランクして、歩行者に配慮しスピードが出せないようなしつらえになっています。明るい雰囲気の商店街を進みますと、街路樹が目にまぶしいシンボルロードである青葉通りに行き着きました。この日はここを会場にイベントが開催されていまして、そこでも多くの人手が出ているようでした。通りの北側には静岡市役所静岡庁舎新館のビルが青空に屹立していました。

二ノ丸堀

二ノ丸堀の景観、巽櫓を望む
(静岡市葵区駿府城公園、2014.10.18撮影)
東御門

駿府城跡・東御門
(静岡市葵区駿府城公園、2014.10.18撮影)
本丸堀

駿府城公園・本丸堀
(静岡市葵区駿府城公園、2014.10.18撮影)
紅葉山庭園

駿府城公園・紅葉山庭園
(静岡市葵区駿府城公園、2014.10.18撮影)
紅葉山庭園

駿府城公園・紅葉山庭園の背後に高層ビルが見える風景
(静岡市葵区駿府城公園、2014.10.18撮影)
富士山を望む

駿府城公園・富士山を望む
(静岡市葵区駿府城公園、2014.10.18撮影)

 旧東海道はさらに西へ進み、伊勢丹が面する七間町通りで南へ折れて進んでいました。この呉服町通りと七間町通りとの交差点はいわゆる「札の辻」で、藩政期にはこの場所に高札場が設置されていました。この交差点周辺の旧町名は「札之辻町」で、界隈には大きな商家が軒を連ねて、まさに城下町の中心でありました。城下町には「駿府九十六か町」が整備されて、東海道沿線を軸とした町場が家並みを構成していました。瀟洒なドームが中央に乗る静岡市役所静岡庁舎本館(1934(昭和9)年建築)や、モダンやファサードに昭和初期にしばしば認められる、和風の城郭のようなスタイルと組み合わせた「帝冠様式」のテイストも感じさせる静岡県庁舎本館の建物を一瞥しながら、駿府城跡に広がる駿府城公園へと歩を進めました。静岡県庁舎の手前には堀が巡っていまして、県庁のある場所も駿府城跡の一角であることを示しています。

 二の丸と取り囲む堀(二ノ丸堀、中堀)に沿って東へ歩き、復元された巽櫓(たつみやぐら)の異様を概観しつつ、本丸へのメインエントランスであった東御門へ。堀に架かる東御門橋を渡り、高麗門をくぐると枡形になってそれを取り囲む櫓門を経て城内へと進む構造となっていまして、櫓門の上には流麗な意匠の多聞櫓が立ち上がります。城内には本丸と取り囲む内堀(本丸堀)がありましたが、現在は完全な形では残っていませんで、発掘調査によって一部遺構が認められるのみとなっています。公園内には広大な広場や、静岡県内の名勝をモチーフにした日本庭園(紅葉山庭園)などが整備されていまして、大都市の只中にあって憩いの場を市民に提供しています。青空に溶け込むように聳える富士山の山容もたおやかに眺望できました。



江川町交差点
(静岡市葵区追手町、2014.10.18撮影)


御幸通りの景観
(静岡市葵区御幸町、2014.10.18撮影)
静岡駅前

JR静岡駅、「パルシェ」を望む
(静岡市葵区御幸町、2014.10.18撮影)
静岡駅南口

JR静岡駅南口にある東照宮の石灯籠
(静岡市葵区黒金町、2014.10.18撮影)

 駿府城公園の風景の背後にシャープなスカイラインを見せる現代静岡市のビル群がつくる借景を確認しながらJR静岡駅へと戻りました。温暖な風土の印象そのままに、現在と江戸時代とがのびやかに交錯する市街地の風景は、どこまでもあたたかさに溢れているように感じられました。


掛川市街地、掛川城と城下町を訪ねる

 静岡市街地散策の後は、東海道本線を西へ進み、地域を分かつ存在として今も昔も大きな影響をもたらしてきた大井川を渡り、旧遠江国の範域に入り、その東部(東遠地域)における中心都市である掛川市の中心駅・掛川駅へ到着しました。1988(昭和63)年に東海道新幹線の駅が開業した駅は、在来線と新幹線駅が効率的に連接された駅を出て、東海道26番目の宿駅として機能した市街地へと進みます。



JR掛川駅
(掛川市駅前、2014.10.18撮影)


連雀西交差点、旧東海道(西方向)
(掛川市中町、2014.10.18撮影)
旧東海道

連雀西交差点、旧東海道(東方向)
(掛川市中町、2014.10.18撮影)


逆川と太鼓櫓、奥に天守閣を望む
(掛川市城下、2014.10.18撮影)
天守閣

御殿前より天守閣を遠望
(掛川市掛川、2014.10.18撮影)
掛川城御殿

掛川城御殿
(掛川市掛川、2014.10.18撮影)

 中心市街地は東西方向に展開し、旧東海道筋である中町商店街を中心に整然と区画されています。駅前から連雀西交差点に至り、歩道上にアーケード上の屋根が取り付けられた中町商店街を確認し、城郭の外堀を兼ねていた逆川を越えて、掛川城跡へと進みました。この地域を支配する拠点として、防御に適したこの地に建設されたのは、戦国時代、駿河の守護大名であった今川氏が企図したことによるものでした。時代は戦国期から藩政期移り変わっても、地域の中枢たる掛川の地位は維持され、城下町として存立し、今日までつながる都市基盤が整えられてきました。逆川は、掛川城がつくられた城山に当たって深い淵を作っていたことから崖状の地形となっており、「懸河」と呼ばれていたことが、掛川の地名の起こりであるとされています。
 
 掛川城には、現存する数少ない城郭御殿が残されています。書院造の御殿は、藩主の公邸と藩政の執務が行われるいわば役所としてのスペースとが連結した建物です。現在の建物は1854(嘉永7・安政元)年に発生した安政大地震による倒壊後1855(安政2)年から1861(文久元)年にかけて再建されたものです。明治維新後は公共施設として様々に転用され、1980(昭和55)年に国の重要文化財指定を受けています。同時期に再建された太鼓櫓を一瞥しながら、1994(平成6)年に木造で再建された天守閣へ。丘の上に建つその白塗りの城郭は、コンパクトながらも周囲の景観に調和した秀麗さを擁していまして、名城として知られたという空気を存分に感じさせました。城下町としての町の起源を指し示す閉めるランドマークとなった天守閣からは、緩やかな山並みの間を埋めるように発達した掛川の町並みを美しく眺望することができました。

天守閣

掛川城天守閣
(掛川市掛川、2014.10.18撮影)
中心市街地俯瞰

掛川城天守閣より中心市街地を眺める
(掛川市掛川、2014.10.18撮影)
御殿俯瞰

掛川城天守から御殿を見下ろす
(掛川市掛川、2014.10.18撮影)
逆川

逆川の景観
(掛川市掛川、2014.10.18撮影)
大手門番所

大手門番所
(掛川市城下、2014.10.18撮影)
大手門

掛川城大手門
(掛川市城下、2014.10.18撮影)

 太鼓櫓下の駅前から続く通りよりも東、逆川に沿って進みますと、掛川城の大手門が復元されている場所へ行き着きます。門に付随する大手門番所は御殿や太鼓櫓と同時期に再建された、掛川城関連の数少ない残存遺構の一つです。大手門は櫓が乗せられた楼門造りで、城の表玄関としてふさわしい風格のある佇まいを見せていました。天守閣を中心に、藩政期からの遺構が随所に残り、往時を彷彿とさせる堀などの景観が歴史公園としてバランスよく配された公園は、地域の歩んだ時間を鮮やかに溶け込ませているように感じられました。

 大手門を見学した後は、大手門通りを進んで旧東海道筋の商店街の風景を確認して、JR掛川駅へと戻りました。江戸と上方とを結ぶ最重要幹線道路であった東海道にあって、その行程の多くを占めた静岡県ですが、今回の静岡と掛川の市街地散策によって、その沿線の宿場町が、地域の実情に合わせて多様な姿を見せて繁栄していたことを実感することができました。それは新幹線のぞみが短い時間で通過してしまう現在にあって、国家的な物流が今よりも遙かに日常に身近にあった時代の記憶が濃厚に息づく、たいへんに貴重な遺産であるようにも思われました。




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