Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 関東の諸都市地域を歩く・目次

関東の諸都市・地域を歩く


#102(三浦市小網代編)のページ


#103 逗子、海と山の光輝 〜深緑と春濤のきらめきを歩く〜 

 2016年5月5日、快い晴天の下、三浦半島に残る貴重な自然である「小網代の森」を訪れた私は、三崎口駅から京急久里浜駅へと進み、JR横須賀線に乗り換えて逗子駅へと移動しました。三浦半島の基部、西海岸に市域を擁する逗子は、田浦川のつくる小規模な流域にほぼすべてが収まります。温和な気候と海と山を望む風光から保養地として知られます。駅前の船のマストを模したモニュメントにそうした雰囲気を感じながら、踏切を渡ってまずは山側へと向かいました。

逗子駅前

逗子駅前の景観
(逗子市逗子一丁目、2016.5.5撮影)
熊野神社参道

熊野神社参道を見下ろす
(逗子市山の根二丁目、2016.5.5撮影)
岩殿睛嵐

岩殿寺境内からの俯瞰風景(岩殿睛嵐)
(逗子市久木五丁目、2016.5.5撮影)
法性寺山門

法性寺山門
(逗子市久木九丁目、2016.5.5撮影)
法性寺祖師堂

法性寺祖師堂(奥の院)
(逗子市久木九丁目、2016.5.5撮影)
猿畠夜雨

大切岸(猿畠夜雨)
(逗子市久木九丁目、2016.5.5撮影)

 線路と丘陵地の際までの間の狭い平地は住宅によって埋められており、その住宅の間にうずくまるようにしてある鳥居を潜りますと、石段の上に熊野神社が鎮座していました。明治期の地勢図を確認しますと、元来の逗子の集落は現在の逗子五丁目付近に限られおり、その後背地は大部分が水田として利用されていました。その田を見下ろす高台にあった社は、参道の両側が宅地となった今でも変わらぬ丘陵の緑を背にして、慎ましやかな社殿を構えていました。神社からは山の根地区を北西へ進み、久木隧道を経て久木地区へと進みます。丘陵を北東方向に刻むやや広い谷地に広がる久木地区もまた、小中学校や高校の校地を除いては平坦地が宅地化されていまして、東京に近接する都市の一般的な風景を呈しています。地域の鎮守である久木神社や、この地に土着した武士が農民となり、地域の有力者となった先人が開いたという妙光寺と進み、さらに久木五丁目のある小さな谷戸を入り、721(養老5)年創建という古刹・岩殿寺(がんでんじ)へ。紫陽花や美しい森に囲まれた参道の石段を上った山上からは、丘陵に覆われた久木地区の風景の向こうに、春霞に包まれながら輝く海を見通すことができました。山号の「海雲山(元は海前山であったとのこと)」もその風光に因むものであるようです。

 久木地区を横須賀線の線路に沿って別の谷地へと上り、坂を上っていきますと、瀑布の焼き討ちから逃れてきた日蓮が白猿から食べ物を畠から運んできたという故地に1321(元亨)元年頃に開山された法性寺(ほっしょうじ)へ。「猿畠山(えんばくさん)」の山号が白い猿に両側を支えられた扁額に掲げられた山門をくぐり、参道を進みます。山に抱かれるようにしてある本堂や庫裏などの建物群の脇を、さらに坂道を上がっていきます。舗装された道路は石段となり、一歩一歩踏みしめながらなんとか斜面を登り切った先には、祖師堂(奥の院)が整えられていました。さらにその先は人工的に切り崩された断崖である大切岸(おおきりぎし)や、この掘削のために岩肌の上に取り残されるようにして鎮座する山王権現祠などが存在しています。やがて「鎌倉七口」のひとつである名越切通(なごえきりどおし)へと続く尾根筋からは、三浦半島の基部を形づくる丘陵の山並みと、それに切り込む低地に展開する宅地との風景、そして逗子海岸の穏やかな海などをさわやかに眺望することができました。

山王権現祠

山王権現祠を望む
(逗子市久木九丁目、2016.5.5撮影)
逗子海岸遠望

名越切通付近から逗子海岸を望む
(逗子市久木九丁目、2016.5.5撮影)
まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群
(逗子市小坪七丁目、2016.5.5撮影)
名越切通

名越切通
(逗子市小坪七丁目、2016.5.5撮影)
小坪川沿いの風景

小坪川沿いの風景景
(逗子市小坪三丁目、2016.5.5撮影)
小坪港

小坪港を望む(小坪歸帆)
(逗子市小坪四丁目、2016.5.5撮影)

 名越切通は、鎌倉から浦賀方面へ進む幹線道路として急峻な尾根を切り崩して作られました。現在は明治時代に完成した横須賀線や峠をトンネルで通過する県道が完成し交通のメインルートからは完全に切り離されていますが、そのために往時の道路の姿をよくとどめています。所々道幅が狭まる箇所があるのは、地震による崩壊後もその都度掘削されて維持され利用されてきたためであると推定されています。付近には葬送施設と想定される「まんだら堂やぐら群(訪問時は公開していたので確認することができました)」もあって、鎌倉時代より要路として、また鎌倉市中の縁辺として機能していた地域の姿を今に伝えています。

 名越切通を通過して亀ヶ岡住宅団地に出て、丘陵地に開発された団地の中を海岸方面へと歩を進めます。丘陵を刻む川に沿って辿り、国道134号の高架下をくぐり、古来より漁村であった小坪地域の中心集落へと到達します。現在はリビエラ逗子マリーナが完成して、椰子の木の並木が立ち並ぶ南国的な風景が現出しています。両端に絶壁で海に落ちる地形を挟んだ砂浜海岸は風光明媚で、「鷺浦」とも呼ばれていたようです(明治期の地勢図にも「鷺ヶ浦」の表記が見えます)。かつての砂浜は埋め立てにより失われ、海岸に迫る傾斜地に寄り添うように並ぶ家並みがかつての港町の姿を想起させます。家々の間を縫うように斜面を駆け上がる路地を進み、高台から見下ろした小坪の風景は、なめらかな海面が鏡のようにきらきらしていまして、初夏の風致に満ちていました。

小坪地区俯瞰

小坪地区と逗子マリーナを望む
(逗子市小坪四丁目、2016.5.5撮影)
披露山公園

披露山公園から庭園住宅地区、相模湾を望む
(逗子市新宿五丁目、2016.5.5撮影)
披露山公園

披露山公園から江ノ島、富士山を望む
(逗子市新宿五丁目、2016.5.5撮影)
披露山公園

披露山公園から三浦半島西海岸を望む
(逗子市新宿五丁目、2016.5.5撮影)
不如帰の碑

浪子不動前、不如帰の碑(不動落雁)
(逗子市新宿五丁目、2016.5.5撮影)
逗子海岸

逗子海岸の風景
(逗子市新宿二丁目、2016.5.5撮影)

 坂道を登り切った先は披露山(ひろやま)。庭園住宅エリアを経て、相模湾から江ノ島、富士山への展望が開ける披露山公園へと足を伸ばしました。海に向かって緑に溢れた住宅地が展開し、鷺ヶ浦の先に江ノ島が浮かび、彼方には箱根方面の山並みの奥にうっすらと富士山を認めることができました。東側へ目を転ずれば、三浦半島方面の海岸線も美しく望まれます。披露山公園から浪子不動ハイキングコースを下り、徳冨蘆花の小説「不如帰」ゆかりの浪子不動(高養寺)へ。海中に立つ不如帰の碑越しに見渡す逗子海岸は、穏やかな潮騒を青空の下に響かせていました。海岸の初夏の風景を一瞥しながら逗子駅前に戻り、この日の活動を終えました。この日訪れた岩殿寺、法性寺、小坪港、浪子不動は、それぞれ「岩殿睛嵐」、「猿畠夜雨」、「小坪歸帆」、「不動落雁」として逗子八景のひとつに数えられています。古来より海と山の宝物のような風趣に恵まれた逗子の美しさを存分に満喫しました。


#102(三浦市小網代編)のページ


関東を歩く・目次へ    このページのトップへ    ホームページのトップへ

Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2018 Ryomo Region,JAPAN