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関東の諸都市・地域を歩く


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#118 越生、冬の山野を歩く ~外秩父山地に寄り添う地域~

 2017年1月7日、早朝の埼玉県越生町を訪れました。梅林で著名な、埼玉県中西部の人口1万1千人あまりのまちです。埼玉県の西部に横たわる関東山地の山並みは、秩父盆地を挟んで東側は外秩父山地と呼ばれます。そのたおやかな山並みから流れ出す越辺川(おっぺがわ)が平地へ流れ出す一帯が越生町の範域となります。関東山地の東を南北に縦貫するJR八高線の越生駅からは東武越生線が接続し、東上線を介して都心と結ばれています。駅前の昔ながらの町並みの中を進み、法恩寺の境内へと進みました。この日は越生町内にある七福神を祀った寺院を参拝するイベント「武州越生七福神めぐり」に参加し、冬の越生を訪ねることとしていました。法恩寺には恵比寿神が祀られており、多くの参加者が境内に集まっていました。

越生駅

JR・東武越生駅
(越生町越生、2017.1.7撮影)
越生駅前の景観

越生駅前の景観
(越生町越生、2017.1.7撮影)
越生の景観

越生絹市場跡近くの景観
(越生町越生、2017.1.7撮影)
越生の街並み俯瞰

五大尊つつじ公園から越生の街並みを望む
(越生町黒岩、2017.1.7撮影)

 法恩寺を出て、北側の町道を西へ、ゆるやかな上りの道を進みます。道すがら、「越生絹市場跡」と題された説明表示を見つけました。関東地方の山間の多くの地域がそうであったように、越生もかつては着物の裏地に使う高品質の裏絹(生絹)の産地で、絹の市場が建つ絹の町として勃興した歴史を持つことが説明されていました。八高線が敷設された背景には、もこうした絹の産地と貿易港である横浜とを結ぶという目的もあったといいます。目の前には外秩父山地へと続く丘陵の山並みが間近に迫り、その山林に守られるようにしてある正法寺(大黒天)へと導かれました。中腹の越生神社のあるあたりからは、絹の山地として栄えた越生の町並みをゆるやかに見通すことができました。

 正法寺参詣後は、小さな流れに沿って再び市街地へと戻って、役場前を通過し北へ進みました。越生の町は、西の外秩父山地と、越辺川を挟んで東の岩殿丘陵との間の低地に町並みが展開しています。途中、つつじの名所である五大尊つつじ公園に寄り道しました。春まだ遠いつつじの園地からは、そうした山並みに抱かれる越生の町並みを美しく観察することができました。三度役場や小学校が接する通りを北へ歩き、越辺川の小さな流れを越えて、畑と宅地とが混在する風景の中を歩を進めていきます。途中県道沿いを経由しつつ、特徴的な三角錐の山並みが目を引く弘法山へを目指します。中腹に鎮座する弘法山観世音(弁財天)へは、やや勾配のある坂道を歩くこととなります。境内に到達した後、さらに石段を上って弘法山観世音へ。石段の傍らにはスイセンが多く植えられていまして、可憐な花が数輪開いており、新春の芳香を漂わせていました。

田園と山並み

田園風景と外秩父山地の山並み
(越生町成瀬、2017.1.7撮影)
越辺川と梅林、山並み

越辺川と梅林、背景の山並み
(越生町成瀬、2017.1.7撮影)
梅林の風景

梅林の風景
(越生町古池、2017.1.7撮影)
最勝寺・紅梅

紅梅が咲いていました(最勝寺境内)
(越生町堂山、2017.1.7撮影)

 弘法山からは越辺川がつくる河谷を西へ、いよいよ山の中へと進んでいくこととなりました。水田や畑の中に家々が点在する山里の風景が、しなやかなやな並と重なって、新春の穏やかな青空の下、とても美しい風景をつくり出しています。そして、この一帯が越生梅林の主たるエリアとなっていまして、たくさんの梅の木が植えられて、中には花を開いているものも認められました。これらがいっせいに花を付ける早春は、まさに極上の春の彩りに包まれることになると思いますと、いっそう足取りも軽くなるような気がいたします。山間部らしい製材所などのある場所を通過して、最勝寺(福禄寿)へ。さらに梅林が卓越する集落の中を歩いて越辺川の右岸側へ渡って円通寺(寿老人)へと快調に進んでいきます。円通寺の門前には自然休養村センターがあって、ハイキングの途中における休憩所としても供されていました。

 円通寺から先、最後の2つの寺院へと向かうルートは、外秩父山地の山の中へと分け入る形となります。麦原入口バス停で県道と分かれて、「あじさい街道」と名付けられた道路を上っていきます。小杉地区からさらに道を折れて龍ヶ谷地区へと入る谷筋を上がっていきますと、植林された杉木立の中に特産のゆずの木が随所に黄色い実をつけている様子を目にすることができます。つづら折りの急勾配の道を進み、谷に張り付くようにしてある家々の間を歩いてさらに林道を歩きますと、代官所跡と紹介された場所へと行き着きました。これから訪れる龍穏寺の寺代官を務めた宮崎家の屋敷跡とのことで、現在は空き家となっていると思われる主屋がそこには残されていました。さらにきつい峠道をひたすらにたどって、龍ヶ谷川のつくる谷筋へと下って、ようやく龍穏寺(毘沙門天)へとたどり着きました。小さな谷川に沿って家々が点在する山里に深閑とした境内を広げる龍穏寺へと進む途中には、補陀岩と呼ばれる岩の上に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられていたり、参道入口に六臂(ろっぴ)観音の石塔が存在していたりと、寺とともに歩んだ地域の歴史を感じさせました。

越辺川

越辺川
(越生町小杉、2017.1.7撮影)
山間の集落景観

山間の集落景観
(越生町龍ケ谷、2017.1.7撮影)
代官所跡

代官所跡の主屋
(越生町龍ケ谷、2017.1.7撮影)
宝篋印塔

龍ケ谷地区・宝篋印塔
(越生町龍ケ谷、2017.1.7撮影)

 最勝寺からは三度山の中へと分け入って峠を越えて越辺川本流の谷筋へと戻って、七福神めぐり最後の訪問となる全洞院(布袋尊)へと進みました。付近は観光名所として知られる黒山三滝の入口になっていまして、鉱泉宿を中心とした家並みがまとまる場所が形成されていました。新春ののびやかな日射しのもと、穏やかな町並みと山並みを歩いた今回の行程を通して、地域の自然に寄り添い、その恵みを生かしながら歴史を紡いできた越生のいまを体感することができました。

本稿は、東武鉄道主催の「東武健康ハイキング」・「新春 越生七福神めぐりハイキング」に参加することによって執筆しました。

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