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関東の諸都市・地域を歩く


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#29 守谷と取手を行く 〜茨城県南新旧交通軸をめぐって〜

 守谷駅前は、今まさにこのエリアの時代が始まった、といった雰囲気に包まれているように感じられました。国道294号線のまっすぐなラインを真新しい装いの高架鉄道-つくばエクスプレス-がさっそうと横切っています。駅前にはタクシープールやバスプールが設けられ、駅前広場が整えられて、「人とまちが連携した新しい駅」をデザインコンセプトに取り入れ、未来性と田園のイメージを両立させたという(つくばエクスプレスホームページによる説明を引用)駅舎とあいまって、ゆったりとしたスペースを構成していました。周辺は徐々に道路が建設されているようで、土地区画整理事業が進行中であることが窺えます。駅は関東鉄道常総線の守谷駅とも接続しています。つくばエクスプレス開業前は地上駅として切妻造のシンプルなデザインの駅舎であった関東鉄道守谷駅は、つくばエクスプレスの建設に伴い建物を一新し、近代的な橋上駅へとリニューアルされました。駅構内は「TXアベニュー守谷」として複数の店舗や飲食店が入って、守谷市の中心駅としての拠点性が強化されつつあるようです。周りの地域の多くは「大字守谷」地域で占められていたものの、市制施行時に大半の地域が「百合ケ丘」「松並」「本町」の3住所に再編成され、土地区画整理中として駅周辺に残されていた地域も後に東側が「ひがし野」地区となって、現在「大字守谷」は駅を含む土地区画整理が終了していない地域だけとなっているようです。

 つくばエクスプレス守谷駅の開業は2005年8月24日のことでした。駅設置に合わせて進捗してきた土地区画整理事業は、2008年度中の完工を目途として進められているようで、銀行の店舗などが完成しているものの大半の敷地は更地の状態です。国道をまたぐ歩道橋から見渡しますと、雑木林や旧来からの住宅も多くて、農村的な景観の中に住宅開発が進んで急速に人口増加が進んできた守谷市の縮図を見ているかのようにも思えます。しかし、その現在進行形で開発が進む様子はまた、この地域における更なる変貌をも示しているようで、胸がぞくぞくするような気持ちにもなります。複数の高層マンションが既に施工中のエリアもあり、秋葉原駅まで最短で32分で到達できるという高いアクセス性もあいまって、この街区が今後どのように変化していくことになるか大いに注目されるところですね。

水田地帯

利根川左岸の水田地帯
(守谷市野木崎、2006.11.18撮影)
守谷駅

つくばエクスプレス・守谷駅
(守谷市守谷、2006.11.18撮影)
守谷駅南側

守谷駅南側、区画整理事業が進む
(守谷市守谷、2006.11.18撮影)
守谷駅北側

守谷駅北側・タクシープールなど
(守谷市守谷、2006.11.18撮影)

 守谷は近年の大規模な宅地開発等によって人口が急増し、2002年2月2日に当時の北相馬郡守谷町が単独で市制施行して現在に至っている、比較的若いベッドタウンです。鉄道沿線や幹線道路である国道294号線や「常総ふれあい道路」と呼ばれる街路を中心に住宅地域が展開し、商業集積も認められます。市街化が進む守谷駅の東、近年区画整理が行われた「ひがし野地区」に隣接して守谷城址を中心とした公園があります。小貝川のつくる低地に突出した地形の上に堅牢な要害としてつくられた守谷城址は、近世初期には廃城となり、城下町等としてまとまった町場を形成する核とはなり得なかったようです。守谷市内には広大な農地や平地林がまだいっぱいに残されていまして、開放的な環境に接することができます。

 「常総ふれあい道路」を南へ、取手へと向かいます。快適なカーブを描きながら進む道路は低地を進んだり、台地上へ駆け上がったりしながら、利根川と小貝川の間に展開する台地と低地との間を軽やかに続いていきます。常総ふれあい道路は、取手市と守谷市とを連絡する大規模な幹線道路です。国道294号線や関東鉄道常総線とともに両市域を結ぶ主要なルートとなっているようです。そしてこのルートは取りも直さず、守谷市域へ宅地開発の波が押し寄せた構図ともいえますね。東京大都市圏の外縁に位置する守谷は、取手においてJR常磐線に接続する都心方面への通勤圏と位置づけられました。JR常磐線を基軸としてきた首都圏へのアクセスルートに、つくばエクスプレスという風穴が開けられ、守谷市周辺の交通環境は一変したものと思われます。イチョウ並木が美しい団地の続く中、常総ふれあい道路は取手市域へと進みます。

常総ふれあい道路

常総ふれあい道路
(取手市西一/二丁目、2006.11.18撮影)
利根川

利根川とJR橋梁
(取手市取手一丁目、2006.11.18撮影)
取手市街地

取手市街地の景観・昔ながらの酒屋
(取手市取手二丁目、2006.11.18撮影)
取手市街地

取手市街地の景観
(取手市取手一/二丁目、2006.11.18撮影)
市街地俯瞰

取手市街地俯瞰(手前の屋根は旧本陣の染谷家住宅)
(取手市取手二丁目、2006.11.18撮影)
取手駅東口

JR取手駅前(東口)
(取手市取手三丁目、2006.11.18撮影)
 
 取手は茨城県南の玄関口として、首都圏への近接性から着実に人口を伸ばしてきたまちです。市制施行は1970(昭和45)年10月1日で、高度経済成長の末期にあたる時期です。守谷市制施行の年次(2002年)と並べてみますと、東京大都市圏の拡大過程が類推されるようにも思われます。2005年3月28日には北隣の藤代町を編入して、人口11万人ほどの市となっています。国道6号線を経由して水戸街道取手宿をまちの基礎とする旧市街地を東進し、利根川河川敷の駐車場にて車を下車、取手市街地のフィールドワークへと出発しました。河川敷は広大な運動公園となっていまして、当然に空も広く、緑豊かでたいへんに開放的な空間です。休日の午後、たくさんの人々が訪れていまして、スポーツをしたり、散歩をしたり、思い思いの余暇を楽しんでいるようでした。そんなのびやかな景観の中、利根川の流れがたゆたうように横たわっていました。そしてその上を3本の橋梁(JR常磐線の上下線と国道6号線)が一直線に越えています。近代の取手の成長を支えてきた橋と利根川とが交差する風景は、この町を象徴しているようにも感じます。そして川を背にして、土手越しに眺める取手市街地の姿もとても穏やかな印象です。

 台地に寄り添うように東西につながる市街地は、水戸街道の宿場町を基礎としています。旧本陣は染野家として残されています。入母屋造の染野家は、大型民家ながら、正面玄関上に重厚な破風を擁する豪勢なつくりです。穏やかな茅葺屋根の建物がつくられたのは、1795(寛政7)年のことで、県と市によって重要文化財の指定を受けています。全体的には中高層のマンション建築が多く見受けられ、住宅都市としての取手の今を反映した景観を呈しているものの、染野家住宅を代表格として町屋や古民家も点在していまして、利根川を渡河する地点に設けられた重要な宿駅であった取手の歴史を今に伝えています。町場の北側は台地となっていまして、台上から俯瞰した市街地は、旧本陣の茅葺屋根を介して、たいへん穏やかに望まれました。再開発や土地区画整理事業などにより現代的なターミナルへと変貌した取手駅前の様子を一瞥しながら、長禅寺の門前を通り、穏やかな市街地を経由して河川敷へと戻りました。近年は東京芸術大学のキャンパスが立地することから、「アートのまち取手」をコンセプトとしたまちづくりが進められていまして、駅へ向かう街路にも多くの現代アートのモニュメントなどが設置されていたのも印象に残りました。

 首都圏から放射状に延びる鉄道路線(JR常磐線)とそこから分岐する路線(関東鉄道線)を主要なチャネルとして人口流入をみた取手・守谷の地域は、つくばエクスプレスの開通により新たな変貌の時期を迎えているようです。その動きは今まさに緒についたばかりです。新旧の交通軸の成長と変化は、そのまま取手と守谷を「新旧の茨城県の玄関口」として取り込み、そして取り込もうとしています。

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