Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 関東の諸都市地域を歩く・目次

関東の諸都市・地域を歩く


#29(守谷・取手編)のページ

#31(富岡編)のページへ→

#30 ひたちなか市を歩く 〜勝田から那珂湊へ〜

 かつての勝田市と那珂湊市が対等合併して「ひたちなか市」が誕生したのは1994年11月、既に約13年が経過しました。茨城県下ではこの数年の間に自治体の再編成が進んで多くの新市が誕生しました。それらの中にあって、ひたちなか市はその先駆のひとつとして、着実に歴史を重ねてきているようです。勝田の市街地は小規模な河谷が貫入する台地上に穏やかに展開します。JR勝田駅から東へさっそうと延びていく大通りは、駅周辺では商店街や事業所などの雑居ビルなどの集積があって市街地としての密度を感じさせます。一方で、市役所付近まで来ると畑や先述の窪地などもあって、ここが新興市街地であることもまた実感します。勝田は周知のとおり、日立製作所の企業城下町として成長してきた歴史があります。近年は県都水戸市方面や首都圏方面との結びつきも強めたこともあって、その産業構造は多様化してきているようです。いちょうの葉を模したデザインの街灯が立ち並ぶ駅への通りを南へ折れて、勝田の市街地を南北に貫く目抜き通りへと進みました。

 勝田の一大イベントであるマラソン大会の開催を控え、商店街には大会を告知する旗があちこちに掲げられています。軽快な音楽が流れる商店街は整然とした町並みで整えられていまして、いま少し町を行く人の数が増えればと思わせる雰囲気です。そして、勝田の商店街の特徴は、大型店が道に面しておらず、一般商店の並ぶ通りから奥に入った立地となっていることであると思います。商店街には「カスミ/長崎屋」と「ジャスコ」の2つのスーパーマーケットがあるも、両店舗ともメインの通りからは一筋入った位置にあります。たまたまそうなっているだけなのか、計画的に配置されたものなのかははっきりとはしません。しかしながら、これが大型店に直接買物客を引き込ませず、その集客効果を一般商店に波及させるといった配慮であるとするならば、勝田の街は興味深い試みをしているなと思えてまいります。穏やかな台地上にのびやかに展開する新興の市街地は、緑豊かな公園や鮮やかな花が植えられたプランターなどによって、厳冬のさなかであっても快い輝きに包まれているように感じられました。

勝田駅前

JR勝田駅東口へ続く街路
(ひたちなか市勝田中央、2007.1.27撮影)
勝田市街地

勝田市街地、セットバックした大型店舗
(ひたちなか市表町、2007.1.27撮影)
勝田市街地

勝田市街地の景観
(ひたちなか市表町、2007.1.27撮影)
阿字ヶ浦海岸

阿字ヶ浦海岸と磯崎岬
(ひたちなか市阿字ヶ浦町、2007.1.27撮影)

 穏やかな田園風景と市街地とが連続する風景を東へ、自動車を走らせました。ひたちなか市は「乾燥いも」の日本一の産地であるそうで、砂質土壌の卓越した畑作地としての地域性を感じさせる風景です。ほどなくして、広大な敷地に四季折々の花々が咲き乱れる国営ひたち海浜公園に行き着きます。国営ひたち海浜公園の北側に隣接して重要港湾である常陸那珂港も整備されています。ここは北関東自動車道と接続する常陸那珂有料道路も連結していまして、北関東における海運の拠点となるべく計画され、1985(昭和60)年に策定された「常陸那珂国際港湾都市構想」の枠組みの中で事業が進捗しているようです。広大な駐車場に囲まれたスケールの大きい公園を左手に快適な広幅員の道路を進んだ先に、阿字ヶ浦海岸が展開していました。

 シーズンになると多くの海水浴客で賑わう阿字ヶ浦海岸はこの季節、茨城県名物のアンコウなどを味わえるスポットの1つとして、海産物目当ての観光客の入込があるようです。磯崎の岬から北へ弧状に展開する海岸は冬とはいえたいへん穏やかな陽気で、さざなみの彼方に、常陸那珂港の施設やさらに先にある東海村の原燃施設などが悠然と構えていました。阿字ヶ浦海岸から磯崎へと向かう道路は岬を回るあたりで急に細くなって、岬を構成する台地上へと誘われました。岬の北側の磯崎漁港を見下ろす場所に、地域の鎮守として崇敬を集めてきた酒列磯前(さかつらいそざき)神社が鎮座しています。近在の村々の総母神として、また漁業の神様として広く信仰されてきた神社は、台地上の畑の中に住宅地が点在する地域の中に溶け込むように祀られていまして、藪椿などの常緑樹の社叢がたいへん穏やかな佇まいを見せていました。磯崎から再び海岸沿いに下って、那珂湊方面へと車を走らせました。海に向かって大地が岬上に突き出す磯崎と、なだらかな海岸線を描きながらも海岸には磯が発達する平磯と、地名がそれぞれ地域の地形を端的に表現しているのが興味深いところです。この磯崎から平磯にかけての海岸線は、「平磯白亜紀層」として県の天然記念物にも指定されているのだそうです。

酒列磯前神社

酒列磯前神社・参道
(ひたちなか市磯崎町、2007.1.27撮影)
磯崎港

磯崎港から常陸那珂港方面を望む
(ひたちなか市磯崎町、2007.1.27撮影)
那珂湊市街地

那珂湊市街地の景観
(ひたちなか市東本町、2007.1.27撮影)
那珂湊漁港

那珂湊漁港の景観
(ひたちなか市湊本町、2007.1.27撮影)
ふるさと懐古館

ふるさと懐古館
(ひたちなか市湊本町、2007.1.27撮影)
山上門

山上門
(ひたちなか市栄町、2007.1.27撮影)

 ひたちなか市成立後も、国内でも有数の漁港の1つである那珂湊漁港をかかえる那珂湊の町は港町としての雰囲気を漂わせながら一定の独自性を感じさせるエリアです。かつての那珂湊市役所(現在は支所)からフィールドワークをスタートさせます。支所付近は市街地の中でも高台になっており、湊本町方面へ進む街路はゆるやかな下り坂です。地形図を見ますと、海洋高校がある付近の埋立地及び市街地付近を除けば、概して平磯方面から連続する台地が海岸線ぎりぎりまで海岸線からの比高にして約20メートルの落差で接しているのが見て取れます。反射炉跡や湊公園も港を見下ろす高台にあり、また那珂川を挟んで対岸に位置する保養センター付近もやはり高台です。那珂川という大きな河川の河口部の割には沖積地が相対的に発達していないことは、沿岸における海流などの影響なのでしょうか。この大河川に接しながら高台を多く擁する地形が、那珂湊を水上交通の結節点たらしめ、そして漁港として発達させた要因の1つといえるのかもしれません。統一された街灯が立ち並ぶ中心市街地の商店街は、小規模な店舗が中心ながらもまちとしてまとまった景観をつくっていまして、かつては現在よりも高い中心性を持っていた市街地であることを感じさせます。商店街の東側は、漁港に面して卸売市場と一般向けの「おさかな市場」のあるエリアです。新鮮な海産物を求め、多くの観光客が訪れる、活気ある一帯を離れますと、そこは穏やかな猟師町の風情で、江戸時代の土蔵を改築した「ふるさと懐古館」もありました。

 再び商店街方向に戻り、歩道が広く整備された県道を西へ進んで、懐かしい佇まいの那珂湊駅前を南に折れました。近隣商店街を過ぎ、住宅地域へと入りますと、湊公園へと連なる台地の下へと至ります。反射炉跡へと続くルート上には市指定史跡の「山上門」があります。旧水戸藩江戸小石川邸の唯一の遺構で、1936(昭和11)年に当地出身の深作貞治さんが陸軍省より払い下げを受け、ここに移築保存したものです。門をくぐり、公園の中を進みますと、反射炉跡(市指定史跡)は目の前です。幕末、水戸沖にも出没するようになった異国船への対応として、この高台(吾妻台と呼ぶようです)に反射炉が建設されました。現在のものは1937(昭和12)年に復元された模型であるとのことです。穏やかに那珂川の流れや市街地を俯瞰できる高台を東へ移動しながら、湊公園へ。ここは水戸藩二代藩主徳川光圀が「い賓閣(「い」は「寅」のうかんむりの上に「夕」の字のようなものを乗せた字)」と呼ばれる別荘を建てた場所です。現在では那珂川河口をはじめ那珂湊の市街地を見下ろすこのできる爽快な風景に出会える場所となっていました。

反射炉跡

反射炉跡
(ひたちなか市栄町一丁目、2007.1.27撮影)
湊公園

湊公園から那珂湊市街地を俯瞰
(ひたちなか市湊中央一丁目、2007.1.27撮影)
海門橋

海門橋と那珂川(夕景)
(ひたちなか市海門町一丁目、2007.1.27撮影)
那珂湊市街地

水門帰帆から俯瞰する那珂湊市街地
(ひたちなか市和田町二丁目、2007.1.27撮影)

 広大な河口を跨ぐ海門橋のたもとからさかな市場の前を再び通り、市街地背後の急崖につけられた階段を上って、「水門帰帆(みなときはん)」と賞された太平洋を望む台地上へと至りました。1833(天保4)年、水戸藩九代藩主徳川斉昭が藩内における景勝の地を8か所選び、「水戸八景」と称しました。水戸八景とは、すなわち仙湖の暮雪、青柳の夜雨、村松の青嵐、太田の落雁、山寺の晩鐘、広浦の秋月、巌船の夕照、水門の帰帆であり、水門帰帆とされた和田ノ上の高台は、東に太平洋の大海原、南に鹿島灘、西に筑波山や加波山の山並み、そしてよく晴れた日には遠く日光連山をも眺望することのできる場所で、かつては近くに砲台(台場)があり、すぐ真下は、明治時代まで那珂川の河口で、真帆片帆の出船入船を見ることができたとのことです。時既に夕闇が迫っていまして、オレンジの輝きの中に那珂湊の町並みや太平洋のさざなみを実にのびやかに、たおやかに眺めることができました。

#29(守谷・取手編)のページ

#31(富岡編)のページへ→

関東を歩く・目次へ    このページのトップへ    ホームページのトップへ

Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2007 Ryomo Region,JAPAN