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関東の諸都市・地域を歩く


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#31 富岡の町並み 〜製糸場に沸く西毛の都邑〜

 貫前(ぬきさき)神社は上州一ノ宮として多くの参拝客を集める神社です。特に正月はたいへんな賑わいとなり、毎年群馬県で最もたくさんの初詣客が訪れる神社のひとつでもあります。神社は一ノ宮の地域を見下ろす丘の上に佇んできまして、地域を軽やかに俯瞰することができます。社殿自体は逆に階段を下ったところにあり、ここで地域の安寧をお祈りし、富岡フィールドワークがスタートしました。

 富岡市は群馬県西部、地元では「西毛(せいもう)地域」と呼ばれるエリアの中心都市の1つです。近年では「富岡製糸場のまち」として脚光を浴びておりまして、2007年1月には世界遺産暫定登録リストに「富岡製糸場と絹産業遺産群」として搭載されたこともあいまって、富岡製糸場の見学者が急増しています。富岡製糸場は、日本最初の官営工場として、1872(明治5)年に操業を開始しました。当時日本の重要な輸出品であった生糸の生産量を増やすことが必要とされていた時代背景の中での製糸場建設でした。富岡を含む上州は伝統的な機業地域であり生糸の原料である繭を安定的に確保することができたこと、工場の運営に必要な用地と水、そして燃料である石炭を用意することができたために、富岡が適地と判断されたのだそうです。1987(昭和62)年に操業を終了、現在は近代化遺産として富岡市に寄贈され、同市による管理がなされています。製糸場の施設群は富岡市街地のなかにあるといってよいような場所に立地します。私がフィールドワークに訪れた1月28日も、暫定登録リスト搭載のニュースの直後であったことも手伝って、多くの人々が製糸場の見学に訪れていました。壮観な規模を誇る2棟の繭倉庫と、現在でも繰糸機が置かれている繰糸場などの一連の施設が整然と建てられていまして、近代化に邁進した往時の地域の姿を今に伝えています。

貫前神社

貫前神社
(富岡市一ノ宮、2007.1.28撮影)
七日市藩邸跡

七日市藩邸跡(写真は残存する正殿、富岡高校敷地内)
(富岡市七日市、2007.1.28撮影)
宮本町

富岡市街地・宮本町の景観
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)
仲町の土蔵造

櫛渕邸
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)

 富岡の町を歩いていますと、市街地が大きく分けて2つの町場に分かれていることが実感できます。それは、「富岡」と「七日市」です。七日市は藩政期に「七日市藩」が置かれ、小藩ながらも城下町的な要素を持った地域で、県立富岡高校敷地となった旧陣屋跡には天保年間に建設された正殿が現存しています。一方の富岡は現在の南牧村方面から採鉱された砥石輸送の中継地として江戸期に計画的につくられた町場であるといいます。立地的に七日市の町と隣接していることから、城下町と一体化した町場ともとれなくありません。しかしながら、前述のとおり七日市藩が相対的に規模の小さい藩であったことから、富岡-七日市の市街地連合は鏑川流域における中心地としての正確がより明確であったと思われます。

 市街地はほとんど連担し、ひとつの市街地として機能する両町場は、一方で国道254号線上においては両町の境界で鉤の手状にクランクがあるのが目を引きました。地域コミュニティとしては一定の独自性を有している面があるいは大きいのかもしれません。富岡製糸場が富岡と七日市の境界に位置していることもどことなく示唆的です。なお、富岡製糸場の住所は「富岡市富岡1番地1」で、近代以降の富岡市がこの工場の操業とともに始まった史実を象徴しているようにも感じられます。

繭倉庫

富岡製糸場・東繭倉庫
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)
繰糸場

富岡製糸場・繰糸場
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)
仲町

富岡市街地・仲町の景観
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)
鉤の手

国道254号、富岡と七日市の間の鉤の手(クランク)
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)


国道254号線・七日市地区の景観
(富岡市七日市、2007.1.28撮影)
倉庫

上州富岡駅付近の倉庫群
(富岡市富岡、2007.1.28撮影)

 市街地にある「遊YOUプラザ」という案内所でいただいた「富岡の町並み地図(マップ)」というパンフレットを片手に、市街地を散策しました。自動車を中心とした現代の交通・流通構造に併せて道路や市街地区画の体系も大きく変化する中にあって、市街地の元来の構造はそれらに埋もれながらも一定の存在感を持っていました。富岡製糸場正門から東へ向い、消防団の望楼として使用されていたという展望塔を持つ時計店のある交差点が、富岡の町のかつてのメインストリートの接点です。ここから東へ、富岡警察署南で丁字路にぶつかるあたりまでが「仲町」、そして時計店から北へ、国道254号線までが「宮本町」で、先に紹介した七日市との町界にあるクランクまでの「上町」と合わせて、富岡市街地の中心部が形成されました。中心市街地として、また商店街としては活気のあるまちとはいえない雰囲気は、日本の中小都市の多くが抱える現状と同質のものといえるのだと思います。しかしながら、ガイドマップが紹介する近代以降の建造物は、それぞれに見ごたえがあります。富岡製糸場の建設関係者が住んでいたと伝えられる長屋や、富岡を代表する富豪であった生糸商や呉服商などの各種の土蔵建築など、富岡における近代化の過程における躍動が伝わってくる建物たちは、穏やかな町並みにあって、富岡製糸場と有機的につながった活気ある町場として成長してきた「富岡」の歩みを溶け込ませた、生きた記憶といえるのではないでしょうか。

 富岡警察署南から東の瀬下(下町)地域を確認した後、上述の富岡の旧街路筋を西へ進んで、富岡と同様に多くの土蔵建築が残り町場としての雰囲気を濃厚に残す七日市の町並みも確認し、自家用車を駐車していた市役所方面へ戻りました。市役所には世界遺産暫定登録リストへの搭載を知らせる懸垂幕が掲げられていました。市役所の向かいには養蚕農家の組合が建設した生糸倉庫を端緒とする煉瓦造りや石造りの倉庫が立ち並び、旧製糸場のある町・富岡を印象づけているようでした。上信電鉄・上州富岡駅は倉庫群の目と鼻の先にあります。小ぢんまりとした駅舎へ向かっても商店街が連続し、藩政期における中堅の中心地が明治期以降製糸場と鉄道駅を結節点として町場を再編成させてきたストーリーを感じさせました。


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