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関東の諸都市・地域を歩く


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#3 高崎市街地と観音山 〜青葉にあふれる町〜

高崎は、まさに青葉のたおやかさの中で、輝いているようでした。小学校の遠足で、観音山のカッパピア(遊園地の名前です。2003年11月30日に、惜しまれながら閉園しました)を訪れ、大きな観音様を見上げて以来、乗り換え等で駅前を歩いた程度しかなかった高崎の町を歩いて、素直にそう感じました。観音山の緑はもちろんのこと、市役所や高崎公園、城址周辺の木々の緑も実に瑞々しく、活気ある町を爽快に彩っているようでしたね。今回は、そんな晩春の高崎の町をダイジェストでご紹介いたします。

八幡大門(鼻高橋)にて碓氷川を渡り、縁起だるまの市が立つことで知られる達磨寺のたもとを通り、観音山へと向かいます。観音山丘陵は穏やかな山容を見せつつも烏川に迫っているように見えるのですが、烏川に近いあたりは意外にも平坦な土地が広がっています。片岡町、八千代町、聖石町といった住居表示が施行されている一帯は、郊外型の店舗が建ち並ぶ一角もある、開放的な住宅地が展開していましたね。和田橋から続く道を右折し、観音山を登り始めます。護国神社の手前で、山道になります。周囲の木々は太陽の光を透かして、若々しい緑がまぶしいですね。観音山頂の市営駐車場から望む高崎の市街地は、山の緑を基盤として、烏川の河川敷の向こう、銀色に燦然と耀く市役所の建物に颯爽と寄り添っているようでした。

百衣観音より眺望
白衣大観音
高崎市街地と前橋市街地・赤城山
(高崎市乗附町、2004.4.24撮影)


白衣大観音
(高崎市乗附町、2004.4.24撮影)


観音山・浅間山方向

観音山・浅間山を望む
(高崎市乗附町、2004.4.24撮影)
中央は高崎市役所

高崎市街地遠景
(高崎市乗附町、2004.4.24撮影)

上毛かるたに、「白衣観音慈悲の御手(みて)」と詠まれ、市民に親しまれている白衣(びゃくい)大観音は、1936(昭和11)年に建立されたもので、高さ41.8メートル、重量5,985トンの観音像です。山頂にゆったりと立ち、高崎の町を見下ろしています。胎内拝観も可能です。9層からなる胎内を上り詰めますと、小窓から上州の山々が一望の元に見渡せます。赤城山、榛名山、妙義山の上毛三山をはじめ、日光連山、武尊山、谷川岳、浅間山、荒船山などをこの日はくっきりと望むことができました。赤城山の麓に展開する高崎市街地も手にとるように把握でき、その北東方には、群馬県庁のビルを中心とした前橋の町も見通せまして、双子都市が独立した市街地を形成しながらも、市街地が連担している様子が見て取れます。

観音山を後にして、市街地へと向かいます。烏川の流れを越えますと、高崎市役所のビルがより一層際立ったスカイラインを見せています。周辺には、群馬音楽センターやシティギャラリーなどの文化施設が立地し、街路樹や公園の木々が美しい、うるおいの溢れるエリアとなっています。この一帯は近世には高崎城が所在しており、市役所から音楽センター、NTT東日本支店と並ぶエリアの東縁、ちょうど高松町の範域の東側の境界には連続してお濠が作られていまして、市役所の東南付近などには土塁も見られます。かつて市役所が立地した「もてなし広場」の南東、音楽センターの東には、旧高崎城の東門の建物が佇みます。市役所南の高崎公園には、県指定天然記念物のハクモクレンをはじめとした豊かな緑が配されていまして、ここから眺める烏川と観音山の緑たなびく稜線は青空にくっきりとみずみずしさを伝えて、そのグラデイションは筆舌に尽くし難いほどのやわらかさです。

市役所前にあります

弦楽器をモチーフにしたモニュメント
(高崎市高松町、2004.4.24撮影)
高崎城東門

高崎城東門
(高崎市高松町、2004.4.24撮影)
群馬音楽センターと市役所

群馬音楽センターと市役所
(高崎市高松町、2004.4.24撮影)
烏川と観音山、高崎公園より

烏川と観音山、高崎公園より
(高崎市高松町、2004.4.24撮影)

市役所前からゆるやかなカーブを作る道を東に進みますと、JR高崎駅の西口に至ります。駅に向かう手前、新町から連雀町、田町へと連なる南北の通りは、アーケードが作られています。この商店街は、城下町形成以来、高崎における伝統的なメインストリートとしての歴史を歩んできました。その繁栄振りは、「お江戸見たけりゃ高崎田町」と評されたほどの、高崎にとっては押しも押されもせぬ中心商店街でありました。このエリアは、多くの地方都市のそれが直面しているように、商況的には厳しい状況下にあるようです。宇都宮や水戸では、そうしたトラディショナルな中心地はその重厚さを髣髴とさせる雰囲気を醸していました。高崎では、そうした町としての凄みというものが相対的に薄いのではとも感じました。ちょっと歩いただけでそのように断じるのは危険ではあります。しかしながら、それが新町から、連雀町へアーケードの下を歩いてみての率直な感想だったのです。

連雀町の交差点からは、一転して人の流れが多くなります。西のスズランがあるあたりから、高島屋へと至るこの通りは、「大手前通り」と呼ばれているようです。街灯にそのように記されていました。駅に近づくにつれて、人通りはさらに増えていきます。店先が人で溢れる店も多くなります。町並みを見ますと、商業ビルや業務ビルが建ち並ぶ一方で、空き地も多く認められます。また、高島屋東の道路も、近年拡幅が進められたような感じに見えました。交差点の多くは、ごく最近歩車分離式に設計変更されたようで、駅前の散策がしやすくなっているようでした。比較的コンパクトにまとまった高崎の市街地は、エリアごとにその変化の速度に変化を含みながらも、巧みに新陳代謝を行いつつ、生まれ変わろうとしている途上にあるのかもしれません。しばらく街を離れて、再び訪れてみるとある店がなくなっていたり、かと思うと別の店が生まれていたりと、必ず新しい発見がある、というのは、最近、高崎にゆかりのある方からいただいたお話です。

伝統的な中心商店街

伝統的な中心商店街
(高崎市新町、2004.4.24撮影)
JR高崎駅前(通りの向こうの建物は市役所

JR高崎駅前
(高崎市八島町、2004.4.24撮影)
大手前通りの景観

大手前通りの景観
(高崎市通町、2004.4.24撮影)
JR高崎駅

JR高崎駅
(高崎市八島町、2004.4.24撮影)

前橋は、「水と緑と詩(うた)のまち」として自らをPRしていますが、高崎もまた水と緑の町であると実感しました。観音山の緑と、烏川の水の清しさは、この町の活気溢れる趨勢とあいまって、この町の若々しさを盛り上げているように思いました。これからも、群馬県をリードする経済都市・文化都市として、かくあってほしいな、と切に感じました。

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