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関東の諸都市・地域を歩く


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#4 浦賀・久里浜を歩く 〜歴史の町は房総を望む〜

京急浦賀駅を出て、浦賀港東側、観音崎へ向かう県道を歩き始めました。道路の西側はドックを介して海に隣接し、東側は高層住宅や個別住宅の建つすぐ裏手まで丘陵が迫ります。丘陵の樹相はてかてかと輝く葉の目立ち、海岸沿いの比較的温暖な地勢を感じさせます。丘陵に寄り添うような住宅地に「八雲神社」というお社が佇んでいました。境内には地区の集会所も立地しています。浦賀行政センターの「市民協働事業」によるこの神社の説明書きによりますと、もとは大谷山満宝院八雲堂というお寺だったものが、明治期の廃仏毀釈により神社に変わったものであるとのことで、そのため鳥居がないのだそうです。お堂はお寺のまま使用されているようで、庇の下の龍の彫刻も見事なつくりです。神社の傍らには、お寺だった当時に屋根に載っていたという宝珠が展示されていました。ここからも、住宅たちに遮られながらも、海が眺望できます。内湾からさらに丘陵性の陸地に湾入している浦賀の海は、初冬の陽光を受けてどこまでも穏やかに微笑んでいるように見えました。浦賀の渡しに乗船し、浦賀の港を東西に横断しますと、鮮やかな緑に囲まれた静かな浦が、果たして展開していました。その平穏な佇まいは、ドックや係留されている船のいかめしさを緩和して余りあるもののように感じられました。

浦賀渡船より浦賀港を撮影

浦賀渡船より浦賀港を撮影
(横須賀市浦賀港、2004.11.21撮影)

浦賀の町並み

浦賀の町並み
(横須賀市西浦賀町一丁目、2004.11.21撮影)

西叶神社

西叶神社
(横須賀市西浦賀町一丁目、2004.11.21撮影)
愛宕山公園より浦賀港を眺望

愛宕山公園より浦賀港を眺望
(横須賀市西浦賀町一丁目、2004.11.21撮影)


渡しを降りますと、目の前には西叶神社が鎮座します。1842(天保13)年に再建されたものが今に伝えられる社殿は、約3,000両の巨費が投じられたという記録があるそうです。名工と謳われた彫刻師後藤利兵衛橘義光の手になるという、社殿内部の精巧な彫刻には、その再建費用の7分の1にもあたる約411両が費やされたとのことです。このことは、奉行所が存在し廻船問屋がひしめき隆盛を極めた浦賀の往時を示すものといえるのかもしれません。西叶神社の鳥居前付近から南へ、海岸伝いに建ち並ぶ浦賀の町並みは、首都圏の巨大な人口の受け皿の一翼を担う横須賀市にあって、そんな昔語りな町並みが残るエリアとなっているようです。「廻船問屋跡」と題された、やはり浦賀行政センターの事業による説明書きの背後には、時代を経た格子戸や木壁の美しい商家が並んでいました。一般に、廻船問屋というと、自ら廻船を所有し、瀬戸内海から日本海沿岸の広範囲にわたって各地の産物を広く商った商人のことを呼びます。浦賀では、こういった商人に加えて、船を持たずに奉行所の役人の指示に従って御番所にて船の荷改めを行った商人のことも「廻船問屋」と呼びならわしていたのだそうです。この町並みが展開する一帯は住居表示されて、押しなべて「西浦賀町〜丁目」という住所になっている一方、地元町内会は「紺屋町」や「宮下町」、「川間町」などの旧町名単位に組織されているようで、このあたりからも港町あるいは問屋町としての浦賀の町のにおいを感じ取ることができました。それぞれの町名には、その名の由来が“例の”案内表示に語られています。ユニークな雰囲気の「蛇畠(じゃばたけ)町」の場合は、町の周囲に蛇のように細長い畠(畑)があったことがその由来であるとのこと。町の背後の高台である愛宕山公園からは、浦賀の港と町、丘陵の緑、小波たゆたう海をゆるやかに眺めることができました。視線を遠くにやると、房総半島の山なみも目と鼻の先に展望されます。

そんな房総がより間近に、美しい海岸景観とともにダイナミックに見通せる場所が、浦賀と久里浜の間に突き出した灯明崎でした。ここは、1648(慶安元)年に幕府の命により日本式の灯台である「燈明堂」が建てられた場所です。この灯台は1872(明治5)年まで使われたとのことで、現在、その燈明堂が復原されています。西浦賀の町並みを抜け、海岸沿いの高層住宅やマリーナのある一帯を通過しますと、久里浜へ抜ける新長瀬トンネルの手前、灯明崎へ向かう道が分岐します。ここからは浦賀の遠景、鴨居・かもめ団地の建物群も美しく見通せます。そして何より浦賀水道のクリアな海の向こう、房総半島の山々が実に軽やかに、さわやかに望むことができます。このエリアには海と山なみとを美しく眺望できるスポットが点在しています。灯明崎はそれらの中にあって比較的静かな雰囲気の漂う場所であるように思いました。

灯明崎を後にして、自衛隊病院や港湾空港技術研究所のある長瀬を過ぎると、久里浜の町へと至ります。ペリー通りの接する砂浜には多くの人々がバーベキューや釣り、その他のマリンレジャーなどで楽しいひと時を過ごしているようでした。火力発電所や工場群も立地する久里浜港の海もたいへん穏やかで、やはり房総の大地がくっきりと確認することができました。周知のとおり、久里浜港からは房総・金谷行きの東京湾フェリーが発着しています。浦賀よりは湾が広いこともあり、どことなく開放的な雰囲気です。港に接して、ペリー来航・上陸を記念した「ペリー公園」。開放的なイメージに呼応するかのように、上陸を記念した大きな石碑を中心とした、シンプルなつくりの広場です。「泰平のねむりをさますじょうきせんたった四はいで夜も寝られず」と刻まれたモニュメントもありました。京急久里浜駅の西側にはアーケードを伴ったやや密度の高い商店街が形成され、通りを行く人並みも活発です。駅ビル「ウィング」も多くの買い物客で溢れていました。同ビル内の東急ストアには三崎漁港で朝水揚げされるという新鮮な魚が扱われているのが目を引きました。

灯明崎より房総半島を眺める

灯明崎より房総半島を眺める
(横須賀市西浦賀町六丁目、2004.11.21撮影)


灯明崎、燈明堂模型

灯明崎、燈明堂模型
(横須賀市西浦賀町六丁目、2004.11.21撮影)

久里浜港、房総の山並みを望む

久里浜港、房総の山並みを望む
(横須賀市久里浜七丁目、2004.11.21撮影)
ペリー公園

ペリー公園
(横須賀市久里浜七丁目、2004.11.21撮影)

横須賀というと、首都圏の住宅都市とか自衛隊の駐屯地とか、米軍の施設などがしばしばクローズアップされるようです。私自身はこのことについて実感として認識を十分に持っておりません。浦賀から久里浜への踏破の中で、海山のヴィヴィッドな色彩、なめらかな波涛の容貌、そしておよそ10キロメートル先に横たわる房総半島のたおやかさとがただ印象に残りました。この町のこういった穏やかな一面がもっと注目されてもいいのではないかな、とも思えるのでした。


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