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関東の諸都市・地域を歩く


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#38 真壁、蔵造りの家並 〜登録有形文化財に溢れる町〜

 下館から東へ、黄金色に染まりつつある田園風景の中を進みます。秋空の向こう、筑波山の山容もくっきりと稲の穂波の彼方に確認できます。市名ともなっている桜川の穏やかな流れを越えると、桜川市役所の真壁庁舎に到着しました。桜川市(さくらがわし)は2005(平成17)年10月1日、西茨城郡の岩瀬町と真壁郡の真壁町、大和村が合併して成立した新しい市です。桜川の流れと水田とを介して望む筑波山はたいへん凛々しい姿をしているように感じられました。

 真壁は藩政期の町割りを色濃く残すエリアとして知られています。戦国時代、真壁氏が築城した城の城下町として町割の基礎が形成され、その町並みは江戸初期までには完成したと言われているのだそうです。江戸期は笠間藩の陣屋町として過ごし、この地方の商業中心地として栄えました。江戸末期から明治・大正期にかけてたくさんの蔵や門が建てられ、現在でも260棟あまりの見世蔵や土蔵、門などが残されています。旧筑波鉄道の廃線跡をサイクリングロードとして再整備し、その休憩施設となっている旧真壁駅付近に設置された観光駐車場に自動車を止めて、町並み散策をスタートさせます。

筑波山

桜川付近から見た筑波山
(桜川市真壁町飯塚、2007.9.8撮影)
猪瀬家

猪瀬家・薬医門
(桜川市真壁町真壁、2007.9.8撮影)
上宿通り

上宿通りの景観
(桜川市真壁町真壁、2007.9.8撮影)
潮田家

上宿通り・潮田家
(桜川市真壁町真壁、2007.9.8撮影)

 古くからのメインストリートと思われる「上宿通り」を西へ進みます。真壁の町並みの特徴は、多くの建物がまとまって国の登録有形文化財に指定されていることです。その数なんと104棟にものぼります。程なくして到達した猪瀬家の建物もそんな登録有形文化財の1つです。木の格子壁に屋根つきの土壁が載せられた奥ゆかしい意匠の壁に囲まれた猪瀬家は、シンプルながらも格式を感じさせる薬医門が風格を感じさせる建物です。通りを歩いていますと、そんな豊かな歴史性を感じさせる門を持つ家々(土生都家や根本医院など)や土蔵や昔ながらの酒蔵が印象的な村井醸造、平入の穏やかな佇まいが印象的な伊勢屋旅館などの建物郡が、現代風の商店の間にのびやかに点在しています。近世以降そのままの風合いを残す建物がここまでの規模で残され、かつ現役の市街地として時を刻み続けている地域は全国的に見ても珍しい部類に入るのかもしれません。

 寄棟造に黒壁の重厚な表情を見せる潮田家の手前を右折(北)に入り、御陣屋前通りと呼ばれる通りを進みます。関ヶ原の合戦後、真壁藩(後に笠間藩に併合)の城主となった浅野氏が、五間堀と土塁に囲まれた陣屋をつくり新たな拠点としました。その陣屋前に五十間の長屋が造られており、その長屋に面していたことから「御陣屋前通り」と呼ばれ現在に至るものであるもののようです。この通りにも見世蔵や町屋造りの町並みが穏やかに残されていまして、快い散策を楽しむことができました。そんな中で、近代風の建築である旧真壁郵便局の建物が目を引きました。現在は「町並み案内所」として利用されているようでした。旧真壁郵便局はセメント洗出しで石積み風に仕上げた外観が簡素でしなやかな雰囲気の建物です。1927(昭和2)年に第五十銀行(現・常陽銀行)真壁支店として建設され、1956(昭和31)年からは真壁郵便局局舎として、1986(昭和61)年まで使用されてきたものであるとのことです。

御陣屋前通り

御陣屋前通りの景観
(桜川市真壁町真壁、2007.9.8撮影)


御陣屋前通り、旧真壁郵便局(左)
(桜川市真壁町真壁、2007.9.8撮影)
仲町通り

仲町の通りの景観
(桜川市真壁町真壁、2007.9.8撮影)
旧真壁駅

旧真壁駅(サイクリングロード休憩施設)
(桜川市真壁町古城、2007.9.8撮影)

 現代建築の商店と昔ながらの土蔵や町屋とが交錯する御陣屋前通りと進み、仲町通りを右へ折れて、東へ進んできます。常陽銀行の支店付近はやや商店が集積しているものの、東へ進むにつれて徐々に家並みが疎になって、筑波山の穏やかな山並みも垣間見えるようになってきます。その家並みが途切れる先に、木々に覆われた旧真壁駅周辺の休憩施設がありました。かつての駅前には得生寺や不動尊、常永寺などの寺院が並んでいまして、かつての陣屋町の町外れとしての位置づけにあったエリアであったことを実感させました。サイクリングロードとなった駅の跡はプラットホームの形がほぼそのまま残されていまして、対岸のホームから線路を越えて手前側のホームに上る階段もほとんど昔のままに残されているようでした。

 地域の繁栄を今に伝えるたくさんの建物に溢れた真壁の町並みは、相対的に静かな在郷の一中心となった現在においても、その輝きを失っていないように感じられました。規模の大きい城下町が藩域を全体にわたって支配した藩政期の都市構造がそのまま息づいて、日本の多くの地域では単独の規模の大きい中心都市がその地域をその都市圏内に組み込むことが多い中にあって、関東平野は例外的に大藩が置かれず、小藩や天領、旗本領などがモザイク上に分布する都市配置がなされました。その結果、比較的規模の似通った中小の都市群がまばらに立地し、小規模な都市圏が細胞のように連接する都市構造が生まれたと言われています。そうした都市たちは、個々に一定の中心性を保ちながら豊かな町並みを形成し、明治期以降の都市化や交通流動の変化、生活圏の広域化・多様化の時代を経ながらも、その姿を今にとどめてきました。真壁の町並みはその歴史的資産としての重みのほか、そうした時代の変遷を織り込みながら、今を生きるその姿こそ、格別の素晴らしさであるといえるのかもしれません。

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