Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 関東の諸都市地域を歩く・目次

関東の諸都市・地域を歩く


#39(高麗郷編)のページ

#41(草加編)のページへ→

#40 渋川市街地を歩く 〜変わり行く要衝の町並み〜

 2007年10月20日、旧子持村の白井宿を散策した後、吾妻川を渡って渋川の市街地へと進みました。市街地の東をバイパスで抜ける国道17号は交通量も多く、モータリゼーションの進行した当地の地域性を如実に反映していました。伝統的な渋川の中心市街地の南、住所では「渋川」地区(旧渋川市時代は大字地名が無く「渋川市○○番地」という住所でした。渋川市街地では正式な住所には入らない小字的な町名による町会が設定され、日常的に使用されています。)外の石原地区に立地する市役所に自動車を駐車して街中散策へと出発します。

 市役所から北へ200メートルほどの場所を東西に貫通する大通りは「市役所通り」と呼ばれ市役所への連絡路であるとともに、JR渋川駅前から伊香保・榛名山方面へ連接するルートともなる形をとっています。一見して中心市街地を取り巻く形で外環的なバイパスとして中心地機能を惹きつける上でのポテンシャルは高いように思えるのとは裏腹に商業的には厳しい雰囲気が濃厚に感じられまして、そうした需要が郊外の大規模店舗等にシフトしてきた地域性が見え隠れするようです。市立渋川中学校に西接する市役所第二庁舎の建物は2003年5月に閉店した旧ジャスコ渋川店の建物を継続して使用しているものです。市役所通りを東へ少し歩き、主要地方道高崎渋川線を北に折れて進みます。この県道はかつての三国街道を継承するルートで、現在でも「三国街道」の通称でも呼ばれる道路です。かつては高崎駅前から続く路面電車も走っていたのだそうです。

市役所通り

市役所通りの景観
(渋川市石原、2007.10.20撮影)
市街地

三国街道沿いの市街地景観
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)
平沢川

平沢川、三国街道より下流方向(左後方は赤城山)
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)
四ツ角

四ツ角(南から北方向)
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)

 道路を北へ進んでいきますと徐々に商店の密度が高くなって、中心市街地としての姿が明瞭になってまいります。市役所通りの沿線がバイパスとしての近代的な都市的要素を持ちながらも商業機能が十分に集積する場所とはならず半住宅地域的な雰囲気を呈するのとは対照的に、三国街道沿いの景観はまさに「商店街」そのものの様相で、個人商店が軒を連ねる構造はここがまぎれも無い、歴史のある町場であることを十分に示していました。「形」としては十二分に市街地としての器を備えている渋川の町も、わが国における多くの中小都市の例に漏れず衰退している感は拭い去れず、営業を終えて相当の時間を経たと思われる“元商店”や、既に空き地となった一角などがそれを物語っていました。

 榛名山が形成する緩やかな傾斜地に位置する市街地を軽やかに横切る平沢川の流れを介して、穏やかな市街地の姿と、下流方向に遠望される赤城山の山容とがさわやかに眼前に広がります。川の流れも清冽かつ颯爽とした印象で、渋川市街地周辺の自然豊かな環境を連想させます。平沢川より北の街道筋はさらに町場としての密度がより増して、ここが渋川市街地にとって重要なノードとなっていることを示しています。

駅前

渋川駅へと続く商店街(辰巳町)
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)
平沢川

渋川駅近くの平沢川
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)
駅前

「日本のへそ」日本列島の渋川の位置を示すモニュメント
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)
渋川駅

JR渋川駅越しに赤城山を望む
(渋川市渋川、2007.10.20撮影)

 到達する「四ツ角交差点」は、渋川市街地にとってたいへん重要な場所です。旧道路法下で道路の基点を示すベンチマークとして市町村に必置とされた「道路元標」が設置されていたのもこの四ツ角でした。このフィールドワーク実施より前に何度か渋川の町並みを見つめた際も、この四ツ角周辺の市街地の密度が渋川市街地の中では突出していた印象を受けたものでした。久しぶりの訪問となった四ツ角は、一転して空き地が目立つ相対的に閑散とした印象の巷へと変貌していました。これは四ツ角を中心とした9ヘクタールあまりの地域を対象とした土地区画整理事業が進捗しているためのようで、現地に設置されていた「町並みイメージ」と題されたイラストには、歩道や街路樹がゆったりと整備された現代的な景観が形成される予定であることが描かれていました。伝統的な市街地の中心として存立してきた四ツ角の昔ながらの都市景観に対し特別な思いを寄せる層も少なくないと思われます。そうした地域の「原風景」と現代的なまちの装いの中で創出される賑わいとが穏やかに結びつけられるようなまちづくりを期待したいと思いますね。

 四ツ角を東へ折れ、JR渋川駅方面へと向かいますと、そこは広い歩道にゆったりとした市街地が続くまさに現代的な町並みが続くエリアとなっていました。古くからの中心市街地が相対的に開発から取り残される中で、駅前を中心とした商業地の再開発や再整理が進んで、市街地の構造もそれに呼応して変容してきた過程をまさに認めることができる光景だと思います。平沢川沿いも穏やかなプロムナードとして整えられていました。駅前方面へ東南方向に斜めに市街地を貫く信号に「辰巳町」の地名を認めました。辰巳とは南東の方角を指しまして、その名のとおり、渋川駅は四ツ角から見て南東方向に位置します。市街地の南東の場末に停車場が完成し、郊外にあって比較的開発を行うことが容易だった駅前が時代を経るにしたがって徐々に新興の市街地として台頭し、それと反比例するように停滞した中心市街地との対比を見せるようになった渋川市街地の歴史が垣間見られるようです。

 利根川と吾妻川とが合流する谷口にあって古来より交通の要衝として成立してきた渋川の町は、モータリゼーションが進んだ現代においても、新旧の市街地の総体としては現に多くの交通量が収斂していまして、その意味においては今日もなお、重要な交通の結節点としての地位を維持し続けているようにも思います。新たに生まれ変わろうとする四ツ角の姿は、そうした趨勢を象徴しているといえるのかもしれません。その取り組みに期待する気持ちもある反面、再開発が行われる前の四ツ角の雰囲気もまた懐かしいと感じてしまいます。

#39(高麗郷編)のページ

#41(草加編)のページへ→

関東を歩く・目次へ    このページのトップへ    ホームページのトップへ

Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2009 Ryomo Region,JAPAN