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関東の諸都市・地域を歩く


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#46 蓮田から原市、上尾へ向かう 〜鉄道網に再編された地域構造(後編)〜

 蓮田市街地周辺のフィールドワークを終えて、自家用車を原市へ向けて走らせました。1966(昭和41)年に造成された原市団地は高度経済成長期の公団住宅の典型的な景観を今に伝えていました。こうした団地造成にみられる都市化の態様の中でも、背後に展開する水田や多くの用水路のある風景は、藩政期における新田開発の残像や、近代に至るまで継続的に実施されてきた河川改修の歴史の積み重ねが織り成す縮図のように感じられます。その一方で、比較的小規模な都市群が展開する景観は、江戸期には江戸防衛などの目的から大藩が設置されず、小規模な藩や天領、旗本領や知行地などがモザイク状に分布してきた関東平野の特徴をそのまま反映しています。このことは裏を返せば、宿場町や市場町など、周囲より中心性が相対的に高かった町場はそれだけ明治以降近代都市として成長する過程において高いポテンシャルを有していたといえます。
 
 前項のとおり近代以降の都市の成長力は鉄道網の存在によって大きく左右され、鉄道を得た町場は少なからず成長の恩恵を受けることができたものの、その発育の度合いは近世までに既に形成されていた町場としての潜在性によって規定されました。逆に町場として一定の集積性をもったまちでも、近代的な都市化を牽引した鉄道網から外れたエリアにあっては、相対的に都市としての成長は限定されざるを得なかったものと思われます。蓮田はそうした鉄道網を得たが町場としてのポテンシャルが相対的に小さく比較的穏やかな都市化にとどまった例としてみなすことができるとしますと、これから向かう原市は、市場町としての背景から町場としてのポテンシャルは高かったものの、それを近代以降の都市化へと結びつけることができなかった例ということになるのかもしれません。

原市団地

原市団地の景観
(上尾市原市、2008.1.6撮影)
原市

原市大通り、酒店前の景観、奥に火の見櫓
(上尾市原市、2008.1.6撮影)
氷川神社

氷川神社
(上尾市原市、2008.1.6撮影)
原市

長屋門のある旧家
(上尾市原市、2008.1.6撮影)

 原市は、その名が示すとおり戦国期から市場町として存立してきた町場で、藩政期には中山道の脇往還のルート上にも位置していたようです。江戸期には三・八の六斎市(月に6回、3と8のつく日に開催された市のこと)の立つ活気溢れる市場町として賑わいを見せていたようです。ガンセンター入口交差点から南へ続く「原市大通り」(県道5号)を歩きます。周辺は武蔵野の原風景的な景観である雑木林と畑とが穏やかに展開する中、落ち着いた雰囲気の住宅地の風景が連続していきます。バス停に「上新町」の名が見え、原市の歴史性が垣間見えます(上尾市が採用する行政区では「原市一区」に包含されているようです)。

 しばらく南へ進みますと、現代の建物や商店に混じって、切妻屋根を庇のように道路に張り出させた町屋造りの建物や、蔵が多く連なる酒屋など、伝統ある市場町であったことを今に伝える事物が点在するようになります。造り酒屋として相当な規模を擁したと思われる蔵や木塀の残る姿は、古き時代の原市を想起させるに余りある風景です。道路を挟んだ向かいには、これもまた赴きのある風情を醸す火の見櫓と、原市の鎮守として親しまれているという氷川神社の鳥居とが佇んでいます。さらに南に進みますと、ニューシャトルの沼南駅や原市駅が近くなり、次第に全国にチェーン展開するカレー店の店舗やアパートなどの建物も増えて家並みはさらに現代的な雰囲気を加えて生きます。その中にあっても蔵造りの建物も残されていまして、町並みを奥深いものにしているように感じられます。原市三区公民館周辺に設置されたバス停は「仲町」。このあたりが原市の町場の中心であったのでしょうか。近くには壮大な長屋門を構える旧家もあります。

町屋造

町屋造の旧家
(上尾市原市、2008.1.6撮影)
相頓寺

相頓寺・鐘楼門
(上尾市原市、2008.1.6撮影)
駅前

JR上尾駅前、旧中山道
(上尾市宮本町、2008.1.6撮影)
駅前通

JR上尾駅へ向かう通りの景観
(上尾市宮本町、2008.1.6撮影)

 県道を西へ折れて路地に入り、相頓寺の鐘楼門を一瞥しながら、原市の町並みの西側を颯爽と抜ける県道5号の新道を北へ戻ります。竹林や畑地、住宅地などが軽やかに展開する景観を進むバイパスはやがてロードサイド型店舗等の立地を見るようになるのでしょうか。現在の原市の町並みとの関係も気になるところではあります。

 蓮田から原市へと続けてきたこの日のフィールドワークの最後は、上尾へ。国道17号沿いに現代的なビルとなって屹立する上尾市役所からJR上尾駅までを往復します。国道17号、駅前へ至る県道150号と進むにつれて町並みは密度を増して、個人商店が立ち並ぶ景観からオフィスビルや商業ビルなどが中心となる表層へと瞬く間に変化していきます。駅前を通過する県道が旧中山道にあたるようで、この一帯がかつての上尾宿の宿場町であったことになります。しかしながら大都市圏近郊の中規模のターミナル駅のまさに目の前となった今、ここは地元資本の百貨店やマンション、多くの商業系ビル群などによって大きくその町並みを変化させたようで、色とりどりのビオラが美しいプランターなどの陰に隠れるようにひっそりと置かれた「中山道上尾宿」の説明版や、上尾宿の総鎮守である氷川鍬神社の佇まいなど、宿場町としての歴史を視覚的に感じさせる事物はかなり限られているようにも見受けられました。説明版によると、中山道六番目の宿駅となった上尾宿の中心は現在の仲町一丁目付近で、本陣や脇本陣、問屋場などが整備され賑わいを見せたとのことです。上尾の町が失ったものの多くを原市が持っているように感じられて、この2つの町場が現在同じ市域に組み込まれていることとも相まって、興味深く両地域を歩くことができました。上尾市内にはまた荒川の水運で発達した「平方」という町場の存在も見逃せません。

 鉄道開通後に町場を発達させたものの潜在的規模が相対的に小さく、小規模な大都市圏近郊都市となっている蓮田、藩政期、大規模な都市の成長が抑制された中にあっても比較的規模の大きい市場町として成長を見せながらも近代以降の都市軸からは外れて穏やかな住宅地域として今を迎えている原市、そして中山道の宿駅から幹線鉄道の駅設置を受けて成長し、大都市圏近郊エリアにおける中規模のターミナルとしての成長を見た上尾。三者三様の姿を目の当たりにしながら、地域の個性やそのあり方について大いに思いをめぐらしたフィールドワークとなったと思います。

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