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関東の諸都市・地域を歩く


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#68 久留里散策 〜山あいの旧城下町を歩く〜

 2010年2月20日、木更津市街地のフィールドワークを行った後、JR木更津駅から列車を利用し、小櫃川上流の久留里へと向かうことにしました。久留里へはJR久留里線が連絡しています。小櫃川流域ののどかな田園風景を行く車窓風景を眺めながら約50分の乗車で、小ぢんまりとした駅舎の久留里駅に到着しました。小櫃川流域ではあるものの、行政的には君津市の範囲となります。

久留里駅

JR久留里駅
(君津市久留里市場、2010.2.20撮影)
久留里商店街

久留里商店街の景観
(君津市久留里市場、2010.2.20撮影)
久留里交差点

久留里交点
(君津市久留里市場、2010.2.20撮影)


安住地区の景観
(君津市久留里、2010.2.20撮影)

 久留里は戦国時代における城郭の立地場所として始まり、近世は城下町として過ごしました。現在駅前の国道沿いにある商店街はこの藩政期の城下町を基礎としていまして、廃藩後も交通の要衝として市が立つなど一定の中心性を保持してきました。久留里の商店街が立地する市場地区は、これまで沖積平野を形成してきた小櫃川が丘陵地に分け入る位置にあることやその地名から、城下町というよりは谷口集落として伝統的に位置が立つ町場であったのかもしれません。駅前には君津市に合併される前は上総町の中心集落であった久留里の治世を反映して公民館が建てられていました。君津市への合併後も地域の交流拠点としての役割は維持されていまして、訪問時には新しい地域交流施設(地域交流センター;君津市の行政センター・東部土木事務所が入居し、現在は公民館機能も当施設に移転)の建設が進められていました。現在施設は完成し、駅前には現代的なロータリーが整えられているようです。駅を後にして商店街に入り、まずは北の方向(小櫃川の下流方向)へ町を散策しました。

 城を模したアーチが目を引く商店街は昔ながらのたたずまいが印象的です。通りに面して町屋が軒を連ねる風景は長く地域の中心地として栄えてきた歴史を語りかけているようにも感じられます。モータリゼーションの進展等で往時の中心性は失われて久しいものとも思われますが、沿岸部の商業地などとは一定の隔絶性があるため、金融機関の支店が認められるなどローカルな商業中心としての地位はまだまだあるようにも思われました。久留里はまた環境省選定の「平成の名水百選」に選定される名水の里としても知られています。街角の至るところに上総掘りと呼ばれる技術によって掘られた井戸があって、地下水が自噴する様子を見ることができます。その豊かな水資源は町民の生活を支えたほか、醸造元など水を利用した産業をも存立させていました。



久留里城からの俯瞰風景(写真右奥が久留里駅付近の市街地)
(君津市久留里、2010.2.20撮影)


久留里城址の模擬天守
(君津市久留里、2010.2.20撮影)
生きた水・久留里

久留里市街地で見かけた井戸
(君津市久留里市場、2010.2.20撮影)
久留里駅西側

久留里駅西側の風景
(君津市久留里市場、2010.2.20撮影)

 再び来た道を戻り駅前を通過、久留里交差点まで到達した後交差点を東へ折れて静かな住宅地を進みますと、市が継承遺産として指定した「久留里の大井戸」(現在は非使用)のある場所へと行き着きました。商店街を外れた集落景観は落ち着いた佇まいで、ここが山に抱かれた場所であることを実感させます。城下町として市場町が形成された場所が現在「久留里市場」(もとは単に「市場」という地名でしたが、君津町(現在は市)に合併する際他に「市場」という地名があったため、「久留里」の名を冠したものです。)であるのに対し、久留里城下であった場所は「久留里」の住所になっているようです。久留里小学校近くは町と一体的な市街地を構成しながらも、住所は「久留里」となっていて、市場から南に位置した久留里城下の飛地的な侍屋敷のあった場所であったようです(安住(あんじゅう)地区」と呼ばれています)。江戸時代中期に将軍に仕えいわゆる「正徳の治」を推進した儒学者新井白石が一時久留里藩に仕えていた頃の居宅跡もここ安住の侍屋敷地内とされています。

 眞勝寺の境内を通りながら再び国道に出て、久留里城下に否定されるエリアへと向かいました。国道は蛇行していた小櫃川のかつての流路を避けるように進んで、久留里の集落へとつながっていきます。現在集落や農地が展開している場所は概ね城の三の丸であった場所であったようで、城郭は丘陵を上った高台にありました。現在二の丸跡地には資料館が、本丸跡地には模擬天守がつくられて、かつての城を偲ぶよすがとなっています。久留里城は築城後3日に1回雨が降ったとされることから「雨城(うじょう)」の別名があることが語られていました。城跡からは眼下にのびやかに広がる久留里の山里を眺めることができました。城跡からの帰路、久留里市場の街並みの中で、往路では安住地区を経由していたために見ていなかったこんこんと湧き出る井戸の前を通りました。三方を海に囲まれ、下総エリアにおける大地と平野の広がる風景に見慣れていた私にとって、房総半島の只中にこれほどまでに豊かな表情を見せる山並みと町並みとに出会えたことは、とてもうれしい再発見でありました。

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