Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > 関東の諸都市地域を歩く・目次

関東の諸都市・地域を歩く


#68(久留里編)のページ

#70(関東山野の桜編)のページへ→

#69 所沢概観 〜日本航空発祥の地を行く〜

 2010年4月3日、都心縁辺部の台地末端を歩きながら池袋駅に至り、西武線を使って所沢へとやってきました。準急でも約30分の所要で到達する県西部の中心都市の駅前は、想像以上に繁華な印象でした。この日は駅前を概観した後、桜の名所としても知られる所沢航空記念公園を訪れました。穏やかな春の日差しを浴びた桜はここでもちょうど見頃を迎えていて、多くの人々が訪れていました。

所沢駅

西武所沢駅前
(所沢市日吉町、2015.2.1撮影)
プロペ通り

プロペ通り
(所沢市日吉町、2015.2.1撮影)


プロペ通りの景観
(所沢市日吉町、2015.2.1撮影)
ファルマン通り交差点

ファルマン通り交差点
(所沢市東町、2015.2.1撮影))

 現在主要都市となっている市の多くは、近世以降町場として栄えた一定の基盤を持っていたことは、これまでもしばしば触れています。県域中心都市か、それに比肩する規模を持つ都市の場合は、それが城下町の形成であることも指摘しています。そして都市が成長する素地としてもう一つの重要なことは、そこが交通の要衝(港湾を有する、主要な道路の交差点である、河川が山から平地に出る谷口にあたるなど)であるということです。所沢の場合は、後者が該当します。城下町として地域では随一の規模を擁していた川越をはじめ、江戸や青梅などへと続く主要路の交点であったことから、早くから町場が形づくられていたようです。その範囲は現在のプロペ通り北端からファルマン通りの交差点を経て銀座商店街と呼ばれる金山町にかけてで、そこは現在でも所沢の中心商店街と目される街区と一致します。所沢はまた織物の生産でも栄えた町で、そうした経済的な基盤の存在も見逃せません。

 ファルマン通り交差点から北東へ、旭橋を経て航空記念公園へと続く街路は、日本初の飛行場として1911(明治44)年に開設された飛行場へと続く新道として整備されました。プロペ通りは文字通りプロペラ、ファルマン通りは開設当時試験飛行に使用された飛行機の名前に由来します。ファルマン通りから銀座商店街にかけては、前述のとおり、所沢における伝統的な中心商店街でした。現在は一部に往時の面影を感じさせる町屋造の建物を残すものの、高層のマンション群が林立する利便性の高い郊外都市の様相が濃厚に現出した空間となっています。それらの中には低層部に町屋を意匠に取り込んだファサードを採りれているものもあって、現代的なものと伝統的なものとの融合が模索されている風景にも出会うことができました。

元町付近

元町付近、マンションが林立する
(所沢市元町、2015.2.1撮影)
所沢神明社

所沢神明社
(所沢市宮本町一丁目、2015.2.1撮影)
旭橋

旭橋
(所沢市御幸町、2015.2.1撮影)
航空記念公園

航空記念公園の風景
(所沢市並木一丁目、2010.4.3撮影)

 春の盛りを迎えた航空公園は、満開のソメイヨシノに彩られていました。前述の我が国初の飛行場は第二次世界大戦までは陸軍の飛行場として過ごした後、戦後は米軍に接収され長くその管理下にありました。その後の運動により一部地域は返還され、現代の都市公園として整備されました。周辺には市役所などの公共機関や医療機関も立地し、所沢における新たな行政・文化的エリアとして地域をシンボライズする存在となっているようでした。

 都心への良好なアクセスと穏やかな自然と交通の結節点として栄えてきた町場としての歴史を背景に、単なる首都圏郊外のベッドタウンとしてだけではない魅力を多く抱えているこのまちは、近世から現代にかけて我が国が歩んだ奇跡をそのまま投影しているようにも思われました。

 ※この文章・写真は2010年4月3日をベースとしていますが、2015年2月1日に追加取材を実施した状況も織り交ぜて作成しています。

#68(久留里編)のページ

#70(関東山野の桜編)のページへ→

関東を歩く・目次へ    このページのトップへ    ホームページのトップへ

Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2015 Ryomo Region,JAPAN