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関東の諸都市・地域を歩く


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#70 関東平野・山野の桜をめぐる 〜地域に根差した風景〜

 2010年4月9日、都心周辺の桜を見て歩いた前週に引き続き、関東平野周辺に息づく桜を周遊しました。一口に桜といいましても、今日その代表格となっているソメイヨシノのほか、ヤマザクラやオオシマザクラ、エドヒガンなど多くの品種がありまして、江戸時代に品種改良され各地に普及しているソメイヨシノが生まれる前から多様な桜が日本の春を彩ってきました。日本の山野におけるたおやかでのびやかな田園風景に一際あでやかな情趣を与える桜の木々をご紹介していきます。

石戸蒲ザクラ

石戸蒲ザクラ
(北本市石戸宿三丁目、2010.4.9撮影)
石戸宿地区の景観

石戸宿地区の景観
(北本市石戸宿三丁目、2010.4.9撮影)
宝積寺のシダレザクラ

宝積寺のシダレザクラ
(甘楽町轟、2010.4.9撮影)
宝積寺のシダレザクラ

宝積寺のシダレザクラ
(甘楽町轟、2010.4.9撮影))

 埼玉県中央部、北本市の荒川に近い一角に、その桜はあります。静かな集落の中、東光寺の境内にあるその桜は、周辺に植えられたソメイヨシノの華やかな幕の奥にひっそりと佇んでいるかのような印象でした。石戸蒲ザクラと呼ばれるそれは、国の天然記念物の指定を受け三春滝桜(福島県三春町)、山高神代桜(山梨県北杜市)、狩宿の下馬桜(静岡県富士宮市)、薄墨桜(岐阜県本巣市)と並ぶ日本五代桜のひとつに数えられる名木です。源頼朝の弟、蒲冠者源範頼(かばのかじゃ みなもとののりより)がこの地に来た時についてきた杖が根付いたものであるとの伝説があり、蒲ザクラと名付けられたと言います。往時は根元で4つの幹に分かれる大木でしたが、現在はその老木から株分けされたいわば二代目であるとのことでした。周囲は畑と家々、雑木林が続く典型的な武蔵野の風景が広がっていまして、幹線道路からも離れた位置にあって、今後も地域における春の灯火として豊かな季節感を届ける存在となっていくように思われました。

 春はみずみずしい雰囲気をあたたかい風の中に溶け込ませながら野や山を行き過ぎて、それらのすべてを長閑な佇まいへと導きます。冬の厳しい寒さが次第にその鋭さを減ずる頃、その隙間からにじみ出るように現れるそれは、雪を溶かし、草木を芽吹かせ、里を百花繚乱の世界へと変化させていきます。すべてが目覚め、成長せんと準備を整えた刹那、時を止めるかのような緩やかな時間。その時を華麗に彩るように、桜の花は散っていくように感じられます。

小幡の街並み

小幡の街並み
(甘楽町小幡、2010.4.9撮影)
小幡の街並み

小幡の街並み
(甘楽町小幡、2010.4.9撮影)
土橋のおかめ桜

土橋のおかめ桜
(桐生市新里町鶴ヶ谷、2010.4.9撮影)
藤生沢のお角桜

藤生沢のお角桜
(桐生市新里町新川、2010.4.9撮影)

 埼玉県を後にして、関越道から上信越道に入り、富岡の手前にある甘楽町小幡は城下町の武家屋敷の景観が残る地域として知られます。雄川堰と呼ばれる水路沿いには桜並木があって、周辺の歴史的な家並み(養蚕農家群と説明されていました)もあいまって、美しい景観を楽しむことができるエリアとなっています。その町並みの南、歴史民俗資料館(製糸工場を運営した甘楽社小幡組の建物)を過ぎたエリアはかつての武家屋敷の存在した場所で、旧陣屋や名勝楽山園などの史跡が残されています。の盛りを迎えた航空公園は、満開のソメイヨシノに彩られていました。小幡の街並みからさらに南へ分け入った場所に在る宝積寺の境内には濃いピンクが目に鮮やかなシダレザクラがあって、山里における歓びの時を演出していました。

 その後は群馬県内をゆっくりとドライブしながら、赤城山麓・桐生市新里町に所在するシダレザクラ(土橋のおかめ桜・藤生沢のお角桜)の見事な樹勢を確認し、活動を終えました。桜、そして花見と言いますと多くは公園や河川敷などにいっせいに植えられたソメイヨシノを想像しますが、それらが桜の世界を席巻する以前から山里を彩ってきた一本桜も数多く花を開いていまして、山野の春を可憐な桜色に染め上げています。日本の象徴として凛とした姿を見せる桜の佇まいは、地域が重ねてきた時間の蓄積を溶け込ませながら、この上のない情景として私たちの心を打つのだと思います。

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