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関東の諸都市・地域を歩く


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#79 2013年桜行脚 〜都内と横浜の桜を訪ねる〜 

 2013年3月23日、満開を迎えた東京の桜を訪ねました。前日の22日に満開が発表されていた千鳥ヶ淵では、お濠に流れ落ちるようなソメイヨシノがたおやかな桜色のさざなみを作り出しているかのようでした。北の丸公園の緑と背後のビル群、そして水面に落ちるようなソメイヨシノがおだやかな春空の下輝かしい風景を構成しています。午前8時過ぎ、土曜日の早朝の時間帯でしたが、満開のソメイヨシノを観ようと多くの花見客が訪れていました。

半蔵門駅付近

地下鉄半蔵門駅付近のソメイヨシノ
(千代田区一番町、2013.3.23撮影)
千鳥ヶ淵緑道の桜

千鳥ヶ淵緑道の桜
(千代田区三番町付近、2013.3.23撮影)
千鳥ヶ淵の桜

千鳥ヶ淵の桜
(千代田区北の丸公園、2013.3.23撮影)
千鳥ヶ淵の桜

千鳥ヶ淵の桜
(千代田区北の丸公園、2013.3.23撮影)
大島小松川公園付近の桜

大島小松川公園付近の桜
(江戸川区小松川一丁目、2013.3.23撮影)
小松川千本桜と荒川

小松川千本桜と荒川
(江戸川区小松川一丁目、2013.3.23撮影)


旧中川の景観
(江東区大島九/江戸川区小松川一、2013.3.23撮影)
小名木川

小名木川
(江東区東砂一丁目付近、2013.3.23撮影)

 地下鉄九段下駅から東西線で東大島駅へ。旧中川と荒川の間に広がる大島小松川公園の東、荒川のスーパー堤防上の南北2キロメートルにわたり、約1000本の桜が植栽されていて、「小松川千本桜」と呼ばれています。都心では満開となったものの、郊外の小松川千本桜は5分咲きで、堤防上の千本桜は心持ち公園内の桜よりも開花が遅いように思われました。公園は川幅の広い東の荒川と、西側の荒川よりは川幅の狭い旧中川との間にあります。現在の荒川(岩淵水門以南)は、水害対策のために1913(大正2)年から1930(昭和5)年にかけて難工事の末に完成した人工河川です。旧中川はこの開削のために分断された中川の下流部分です。つまり、荒川は明治期までは存在していなかったわけで、その代わり中川筋にはいくつかの渡し船がありました。当公園近くの逆井橋付近には、そのうちのひとつ「逆井の渡し」が存立していました。

 渡し船が行き交っていたころは都市外縁ののどかな田園地帯たる長閑な風景が広がっていたと思われる小松川付近は、広大な河道をもって流下する荒川周辺を除いてはほぼ大都市に隣接する住宅地域となっていまして、高層のマンション群も多く立地しています。旧中川にまたがって駅施設がある地下鉄東大島駅付近を通過し、新大橋通りを西へ、大島五丁目と八丁目の境界付近の道路を南下し小名木川のほとりに出ました。小名木川は、江戸時代、行徳(市川市)で生産された塩を江戸に運ぶために開発された運河です。墨田区から江東区にかけての一帯は、藩政期を通じて埋め立てや運河の建設が進み、小名木川のほか、堅川や横十間川などの運河が縦横に走っていて、現代都市におけるウォーターフロントとしての景観を形成しています。「塩の道橋」を渡りますと、そうした運河の一つ仙台堀川を埋め立てて整備された仙台堀川公園の北端に至ります。全長約3.7キロメートルの公園で、その名は沿岸に仙台藩伊達氏の蔵屋敷があったことに由来するのだそうです。園内には木々や人口の水路があって、うるおいに溢れた親水公園として憩いの場となっています。ソメイヨシノも多く植栽されていまして、現代都市の住宅地域にみずみずしい桜色を届けていました。

仙台堀川公園の桜

仙台堀川公園の桜
(江東区北砂六丁目付近、2013.3.23撮影)
仙台堀川公園の桜

仙台堀川公園の桜
(江東区北砂六丁目付近、2013.3.23撮影)
旧大石家住宅

旧大石家住宅
(江東区南砂五丁目、2013.3.23撮影)
南砂

南砂の商業施設
(江東区南砂六丁目、2013.3.23撮影)
隅田公園と隅田川

隅田公園・桜と隅田川
(墨田区向島一丁目、2013.3.23撮影)
社屋に映るスカイツリー

アサヒビール本社社屋に映るスカイツリー
(墨田区吾妻橋一丁目、2013.3.23撮影)


隅田公園の桜
(墨田区向島一丁目、2013.3.23撮影)
本牧通りの桜

本牧通りの桜
(横浜市中区本牧和田付近、2013.3.23撮影)

 仙台堀川公園が南北方向から東西方向へ向きを変えるあたりには、木造茅葺の区内最古の民家である旧大石家住宅が移設され、藩政期における当地の農村集落における住宅の姿を今に伝えています。すぐ南には大型商業施設が集積する一帯があって、それと好対照をなしていました。南砂地区は江東区南部の商業中心として成長したエリアです。南砂駅から地下鉄を乗り継いで、浅草近くの隅田公園へ。ソメイヨシノの開花宣言が東京で出た16日にも訪れ、まだ数輪の花しか咲いていなかった同公園内は、1週間を経て満開となり見違えるような変貌を遂げていました。隅田川と沿岸のビル群、それらを介して間近に望む東京スカイツリーの現代的な都市景観に、のびやかな桜並木のあたたかい花弁の帯が重なります。午前中は晴れ間もあったのですが、時間を経るごとに雲が増えて花曇りとなっていました。しかしながら、空の明暗に寄り添うように落ち着いた輝きを見せる桜の情趣は、童謡「花」にも歌われたとおり、今も昔も変わらぬものであるように思われました。

 隅田川沿いでのそぞろ歩きをこなした後は、京急線に直通する都営浅草線を利用して横浜に足を延ばし、横浜の中心市街地の南、本牧地区小丘陵地帯にある庭園・三渓園へ。同園は、生糸貿易によって財を成した実業家原富太郎(号:三渓)によって1906(明治39)年に公開されています。第二次世界大戦の空襲で大きな被害を受け、戦後は原家より横浜市が施設の大部分を譲り受けて復旧再整備が行われ、現在では財団が運営しています。京都や和歌山、鎌倉などから移築された寺院建築、庭園建築、大名屋敷などの建築物が庭園の中に配置されていることで知られます。四季折々の花の美しさも見事で、ソメイヨシノをはじめ、ヤマブキやユキヤナギ、ツツジなどが可憐に咲き誇っていました。東京湾を望む風光は、高度経済成長期以降急速に発展した沿岸工業地帯の風景へと移り変わり、海は製油所の施設越しに望むものとなっています。本牧通り沿いや三渓園へ至る「本牧桜道」と呼ばれる街路一帯のソメイヨシノも満開を迎えていて、都市の景色に彩りを添えていました。

本牧桜道

本牧桜道の桜
(横浜市中区本牧三之谷、2013.3.23撮影)
三渓園

三渓園の桜
(横浜市中区本牧三之谷、2013.3.23撮影)
三渓園

三渓園の景観
(横浜市中区本牧三之谷、2013.3.23撮影)
三渓園・沿岸の景観

三渓園から見た海岸の産業地帯
(横浜市中区本牧三之谷、2013.3.23撮影)


東京ミッドタウン・さくら通り
(港区赤坂九丁目、2013.3.23撮影)
ライトアップされた桜と月

東京ミッドタウン・ライトアップされた桜と月
(港区赤坂九丁目、2013.3.23撮影)
隅田川の夜桜

隅田川の夜桜
(墨田区向島一丁目、2013.3.23撮影)
夜桜と東京スカイツリー

夜桜と東京スカイツリー
(墨田区向島一丁目、2013.3.23撮影)

 徐々に日暮れへ向かう時間帯は、東京ミッドタウンへ移動して、「さくら通り」沿いの桜がライトアップによってだんだんとその色調を変えていく様子を確認しました。灰色から藍色、そして群青色に移り変わる空の色に染まるように、桜の色はその趣を異にしていき、やがて転倒したライトアップの光によって瞬く間に妖艶な桜色へと昇華する様は、春の温かさの残る夜風の雰囲気さながらの華やかさを帯びているように感じられました。帰路に就きながら、最後に再び隅田公園を訪れました。すでにとっぷりと日は落ちて、都会の輝きに照らし出された闇夜の下、きらびやかに光を受けてきらめく夜桜の姿がそこにありました。屋形船が行き交う隅田川は船がつくるさざなみの一つひとつに光を纏わせて、光と闇のグラデーションを水面に完成させていました。隅田公園を歩き、北十間川に沿って、桜をイメージした特別ライティングが施された東京スカイツリー方面へ歩を進めました。桜色にきらめくスカイツリーのライティングをしばし眺めた後、とうきょうスカイツリー駅にてこの日の活動を終えました。地域により、また時間帯によって、さまざまにその表情を変える桜にたくさんの感動を受けながら、多様な地域の態様に触れることができました。

北十間川とスカイツリー

北十間川と東京スカイツリー
(墨田区吾妻橋一丁目付近、2013.3.23撮影)
東京スカイツリーと月

東京スカイツリーと月
(墨田区押上一丁目、2013.3.23撮影)


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