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関東の諸都市・地域を歩く


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#80 鎌倉散策 〜夏の花と寺社の風景〜 

 2013年6月23日、梅雨晴れの鎌倉を歩きました。アジサイが見ごろを迎えた季節とあって、鎌倉は多くの観光客で溢れていました。JR北鎌倉駅に午前9時過ぎに到着、円覚寺へと歩を進めました。

円覚寺総門

円覚寺総門
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)
円覚寺三門

円覚寺三門
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)
円覚寺舎利殿

円覚寺舎利殿
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)
円覚寺洪鐘

円覚寺洪鐘
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)
明月院のアジサイ

明月院のアジサイ
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)
明月院のアジサイ

明月院のアジサイ
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)


建長寺三門
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)
建長寺庭園

建長寺庭園
(鎌倉市山ノ内、2013.6.23撮影)

 JR横須賀線の鉄路が円覚寺の境内を横断していることはよく知られています。軍事的な要港であった横須賀まで鉄路をつなげるために半ば強引に用地買収が行われた結果とされます。現在では同線は通勤通学等の日常的な利用のほか、北鎌倉周辺の古刹を訪れる観光客の手軽な足となっています。周囲を山に囲まれ切通によってアクセスする鎌倉にあって、北鎌倉駅周辺はその範囲の外側、北西方向に開けた谷筋の上流部に位置しています。その谷底から丘陵をわずかに侵食したような緩斜面上に円覚寺の境内は広がっています。木漏れ日が眩しい、成熟した緑の下、石段を上がって総門をくぐり、さらに石段の参道を進みますと、荘厳な三門へと行き着きます。円覚寺舎利殿は神奈川県内唯一の国宝に指定される建造物です。源実朝が中国能仁寺より請来した仏舎利を奉安しています。さらに石段を登った高台には、1301(正安3)年北条貞時が国家安泰を願い寄進した洪鐘(おおがね;国宝)も据えられています。1282(弘安5)年、時の執権北条時宗が宋より招いた無学祖元禅師により開山された円覚寺は、この上の無い鮮やかな緑に包まれながら、その鎌倉らしい歴史の輝かしさを表現していました。

 横須賀線の鉄路を横に見ながら、丘陵を穏やかに刻む小さな谷間を辿って、アジサイの寺として知られる明月院へ。境内を埋めるような青紫のあじさいがたいへんに美しく、仲夏の趣を呈していました。禅興寺の塔頭であった明月院は、禅興寺が明治に入り廃絶、明月院のみが今日に残されています。武家政権の本拠として基盤を築いた鎌倉ですが、今日の鎌倉市街地は近代以降成長したいわば別の町で、都市としての歴史が継続しているわけではありません。明月院をめぐる史実はそうした鎌倉の陰と陽を象徴しているようにも感じられます。境内を彩るアジサイは、その風光を志向して観光都市として存立したか鎌倉の今の輝きそのものといってもいいのかもしれません。円覚寺と並ぶ北鎌倉の名刹建長寺を参詣した後、「鎌倉七口」と呼ばれる切通の一つ、巨福呂(こぶくろ)坂を辿り、今も昔も都市・鎌倉の中心にある鶴岡八幡宮へ向かいました。

巨福呂坂の景観

巨福呂坂の景観
(鎌倉市山ノ内付近、2013.6.23撮影)
鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮
(鎌倉市雪ノ下二丁目、2013.6.23撮影)
鶴岡八幡宮境内から俯瞰する市街

鶴岡八幡宮境内から俯瞰する市街
(鎌倉市雪ノ下二丁目、2013.6.23撮影)
七夕飾り

鶴岡八幡宮で見かけた七夕飾り
(鎌倉市雪ノ下二丁目、2013.6.23撮影)
段葛

段葛
(鎌倉市雪ノ下一丁目、2013.6.23撮影)
鶴岡八幡宮三の鳥居

鶴岡八幡宮三の鳥居
(鎌倉市雪ノ下一丁目、2013.6.23撮影)
若宮大路

若宮大路(鎌倉駅入口交差点)
(鎌倉市小町一丁目、2013.6.23撮影)
小町通り入口

小町通り入口
(鎌倉市小町一丁目、2013.6.23撮影)

 ノウゼンカズラなどの夏の花が青空に映えて、七夕飾りがそよ風に揺れる鎌倉は、散策のベストシーズンを迎えて、鶴岡八幡宮は多くの人々で溢れていました。1063(康平6)年、源頼義が源氏の氏神として祈願した石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりと言われ、その後、源頼朝が1180(治承4)年に鎌倉に入り現在地に遷座し、1191(建久2)年に鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整えました。境内の前に燦然と屹立する三の鳥居から続く若宮大路は、段葛(だんかずら)と呼ばれる参道とともに、鎌倉市街地の中心であり続けています。明治期以降、歴史的な資産と、海と山とが近接する自然の美しさから観光都市として再興した鎌倉にあって、地域のシンボルであり。ランドマークともなっています。同社を象徴する事物の一つであった大銀杏は2010(平成22)年3月に強風で倒伏していましましたが、移植された幹と残されら根の両方から萌芽が確認されているようです。

 鎌倉駅から江ノ島電鉄で極楽寺駅へ向かいました。鎌倉市街地の西南、稲村ケ崎によって海岸沿いの平地が狭められるため、江ノ島電鉄が通るルートに重なる谷筋を通る交通路が整備され、極楽寺坂切通と呼ばれるようになりました。極楽寺駅の東方、切通の追加する峠部分にあたる場所に位置する成就院は、アジサイが咲き乱れる坂道の参道の向こうに材木座海岸への眺望が利く名所として知られています。1219(承久元)年に北条泰時が不動明王を本尊として建立したものであるようです。切通の名前にもなっている極楽寺は北条業時に招かれた良観房忍性(にんしょう)を開山として、1267(文永4)年に迎えています。建立自体はこれに先立つ1259(正元元)年で、後に開基となる北条重時が現在地に移転したとされます。現在は比較的こじんまりとした境内は、さまざまな緑鮮やかな木々に囲まれていまして、豊かな自然とともに存立した地域の慎ましやかさを演出しているように感じられました。

材木座海岸の眺望

成就院から眺望する材木座海岸
(鎌倉市極楽寺一丁目、2013.6.23撮影)
成就院

成就院
(鎌倉市極楽寺一丁目、2013.6.23撮影)
極楽寺

極楽寺
(鎌倉市極楽寺三丁目、2013.6.23撮影)
極楽寺三門

極楽寺・三門
(鎌倉市極楽寺三丁目、2013.6.23撮影)
江ノ電とアジサイ

御霊神社近くを通過する江ノ電
(鎌倉市坂ノ下、2013.6.23撮影)
長谷寺

長谷寺
(鎌倉市長谷三丁目、2013.6.23撮影)
長谷寺のアジサイ

長谷寺・眺望散策路のアジサイ
(鎌倉市長谷三丁目、2013.6.23撮影)
鎌倉大仏

鎌倉大仏
(鎌倉市長谷四丁目、2013.6.23撮影)

 江の島から鎌倉への観光ルートとしても機能してきた極楽寺坂切通を東へ進み、参道を鉄路が横切るため、江ノ電とアジサイとが寄り添うように進む景色で知られる御霊神社の佇まいに触れながら、長谷エリアへ。長谷寺は、二千株を越えるアジサイが斜面に植えられた名所として知られ、たくさんの参詣者のために整理券による入場制限が行われていました。アジサイがきらめく見晴台に入れる時間が来るまでの間、鎌倉大仏で知られる高徳院などを拝観し、多くの古刹が集まる門前商店街としての地域の街並みを楽しみました。長谷寺のアジサイ散策路からは、やはり材木座海岸から鎌倉の市街地が一望できまして、山々に囲まれた天然の要害たる鎌倉の地勢と、輝きに溢れた緑に包まれる夏の風景とを実感することができました。

 源頼朝により開かれた鎌倉幕府により文化が興隆し、多くの歴史的な遺産が残された鎌倉は、その豊かな風光も相まって、今日でも多くの人々の憧憬を集めて離しません。その風景は四季折々に変化を見せて、人々の心を打ちます。それは、時にただ前へ進むだけでなくて、一時過去を振り返り、そこから何かを得ることも大切であるということを教えてくれてるようにも感じられます。


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