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大阪ストーリーズ


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#14 河内長野市街地を歩く 〜高野山へ向かう谷口の町〜

 2007年12月16日、新大阪から南へ向かい、南海電車に揺られ、府下南部の都市、河内長野へと到着しました。駅前に「ノバティながの」と呼ばれる商業施設が立地し、人口規模に比して高密な雰囲気を感じさせます(註:「ノバティながの」は核店舗であった南海と西友の撤退により、2009年3月に閉鎖となるとのことです)。天見川が石川に合流する谷口に発達した市街地は、金剛山を望む緩やかな山並みに抱かれて、自然豊かな印象を濃厚に感じさせます。駅前のロータリーを跨ぐように建設されたペデストリアンデッキを進みながら、古めかしいアーケード街の見える方向へ階段を下りました。日曜の朝の駅前は人影もバスもまばらで、冬の朝の穏やかな空の下にありました。

 アーケード街入口の手前には、ロータリークラブなどが設置した三角錐のモニュメントが建てられていました。「高野街道」と題された文章には、京から仏教の聖地高野山に至るまでのルートとして古来より天皇や公家、中世以降は武士や庶民などが歩いた参詣道についての説明が刻まれています。高野街道には時代によって変遷があるものの大別して3つのルートがあり、京から岩清水八幡宮で有名な八幡、生駒山の西麓を通る西高野街道、大阪・平野より南下し市内楠町に至った中高野街道、そして堺の大小路を起点とする西高野街道が存在していました。そのうち西高野街道は前述の楠町で中高野街道を合わせ、さらに河内長野駅前のこのモニュメントのある付近で東高野街道も合流して、紀見峠を越え高野山へと通じていたのだそうです。その西高野街道筋にあたるアーケードを少し進み、本町交差点の方向へ東西に連なるアーケードへと入りました。時折昔ながらの町や風の建物も残る商店街は、狭い路地に屋根が連続しているような風情で、時々人が通るほかは至って平穏で、未だ早朝の暗がりの中にありました。

駅前

河内長野駅前の景観
(河内長野市本町、2007.12.16撮影)
駅前

河内長野駅前のロータリー
(河内長野市本町、2007.12.16撮影)
高野街道筋を示す石碑

「ノバティながの北館」西側のアーケード
(河内長野市本町、2007.12.16撮影)
アーケード

七つ辻交差点へ続くアーケード街
(河内長野市本町、2007.12.16撮影)

 アーケードの行き着く先にある本町交差点は「七つ辻」と括弧書きされているように、大小併せて7つの道路が一点に集まっている変則的な交差点です。アーケード街が道路に出る地点は、これらの交点よりやや東にずれていて、わずかに「八つ辻」にはなっていません。国道に指定された以外の3本の道路はいずれも道幅が狭く、交差点から進入する方向への一方通行となっているようでした。七叉路から西へ、川見の辻交差点に向かい、穏やかな商店街の中を進んできます。正面には「ラブリーホール」の愛称がある市民文化会館の建物が見えて、反対の方向は河内長野駅へ向かって昔からの中心市街地といった雰囲気の町並みが穏やかな山並みに重なりながら続いているようすがたおやかに見通せます。

 中心市街地は石川に沿った低地に位置していることから、石川から離れる方向につけられた道路は緩やかな上りとなります。数段の河岸段丘が発達しているようで、時節柄、クリスマスイルミネーションが施されていると思しきラブリーホールは段丘上の平坦地に立地しているようでした。そのため、ホールの前は周辺の豊かな山並みが軽く俯瞰できるようなロケーションになっており、初冬の落葉間近な色合いの山々の色彩がのびやかな町並みと重なり合って、河内長野がいかにすばらしい自然と向かい合っているかを実感させました。

七つ辻

国道170号、七つ辻交差点西より駅方向
(河内長野市栄町、2007.12.16撮影)
ラブリーホール

市民文化会館「ラブリーホール」
(河内長野市西代町、2007.12.16撮影)


ラブリーホール前から山並みを眺める
(河内長野市西代町、2007.12.16撮影)
国道170号バイパス沿線

国道170号バイパス沿線の景観
(河内長野市西之山町、2007.12.16撮影)

 市役所の南東をかすめる国道170号のバイパス沿線は、ロードサイド型商業地の典型例のような景観が展開しています。河岸段丘面上をなめらかにたどりながら中心市街地を迂回する道路は交通量も多くて、午前10時を過ぎて各商店にも徐々に買い物客が集まり始めているようでした。みずみずしい木々に囲まれた市役所構内には、昭和63年(註:1988年)3月5日に設置された「人口10万人記念」と刻まれた石碑がひっそりと佇んでいました。高度経済成長期以降大都市圏を中心に進行した人口の郊外化は京阪神圏でも大いに進捗し、大阪への通勤圏として河内長野市もその影響を大きく受けました。バイパスから西方を眺めますと、郊外型の店舗の向こう、さらに一段高い段丘上の丘陵性のエリアにも集合住宅などの宅地開発の跡が見えました。モータリゼーションの進行もあいまって、大都市圏郊外における自家用車を中心としたライフスタイルが浸透し、相対的な中心市街地の地盤沈下を結果したように見える傾向は、この地域でも例外ではないように思われました。

 警察署前の交差点から東へ折れ、長野小学校前を通って河内長野駅への帰路に就きました。ラブリーホールから長野小学校、長野中学校が立地する一帯は、江戸時代にこの地域にいわゆる「藩」(西代藩)が存立していた時期(1679年〜1732年;陣屋が実際に配置されたのは1711年とのこと)に陣屋が置かれていた場所であることが、ラブリーホール前の表示板に刻まれていました。表示板の説明を読み終えた後、歩を進めようとしますと、目の前に金剛山系の山並みが冬の鈍色の雲間から刹那差し込んだ日の光に照らされて、印象的な風景を演出しました。

警察署前

警察署前交差点、西方向を眺める
(河内長野市野作町、2007.12.16撮影)


ラブリーホール前からの風景
(河内長野市西代町、2007.12.16撮影)

 南河内の山懐の谷口に発達した穏やかな市街地と、金剛山系のやわらかな山並み、そしてその山裾に開発された住宅地に輝く屋根とが、ラブリーホール前の現代的な街路樹の向こうに広がりました。その風景は、古来より高野山への参詣道が収束し、現在でも南海高野線が通過する歴史的な地域性と、大阪圏から延びる交通体系の中で郊外化の影響を受けたベッドダウンとしての現在とが、まさに絶妙にコラボレートされた瞬間であったように思われました。

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