Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東海北陸地方 > 尾張・三河探訪・目次

尾張・三河探訪


 ←#10(半田編)のページ  #12(伊良湖編)のページへ→
#11 田原市の町並みを歩く 〜渥美半島の旧城下町の風景〜

 2018年10月8日、朝方の浜松市街地散策と浜名湖概観を終えて、自家用車を一路西へ走らせました。国道1号・浜名バイパスから国道42号へと進むルートは、遠州灘の海岸線が見通せたり、名産となっているキャベツなどが作付けされた広大な畑地の横を通過したりと、変化に富んだ快適なドライブを楽しめるルートでした。静岡県から愛知県に入り、渥美半島のほぼ全域を市域とする田原市へ。その中心市街地へ進む道路を入り、台地を越えて三河湾側にある田原市の中心市街地近くにある道の駅に車を止めさせていただき、田原市の町並みを歩いてみることとしました。

汐川

汐川
(田原市東赤石四丁目、2018.10.8撮影)
清谷川

清谷川沿いのプロムナード
(田原市赤石二丁目付近、2018.10.8撮影)
龍門寺

龍門寺
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
寺下通り

寺下通り
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
本町交差点

本町交差点
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
惣門跡

惣門跡
(田原市田原町、2018.10.8撮影)

 東赤石交差点から県道413号を北西へ進みますと、程なくして汐川の流れに行き着きます。渥美半島を流れる川は流域面積が小さいため、概して小流となり、利水には少なからず苦労があるものと想定されます。また、このような架線が形成する平地も概して狭く、台地や産地が卓越する傾向となり、野内の確保にも難渋する土地柄です。そうした背景もあり、田原の町は藩政期における城下町を直接的な礎としているものの、その石高は小規模でした。灌漑用水の整備により現在では有数の野菜や花卉栽培の産地となっています。桜並木があるなど散策路として整備された支流の清谷川沿いの道を進み、龍門寺などが面する台地下の通りを進みました。城下町の鬼門や、防備上重要となる場所に寺町が形成されることは、中世以降の城下町では一般的に認められる事象です。田原の寺町は城から見て南、台地の際のゆるやかな崖上にあって、その崖下をなぞるようにしてあることから、「寺下通り」と呼ばれる街路をしばらく歩いていました。

 藩政期には城へ向かう中心的な道路であったことから「本町(ほんまち)通り」を進みます。ゆるやかな上りの通り沿いは現在では穏やかな住宅地となっていまして、その道の行き先である城跡までの市街地を構成しています。やがて、田原城の惣門跡にたどり着き、近接して「田原市報民倉」と呼ばれる施設があります。この報民倉とは、藩政期に飢餓に備えて穀類などを備蓄するために設けられたもので、身分・年齢・性別を問わず、その建設は官民一体で行われました。実際の飢饉の際に役立ったとされていまして、城の櫓風に設えられた現在の建物も、災害時に活用する資機材が格納されています。鉤の手状にさらに続く道を進み、田原中部小学校の脇を通過していきます。同行の敷地の東半分には藩校成章館(せいしょうかん)があって、その史跡であることが小学校の正門前のモニュメントによって示されていました。

田原市報民倉

田原市報民倉
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
田原中部小・藩校跡

田原中部小・藩校跡のモニュメント
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
田原城跡・袖池

田原城跡・袖池
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
田原城跡・桜門

田原城跡・桜門(復元)
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
田原城跡・桝池

田原城跡・桝池
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
二の丸櫓と博物館

二の丸櫓と博物館
(田原市田原町、2018.10.8撮影)

 田原市博物館が立地する田原城跡の二の丸にあたり、南側には壮麗な城門である桜門が再現されていました。門の前には桝池と袖池と呼ばれる堀も残されていまして、一気にこの町が藩政期における城下町であることを実感します。門の先は枡形となっており、二の丸櫓が目の前に屹立して偉容を見せていました。田原城は1480(文明12)年に戸田宗光が渥美半島統一のために築城するも、今川義元による侵攻で落城、藩政期を渥美半島を治めるローカルな藩政の拠点として過ごしました。かつては城の周囲に海が入り込み、その風景が巴文に似ていたことから、田原城は「巴江城(ばこうじょう)」の異名でも呼ばれました。三の丸には護国神社、本丸には巴江神社が建立されていまして、統治者の始祖が城跡において祀られる、一般的な佇まいが見られました。

 随所に石垣が残る城跡を歩きながら、豊かな木々に覆われた木道を下り、城跡の東側を抜けて豊橋鉄道の三河田原駅へと進む現代的な町並みを歩きました。周囲の風景はまさに地方都市の郊外といった風情で、城跡を取り囲む歴史的な雰囲気を感じさせる町並みとは好対照の景観が続いていました。かつて田原城の直下まで達していた海はその後の埋め立てにより後退し、往時の面影は一切残っていません。沿岸部にはトヨタ自動車田原工場をはじめ、大規模な事業所が進出していまして、田原市を有数の工業都市として押し上げていることも指摘しておきたいと思います。

巴江神社

巴江神社
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
田原城跡

田原城跡・石垣と散策路
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
三河田原駅

豊橋鉄道・三河田原駅
(田原市田原町、2018.10.8撮影)
蔵王山展望台から西方向

蔵王山展望台から西方向を望む
(田原市浦町、2018.10.8撮影)
蔵王山展望台から南方向

蔵王山展望台から南方向
(田原市浦町、2018.10.8撮影)
豊橋市街地を望む

蔵王山展望台から北〜東方向、豊橋市街地を望む
(田原市浦町、2018.10.8撮影)

 瀟洒なデザインに整えられた三河田原駅前を通り、最初に川沿いを進んだ汐川を渡って、道の駅へと戻りました。現在の田原市は、かつて存在した渥美郡の3つの町(田原町・赤羽根町・渥美町)が合併し成立しています。その市名をめぐり地域全体を表わす「渥美」ではなく、「田原」が採られたことに長らく疑問を抱いていましたが、この田原の町が渥美半島の中心都市として一定の基盤を持っていたことを知り、その理由が少し分かったような気がいたしました。田原の市街地散策の後は伊良湖岬へと向かったのですが、そこからの帰路、渥美半島全体への眺望が美しい蔵王山展望台に立ち寄りました。そこから見える風景は、丘陵が広がる西側、眼下に市街地と農地とが穏やかに展開する南側、そして三河湾岸の工業地帯を介して豊橋市街地方面へと視界が広がる北から東方面と、農工商がバランスよく発展したこの町の姿を見事に表現するものでした。

 ←#10(半田編)のページ  #12(伊良湖編)のページへ→


このページの最初に戻る

 「尾張・三河探訪」の目次のページにもどる      
トップページに戻る


(C)YSK(Y.Takada)2020 Ryomo Region,JAPAN