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りょうもうWalker

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#4 佐野の市街地を歩く

やや古いお話で恐縮なのですが、昨年の510日の土曜日、私は両毛の諸都市の中では唯一街中を歩いたことがなかった、佐野市へ赴きました。仙台へ行く時は必ず佐野市を通過はしておりましたが、両毛線の場合佐野駅で降りることはありませんでしたし、自動車で行く場合も、市域の南郊を通過する国道50号線を利用するので、佐野市街を通ることは全くなかったのですね。

旧例幣使街道を踏襲する県道太田佐野線をひたすらに東して、八木節のふるさと八木宿(現在は足利市福居町の一部)を通過し、川崎橋で渡良瀬川を渡河し、大渋滞のあしかがフラワーパークの付近を何とか切り抜けて、足利市東郊の広大な水田地帯の中をドライブしていきます。両毛は麦秋を迎えつつありました。この付近も一面に麦の穂並が生えそろい、わずかながら小麦色に変わりつつあるように見えました。彼方にたなびく緑に満ちた丘陵地の裾模様として、太陽と風とをいっぱいに浴びて輝き、さざなみをつくる麦に溢れた水田を目にするととても爽快ですね。両毛の初夏は、穏やかさに溢れているようです。

丘陵と麦畑の見える景観

丘陵と麦畑の見える景観
(佐野市村上町、2003.5.10撮影)
旗川

旗川
(佐野市/足利市境界、2003.5.10撮影)

足利方面から東へ延びる旧国道50号線に突き当たり、東へ向かうとほどなくして旗川を渡ります。柳をはじめとした豊かな木々に囲まれた静かな旗川の流れを越えると、佐野市域へと入っていきます(実際には、この県道が旗川を越えるあたりは一部川の東岸まで足利市域が食い込んでいるようですが)。ここからさらに県道を2キロ半あまり進むと、佐野市街地の西端を形づくっている秋山川へと至ります。秋山川までの行程は、水田が広がる景観から徐々に店舗や住宅などが増えていき、ゆるやかに佐野の市街地へと繋がっているように思われましたね。地図を見ると、両毛線も県道にほぼ並行して続いています。

佐野市役所は、JR佐野駅南口へとつづく道に面して建てられています。市役所前に駐車場を発見して車をとめて、いよいよ佐野市街地散策をスタートさせます。まず目指したのは、JR佐野駅と、その北側に広がる城山公園です。佐野駅周辺は1986(昭和61)年から2001(平成13)年まで続けられていた土地区画整理事業によって整然とした街区へと生まれ変わっており、旧国道50号線から駅へ向かう道路の入口の北東隅にはモニュメント的な柱状の構造物が銀色の輝きを見せており、駅までは美しいケヤキの並木が続いております。

JR佐野駅は、1999(平成11)年度より着工していた南北の自由通路の建設と橋上駅化の工事がこの416日に竣工しました。真新しい自由通路の入口の横には、オレンジ色の屋根の切妻造りの旧駅舎が取り壊される時を待っていました。自由通路は、駅の北側に接する城山の丘陵の高さにつながっています。この城山には、かつて春日岡城と呼ばれた佐野城があったところで、現在でも空堀の跡などの城の名残を確認することができます。当主であった佐野氏は元来佐野市の北部にある唐沢山に居城を構えていたのですが、1600年前後にこの平地の中の丘陵に移り、春日岡城とその城下町の町割を行いました。城自体は、江戸期の初期に当主の改易によって廃城となってしまったのですが碁盤目状に整えられた城下町は、近世を通じて日光例幣使街道の宿場町「天明(てんみょう)宿」として栄えまして、今日の佐野市街地の礎となりました。

佐野市役所

佐野市役所
(佐野市高砂町、2003.5.10撮影)
市役所前の景観

市役所前の景観
(佐野市高砂町、2003.5.10撮影)
城山公園の景観

城山公園の景観
(佐野市若松町、2003.5.10撮影)
JR佐野駅北側から見た市街地

JR佐野駅北側から見た市街地
(佐野市若松町、2003.5.10撮影)
殿町通り付近の景観

殿町通り付近の景観
(佐野市万町、2003.5.10撮影)
JR佐野駅

JR佐野駅
(佐野市若松町、2003.5.10撮影)

旧国道50号線、現在の県道桐生岩舟線(67号線)沿線の市街地は、概ねこの天明宿の宿場町のそれを反映しているようです。佐野駅の南口から、区画整理された一帯を西へ進み、殿町通りまで来ますと、旧来の市街地の面影を残す街区と、区画整理の済んだ街区とのコントラストが明確になってきます。そのまま、県道の交差点に出ますと、そこは昔ながらの佇まいを残す商店がけっこう残っている穏やかな界隈となっておりまして、桐生にも、足利でも失われつつあるような、レトロな町並みが残されているようにも感じます。本町十文字付近は、まさにそういった懐かしい都市景観が凝縮されたように残っていました。交差点には、東京石灰工業株式会社佐野ビルに附属して、佐野東石美術館があります。さらに、北側の落ち着いた雰囲気の住宅街、星宮神社や興福寺、妙音寺などの寺社の緑やゆたかな結構がつながって、いっそう奥深い雰囲気を作り出しているような気がします。

町は秋山川に接して西縁となり、寺社の甍は県道の南、神明宮や涅槃寺、厳浄寺などの立地する地域へと続いていきます。天明大橋から東へ、金井上町、仲町、下町と続く、もう1つのメインストリートが形成されています。こちらは、県道沿いに比べて町の密度は比較的高くなく、低層のゆったりとした町並みです。このエリアに、関東三大師の1つとして知られる「佐野厄除け大師」があります。正月ともなりますと、大勢の初詣客が訪れる場所として知られています。通を挟んで反対側には佐野市の観光物産館があるなど、どちらかというと観光スポットのようになっているようにも思われますが、厄除け大師の南、惣宗寺への入口には、田中正造翁の墓所があります。田中正造は、足尾鉱毒問題を糾弾し、地域の住民のために尽くした人物としてあまりに著名ですが、その墓所の容貌からは、そんな翁への、地域住民の惜しみない尊敬と感謝の念を感じたような気がいたしました。なお、翁の遺骨はゆかりの土地(5か所)に分骨されているとのことでした。

本町十文字

本町十文字
(佐野市本町、2003.5.10撮影)
星宮神社の杜

星宮神社の杜
(佐野市大蔵町、2003.5.10撮影)
金井上町付近の景観

金井上町付近の景観
(佐野市金井上町、2003.5.10撮影)
田中正造墓所

田中正造墓所(惣宗寺境内)
佐野市金井上町、2003.5.10撮影)

碁盤目状の市街地は、この町の歴史の断片を随所に織り込ませながら、現代にも息づいています。西縁と東縁には寺社が配置される(東側には、浄泉院などが佇みます)地域構造も、その伝統を受け継いだものです。駅前方向への帰路、佐野駅からイオン佐野ショッピングセンターやプレミアムアウトレットを結ぶバスとすれ違いました。多くの都市が中心市街地における商業機能の相対的な低下と、郊外における大型ショッピングセンター等の台頭という問題を抱えていますが、この町にとってもそれが例外でないことを伝えていました。商業機能の郊外化や分散化といった現象は、1970年代後半から既に顕在化していた問題であり、そういった構図が出来上がった状況において、大型ショッピングセンターの出店を、旧市街地と郊外の大型店舗、というメルクマールで捉えること自体、適切ではなくなっているのかもしれません。市街地の景観的な魅力をどのようにその地域の豊かな歴史や文化の蓄積として認識し、地域の成長に生かしていけるか。商業機能の問題として中心市街地の諸問題を捉えている限りは、中心市街地の今後の展望は見えてこないのではないかとも思えました。

個人的には、初めての佐野の市街地散歩をとても楽しむことができました。また1つ、両毛の素晴らしさに出会うことができました。


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