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#6 飛駒の里 〜山里は“遠く”にありて〜

現在、両毛地域で最大の面積を持つ田沼町は、広大な山間部をその町域に含んでいます。現在の田沼町は、1954年3月31日に、もとの田沼町と三好村が合体して新生・田沼町となったものに、彦間川流域の新合村、飛駒村が1956年9月30日に編入されて成立しています。お気づきのことと思いますが、「飛駒」という地名なのに、流れる川は同じ読みながら、表記が「彦間」となっており、微妙な「ゆれ」が見られます。興味深いのは、1889(明治22)年の町村制施行前までは、上彦間村、下彦間村といった村が存在していたということです。現在でも下彦間のほうは、大字として残っています。実は、町村制施行時に、下彦間村ほか3村が新合村に、また上彦間村は飛駒村となっているのです。この「ひこま」という地名が、元来から「彦間」や「飛駒」というふうに複数の表記のされ方をしてきた影響なのか、また1889年になって新造されたものなのかは分かりません。ただ1つ言えるであろうことは、この「ひこま」という地名がこの地域に受け継がれている、ということではないかと思います。

そんな飛駒は、地形的にも安蘇郡の主要地域を占める旗川や秋山川の流域とは隔絶された小盆地を形成しています。標高は平均すれば200メートルほどで、彦馬川はやがて標高1199メートルの根本山へとその源をつなげていきます。標高500メートルから700メートルほどのたおやかな山並みに抱かれながら、懐かしい風景の残る県道桐生田沼線から、さらに河谷を分け入り、根小屋森林公園まで車を降りて、飛駒散策をスタートさせました。根小屋森林公園は、キャンプやバーベキューも楽しめる、豊かな木々に囲まれた穏やかな空間で、そばやまんじゅうを味わえる食堂や、和紙づくり体験のできる施設もあるスポットです。訪れた2004年2月1日は、あたりの木々は葉を落として寒々しい景観でしたが、やわらかな日差しのもと、紅梅のつぼみがほころび始めていました。


高窓を持つ民家

高窓を持つ民家
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)
飛駒の景観、宅地の跡地と見られる一角

飛駒の景観、宅地の跡地と見られる一角
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)
田沼町飛駒支所

田沼町飛駒支所
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)
製材所の丸太置場

製材所の丸太置場
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)

公園を後にして、県道沿いを下流へ歩きます。周囲は蔵の残る民家がかなり保存されている一方、かつて茅葺き屋根であったとおもわれる、トタン葺きの屋根を持つ家屋もあり、まだまだ広く水田が残るものの耕作放棄されて久しいと思われる水田も散見されて、飛駒の地にあっても、日本の多くの中山間地域での動向とは無関係ではなかったことを実感させます。特に目立つのは、屋根の上に小さな張り出した部分を持つ民家です。いろいろ調べてみたのですが、この高窓の役割ははっきりとは分かりませんでしたが、ひょっとしたら養蚕と関連があるのかもしれません。両毛地域や群馬県下では、伝統的に養蚕が盛んに行われてきましたが、繭をはき出し始めた蚕は、保温のために民家の2階で飼育されることが多く、採光や換気のために高窓を設けた民家がつくられてきました。飛駒で見た民家の構造がそれであるとは言い切れません。詳細をご存知の方がいらっしゃれば、お教えいただけますとありがたいと思いますね。

田沼町飛駒支所ーや、飛駒小学校のある一角は、もとの飛駒村の中心的な地域であったのでしょう。現在でも酒屋などの商店の集積が見られます。ただ、農協の支店は合理化によるものか、支店としてではなく、出張所レベルの事業所となっていました。穏やかな中山間地である飛駒は、時代の変化の波をかぶりながらも、里山に囲まれた、農林業の盛んであった昔からの姿をあちこちにとどめる、すてきな風景の残る場所であるのでした。丸みを帯びた軽やかな山並み、盆地いっぱいに展開する、遺産たる水田、そして穏やかな民家の存在、どれをとっても昔懐かしい「遠きにある」風景であるように思いました。地域の入口には、飛駒をイラストで紹介した、手作りの案内板が設けられていました。「飛駒地区新むらづくり推進協議会」の手によるその看板には、地域の諸施設や名所などが丁寧に紹介されています。上流方向に、「永台寺仁王像」の表示を見つけました。根小屋森林公園に戻り、さらに上流方向に進むと、果たして表示のとおりの見事な仁王様の像を見つけました。曹洞宗の永台寺は、飛駒の盆地を見通せるちょっとした高台にありました。付近は自動車の通行量の多いルートからは外れていることもあってか、穏やかな山里の雰囲気が一段と美しい佇まいの中にあるように感じられましたね。首都圏に比較的近いことから、こういった山里の景観や雰囲気を生かしたお店も営まれているようです。


茅葺き屋根をトタンに変えた民家

茅葺き屋根をトタンに変えた民家
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)
ようこそ水と緑と歴史の里飛駒へ

ようこそ水と緑と歴史の里飛駒へ
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)
飛駒遠景

飛駒遠景(永台寺より)
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)
永台寺仁王像

永台寺仁王像
(田沼町飛駒、2004.2.1撮影)

飛駒には、町営バスが2系統やってきます。ひとつは、同じ安蘇郡の中心地であった佐野市へ向かいますが、もう1系統は、飛駒から足利市へと向かいます。実距離からしても、佐野よりは足利により近いロケーションで、流域を同じくする佐野市のみならず、河川交通が主流であった頃には敢えて超えなかったであろう足利市方面にも路線設定がなされていることは、通院行動や通学行動の体系に対応したものでしょうか。この地域のおける生活圏の多様性を象徴しているようにも思えました。

※田沼町は2005年2月28日に合併により、新しい佐野市となりました。飛駒の住所表記は「佐野市飛駒町」となりました。

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