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山陰の夏 II

夏は、すべてのものが輝く季節である。すべてのものが、それぞれの最高の姿を存分に示し、爆発させて、鮮烈にひかりを放つ。ひとつひとつのひかりが大きなひかりの幕となって空間を占拠し、大きなひかりの輪となって、巨大なエネルギーとして昇華してゆく。その限りない力は、この地をも明らかに覆っていた。


             (1) ある浜の風景 −天橋立にて−

「ある浜辺の風景」

その朝
ただくもっていただけの朝は
突然に照りだした陽の眩しさによって
一転して真夏の午前に様変わりした

取り囲む松の群れの向こう
せみ達によるいのちのメロディーの降りる彼方
ざわり、ざわり、やわらかく波が寄せる

海は“朝”の光をいっぱいに受けて凪ぎ
淡いブルーの空と同じ水色に染まって
ゆっくりと、漁船を抱えこませている

浜辺に向かう木の卓の上に、貝殻がひとつ
そっと置かれている



 天橋立での滞在は、1999年7月16日金曜日の午前8時から午前10時までの短いものだった。夏休み目前で日差しは朝から強く、海水浴をしている人影も見られた。しかし、普通の日であったためか、人出はほとんどなかった。静かな朝を迎えた砂州は、時々通る通学の学生の乗る自転車を除けば、いたって落ち着いた佇まいを見せていた。天橋立は、内海(阿蘇海)をショートカットする生活道路そのものであった。観光地というと、違う場所から来たものにとっては、どこか特別な場所であるかのように錯覚しがちである。けれども、地元の人たちにとっては、まさにそこは生活の舞台であって、日常生活の営まれる場所である。ありふれた夏の一日をスタートさせたばかりの砂州、きらきら輝いた海の上に浮かぶ舟、そして、ざわりざわりと寄せる波。天橋立の“生の”日常は、日本三景というかたくるしい言葉から連想されるものとはほど遠いものだった。それは、あくまで人々が住まうしずかな津々浦々のひとつであった。
日が昇るにつれて、夏の空気はめらめらと湧き上がり、松原は日陰を深くし、海は日の光をいっそう吸収して瞬いた。


             (2)風の足跡 −鳥取砂丘にて− 

「砂の怪物」

だだっ広い砂の大地に足跡が続いている
人は米粒ほどの大きさにしか見えない
松林の向こうに突然現れた“砂の怪物”
人はその掌の上で果て無き道に迷い込む

空には雲は見えず、かんかんに日は照りつける
その熱はわたる風に少しばかり力を奪われ
とてもすがすがしい

足をとられながら、大きな高まりを
やっとのことで越えたその時
雄大な日本海が目の前にあった
マリン・ブルーのすきとおるような水面は
岸に近づくにつれて徐々に波立ち、
実にさわやかな産声をあげて打ち寄せてくる

彼方の岬のかがやかしい緑のまたその彼方へ
つづく大海原を目の当たりにできた
“砂の怪物”は、いまや足もとにある
このときの爽快感は、また
この“砂の怪物”をうちのめした
達成感でもあったのかな



 
盛夏の入口の、朝方の天橋立での時間を過ごした私は、列車を乗り継ぎながら、鳥取へと向かった。鳥取市は、人口15万、県庁所在都市では決して人口規模が大きいほうではないが、巨大な駅舎に、駅前から県庁までの間に展開する市街地はなかなか高密度で、同人口規模の他の地方都市と比べても、中心性は高いと感じた。この日は、梅雨明け十日の、かんかん照りの本当によい天気で、日本海の魚介とトマトのおいしいパスタを食べた後に向かった鳥取砂丘も、白く霞む青空の下、すっきりとした砂色を見せていた。

日本最大の砂丘で知られる鳥取砂丘だが、果たしてとても雄大だった。真夏の日射のもと、海からの風に吹かれながら、さらさらとした砂に足をとられながら、ちょっとした丘ほどの規模となっている砂丘を登っていく。それは、本当に普通の砂浜海岸のそれではなく、明らかに砂の丘と呼称されるにふさわしい比高を持つ“丘”であったのだ。自然と、日本海方面への眺望も、素晴らしいものとなる。

砂丘の頂点から眺める日本海は、どこまでもクリアな青色を呈して凪ぎ、上級の夏空の勢いをよそに、どこまでも落ち着き払った容貌をしているように感じられた。砂丘の高さから見ると、日本海のそういった“生の大きさ”のようなものを本当にリアルに感じることができるように思われた。波打ち際に目をやれば、砂丘の果てを白波がひっきりなしに洗い、浸食している。ただ上から見ているだけでは物足りなくなり、急崖のごとき傾斜を海岸に向かって下ってみた。寄せては返す波の運動は、海のたおやかさを受けながらも、激しく、そして繊細な波飛沫を波頭に瞬かせながら、砂丘を渡る風とシンクロする。海と同じ目線で接した時、海の壮大さへの畏敬はそのままに、その美しさを肌で感じて、いっそうの憧憬と親近感を覚えたような気がした。


「風の足跡」

さらさらさら、さらさらさら
白い砂たちはとてもたやすく手のひらをぬけていく
さらさらさら、さらさらさら
一掴み、また一掴み、砂たちはまた同じように
指の間をすりぬけて、軽やかに、大地へと還っていく

一面クリーム色の砂丘の只中で
人々に踏み荒らされた地面を
またくしゃくしゃにしていた自分に気がついて
辺りを見回してみれば、乱れた地面のそこかしこに、
風の去った証 −風の足跡− が
しっかりと残されているではないか

僕は、わずかに汗にとらえられた砂で汚れた
手のひらに全く気にすることなく
しばらくその風景に目を奪われていた



 鳥取砂丘を後にした私は、再び山陰本線を西して、倉吉駅で下車後、倉吉市の市街地へとバスへ向かった。倉吉は、玉川沿いに白壁の土蔵群が残るなど、ゆたかな町なみが残るおだやかな景観が美しい町だ。この日の宿泊先は三朝温泉であったので、三朝行きのバスを待つ間の時間を利用して、そんな慎ましく輝く町を歩いてみた。昔ながらの佇まいを残しながらも、鳥取県中部の中心都市として、ある程度の集客を盛る中心商店街には、意外に人通りも多く、一定の活気を感じることができたことに、ほっとした自分がいた。地方には、ほんとうに、すてきな町がたくさんある。このことを改めて再確認することができたこと対する、ささやかな喜びであった。

三朝温泉は、三朝川沿いに慎ましく展開する温泉町といった風情だ。河原には、この温泉街を象徴する「河原の露天風呂」もあって、魅力ある温泉が数多く存在する山陰にあって、きらりとひかる個性を秘めた温泉街であるように感じた。


             (3) 山のはざまに −蒜山の風は清しく・・・−

「山のはざまに」

僕以外乗客のいないバスは
倉吉の街を離れて、いよいよ山の中へ
緑の息づく野を越えて
入れ替わり立ち代わり瀬を見やって
ゆるやかに、バスは蒜山のふところへ至る

高原の夏はとてもひそやかに構え
草原を、牛たちを、人々を抱え込んで、
さらに周囲の山々に見守られる
そう
すべてはそのやさしいたたずまいの
山々のはざまに横たわり、おさまっているのだ

水と緑と生命の息遣いに彩られた
中国山地の風景をいっぱいに感じて
バスはまた山を越え、川に出合う



三朝で一泊した翌朝、倉吉の街に戻った私は、蒜山高原方面へゆるかな山道を越える路線バスに乗り込んだ。私以外のわずかな乗客たちはすべて倉吉の後背地域で下車してしまい、蒜山高原まで利用したのは、私一人だけという、なんとも贅沢なバス旅行となった。車窓に展開する山々は、上越国境や日光付近などの猛々しい山岳に見慣れてきた私にとって、とても包容力のある、やさしい表情をしているように感じられた。そういったたおやかな中国山地の山陽の延長線上に、蒜山高原は展開していた。前日に引き続いて穏やかな夏の青空に恵まれたこの日は、夏の太陽と瑞々しい大地とに育まれた草原や山の緑が、ひときわ鮮やかに、アグレッシブに、展開しているのではないかと、この地を初めて訪れた私にとっても、一目で感じることができたような気がした。ジャージー牛がおだやかに草を食む草原の中を、レンタサイクルでゆうゆうとサイクリングを楽しみ、夏の草原のかぐわしい風を感じた。中国山地のたおやかさに、どっぷりとつかりながら、夏の大空を仰ぎ、風を切って、時に急坂に息を切らせながらも、ペダルをこぐ足に自然に力が入った。
岡山へと戻るバスには、けっこう客が乗り込んでいた。このバスの車中からも、水と緑と生命とに彩られた中国山地の風景が、ドラスティックに展開した。そこにある山や川は、どこまでもゆったりとしていて、目に快かった。

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