Japan Regional Explorerトップ > 地域文・東北地方 > シリーズ・クローズアップ仙台・目次

シリーズ・クローズアップ仙台

#70ページ #72ページへ→

#71 蒲生・岡田周辺、2010年初冬の姿 〜あの日の前を記録する〜

 仙台、そして我が国にとって忘れることのできないあの日、2011年3月11日から4年超が過ぎました。学生時代を過ごした仙台については、卒業後もしばしば訪れて多くの地域の姿を目に焼き付け、拙稿において記録を行ってまいりました。2010年も11月と12月に仙台におけるフィールドワークを行い、後日同じように本稿においてご紹介するつもりでおりました。しかしながら、11月に足を運んだ場所は宮城野区北東部の蒲生から岡田にかけてのエリアを含む形となっており、その活動から約4ヶ月後、蒲生地域を含む仙台市沿岸部は未曽有の大津波に襲われ、甚大な被害を出すこととなったのです。現在蒲生地区の一部は災害危険区域として住宅等の建築が禁止され、移転の対象地区となっています。今回のフィールドワークにおいては罹災前の住宅地域や沿岸部の様子も撮影しており、本稿への掲載の是非についてもかなり悩みましたが、豊かな文化と風雅に彩られた地域の姿をご紹介することは今後の地域再生への検討資料になるのではないかということ、そして何より貴重な地域の歴史を記録することは重要なことではないかとの考えから、今回文章化し公開することとさせていただくことにいたしました。以下、通常のスタイルで書き進めてまいりたいと思います。

蒲生バス停

蒲生バス停付近の景観
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)
貞山運河

貞山運河
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)
高砂神社

高砂神社
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)
日和山

日和山
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)

 2010年11月21日、駅前のバス停から蒲生行きのバスに乗車しこの日の活動を始めました。バスは原町や福田町などを経由し、約50分後、終点の蒲生バス停に到着しました。系統ととしては交通局大学病院前から仙台駅を経由し蒲生まで到達するという比較的長大な路線で、2015年12月に予定される地下鉄東西線開通の折には、同線の東のターミナルである荒井駅方面に向かう路線として再編される見込みのようです。周囲は穏やかな住宅地となっていて、美しい松並木に抱かれる貞山運河(藩政期から明治期にかけて、北上川と阿武隈川河口を結ぶ形で建設が進められた運河です)を介して蒲生干潟に臨む格好となっています。

 松波の中には高砂神社が小ぢんまりとした佇まいを見せていました。このあたりは平安から鎌倉時代にかけて松並木が整備されてきた伝統的な名所として知られていたようです。江戸時代に前述の運河工事の際に当該地域が泥地で工事が難航したため神に祈願し、神社を建立したことが高砂神社の由緒です。神社の名は藩主伊達忠宗が巡視の際、松並木では屈指の美しさで知られる播州高砂(兵庫県)にちなみ、高砂と呼ぶようにと命じたことによるのだそうです。1889(明治22)年の町村制施行の際、蒲生のほか周辺の田子・福室・中野・岡田の各村が合併した時当神社にから高砂村と称した歴史があります。高砂村は1941(昭和16)年に岩切・六郷・七郷・中田の各村とともに仙台市に編入されています。これらの村名は現在でも仙台市内における広域的な地域名称として使用されています。

蒲生干潟

日和山から蒲生干潟を望む
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)
蒲生干潟

日和山から蒲生干潟・太平洋を望む
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)


七北田川を介し蔵王連峰を望む
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)
七北田川

七北田川を介し中心市街地方向を望む
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)

 高砂神社から海辺へ歩きます。養魚場とおぼしき池などを一瞥しながら、野鳥の貴重な生息地として特別保護区に指定される蒲生干潟へと出ました。「日本一低い山」を標榜していた日和山から干潟を眺望します。初冬の雲ひとつない空の下、干潟は鏡のような滑らかな水面を呈していました。彼方にはやわらかな日差しを受けて輝く太平洋が一面に広がって、打ち寄せる波の音が快く耳に入ります。松並木に沿った堤防の上を南へ歩きますと、七北田川の河口付近に到達します。七北田川は元々河口付近で北へ折れ太平洋に注いでいました。現在は直線的に流れ込んでいますが、そのかつての河口は蒲生干潟となっています。

 蒲生付近の美しい海岸の風景を目に焼きつけながら、七北田川左岸に沿って県道を西へ歩きます。七北田川は冬の緩やかな日差しの下、悠然とたゆたっていました。沖積平野が広がる隆起では一気に視界が開けて、蔵王連峰や泉ヶ岳方面の山々や、中心市街地のビル群もくっきりと眺望できます。七北田川に架かる最下流の橋である高砂橋を渡り、上屋倉バス停付近から西へ、七北田川の自然堤防上に発達した集落を縫うように進むバス通りを進みました。

高砂橋

高砂橋から南西方向
(宮城野区蒲生、2010.11.21撮影)
田園風景

岡田付近の田園風景
(宮城野区岡田付近、2010.11.21撮影)
長屋前

長屋前バス停付近の景観
(宮城野区岡田、2010.11.21撮影)
賀茂皇神社

賀茂皇神社
(宮城野区岡田、2010.11.21撮影)

 県道近くには区画整理された住宅団地がある一方で、自然堤防上を緩やかに続く市道沿いは穏やかな農村集落然とした佇まいで、仙台平野全般に認められる防風林(イグネ)を持つ家並みや、藩政期以降徐々に整えられた広大な水田とが爽快な風景をつくっておりまして、長屋門や土蔵造りの家々とともに、米どころたる宮城野の風景を体感することができました。仙台東部道路の近くには、バスの行き先としてもしばしば目にする機会の多い賀茂皇(かもこう)神社が鎮座していました。歴史を感じさせる石鳥居の奥には新しい社殿があり背後にわずかな社叢が在る姿は、ここが仙台都市圏の郊外化により次第に都市的な土地利用が拡大してきた過程を見ているようでもあります。

 フィールドワークはその後福田町方面へと進んでいきます。冒頭にご案内いたしましたとおり、本稿の前半部分の蒲生地区を中心としたエリアは東日本大震災による津波の被害を受けた地域です。仙台市の復興計画によりますと、この地域は東端の蒲生干潟に隣接する部分は緑地とする一方、「蒲生北部土地区画整理事業」の施行により、事業系の土地利用を前提とした区画となります。既にご紹介し、蒲生と同様大きな被害を受けた荒浜地区のことも含め、ここには素晴らしい歴史と風土と自然に満ちた地域があったことを記録するとともに、犠牲になられた方々に対し、心より哀悼の意を表したいと思います。


このページのトップへ

 #70ページへ           #72ページへ

目次のページに戻る


Copyright(C) YSK(Y.Takada) 2015 Ryomo Region,JAPAN