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瀬戸内逍遥 I

西南日本における海の大動脈、瀬戸内。
古くから、大陸と日本とを結ぶ重要な海の道としての役割を担いながら、数々の歴史の舞台となりました。

また、豊かな風光と、穏やかに育まれた文化、海とともに歩んだ人々の脈動を感じさせる、母なるおおらかな海です。
そんな“瀬戸内世界”に向き合うプロローグとして、瀬戸内逍遥 I をまとめてみました。


遂に実現! 「落書き帳」メンバーとのコラボレート企画

日頃よりお世話になっております、グリグリさんのホームページ内「都道府県市区町村」にあります掲示板「落書き帳」のメンバー、なおさんにご寄稿いただいた文章を軸に、私の地域訪問記を追記したコラボレート企画としてこのページは作成します。なおさんには貴重なお写真、文章をお送りいただきまして、まことにありがとうございました。

訪問者カウンタ
ページ設置:2003年12月18日



青字:なおさん執筆部分    黒字:YSK執筆部分
※写真で、撮影者名が無いものはYSKが撮影したものです。

1.“ひろしま”を通じて (2003.8.27)

広島にきた日は、有名な路面電車で原爆ドームへ向かった。
だんだんと原爆ドームに向かっていった。しかし見た瞬間に心が裂かれそうな原爆ドームが目に入った。想像を絶し、恐怖心を感じた。原爆資料館に入り、絵を見てみたが、この世とは思えない絵、写真があちらこちらにあった。
普段、8月6日には平和授業があるが、改めて、そして強く核が不必要でどのような悲劇を生むのか痛感したような気がする。

原爆ドーム

原爆ドーム(なおさん撮影)
(広島市中区中島町/大手町一丁目、2003.8.27撮影)
産業奨励館

在りし日の広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)
(平和公園内の説明表示より、2003.8.29撮影)

私が、広島の平和記念資料館を最初訪れたのは、1994年8月のことでした(山陰の夏 I 参照)。

雑然と転がるコンクリートの塊。外壁が吹き飛んで、見事なまでに骨格だけが残る円筒形。そして、何よりも身震いを起こさせるその砂漠色に、とにかく、声が出なかった。目の奥が熱くなった。確かに、目を開けていられないくらいの熱さを感じた。真夏の熱気のもと、それはしっかりと広島の地に立ち、この街を見守っている。この街に息づくすべての平和への思いをがっしりと受け止め、無言のアッピールを送り出している。
(拙稿「山陰の夏 I 」より抜粋)

瀬戸内のおおらかな風土の中にあって、一際輝きを放つ町、広島。その礎として、1945年8月6日の、あの日があることを、実感した広島訪問であったと思います。なおさんにおかれましても、広島の希求する崇高な思想に思いをいたしながら、平和の尊さ、そして近代都市として燦然と存在する広島の町の趨勢を、十分に感じ取ったのではないでしょうか。

※広島市につきましては、HIROSHIMA REVIEW のページでも、特集しています。ぜひ、ご覧ください。



2.雨の中の宮島

雨の中だったが、霧の中から愁色の大鳥居が輝いて見えた。
宮島の町の風景は環境なども重視されており、住みたいほど親しみやすい町並みで厳島神社までの道のりの中を幾度となく鹿に会った。
厳島神社は引き潮になると、建物のすべてが柱まで見えた。平清盛の時代にどのように建てたかが少し気になるところである。世界遺産になったのが分かったような気がする。
大鳥居まで潮引いたので行きたいところだったが、時間が無かったので断念した。

厳島神社大鳥居

厳島神社大鳥居(なおさん撮影)
(広島県宮島町、2003.8.28撮影)


宮島の鹿(なおさん撮影)
(広島県宮島町、2003.8.29撮影)

 宮島でもっとも著名で、輝きを放っている建造物の1つ、厳島神社。大鳥居の迫力や、鹿のかわいらしさが伝わってくるような写真をいただきました。私も、1994年8月の広島訪問の後、宮島に行きました。そして、今年2003年、再訪を果たしたわけです(瀬戸内逍遥 II 参照)。

宮島町の中心部は、歴史的なムードに満ちた、懐かしい雰囲気の色濃い落ち着いた街並みの宝庫でした。土産物店が並ぶ表通りを歩いたのでは絶対に出会えない、瀬戸内の古い街並みは、見事という他ありません。厳島神社や大元神社を見た帰路に、千畳閣から見下ろした街並みのたおやかさに惹かれ実際に街中を歩いて見ましたが、そのあまりの奥ゆかしさに、路地を歩いていてとても晴れやかな気持ちになりました。
(拙稿「瀬戸内逍遥 II 」より抜粋)

宮島全体が、ゆたかな自然と、瀬戸内海の航海史、民俗史などのエッセンスを閉じ込めた、宝石箱なのだと思います。もし、次に宮島を訪れるときには、こういった島の雰囲気を存分に感じてくださいね。



3.瀬戸内の道・高松の街

四国の島へと差し掛かった。
するとその懐から瀬戸大橋がうっすらと見えた。とても雄大で輝いていた。
高松の街は都会的だった。駅前広場から放射状に広がるアート、建物が良く見えた。
屋島から見るとよりいっそう大人の街の雰囲気を感じさせた。


高松市夜景

高松市夜景(なおさん撮影)
(屋島より、2003.8.28撮影)
こんぴら様

金刀比羅宮(なおさん撮影)
(香川県琴平町、2003.8.29撮影)

 

4.こんぴら

金毘羅は内子と同じような江戸時代の雰囲気を漂わせていた。
その日はとても歩いたが、足の痛みも忘れてこんぴらさんに向けて歩けた。
金の象、不思議な狛犬など結構ユニークさも感じられた。
こんぴらさんからの風景は雄大な讃岐平野を一望できるほどの絶景で、琴平の瓦の町並みだけでなく遠く向こうの瀬戸大橋も見えた。
こんぴらさんから降りてきたが、そのときのぶっ掛けそばは絶品だった。



高松と琴平は、1999年3月に訪れて以来、再訪の機会がありませんね(四国、春の踊る場所 参照)。春のたおやかな空気の中、700段を越える階段を登り、讃岐平野の風景を一望のもとに見渡したのでした。

頂上から見下ろす讃岐平野は、実に穏やかな広がりを見せ、北東にはかすみながらも讃岐富士の容姿をはっきりと見ることができた。讃岐山脈の山並みから、ゆるやかに瀬戸内海へと続く讃岐平野は、点々と分布する集落に象徴される豊かな歴史と文化の舞台である。金毘羅さんの厳かな佇まいもあいまって、讃岐のは和やかに過ぎ、新たなる歴史へとつながる蓄積へと昇華してゆく。
(拙稿「四国、春の踊る場所」より抜粋)

高松は、一晩を過ごしただけで、都心のアーケードに自転車が溢れていた様子や、支店経済の町らしく、オフィスビルに多くの企業支店が軒を連ねる様子が印象に残っていますね。現在では、ウォーターフロントの再開発などが進んでいるようで、町自体も大きく様変わりしているのではないかと思います。なおさんの感想をもっとお聞きしたいですね。






5.瀬戸内逍遥 I

瀬戸内に関心を寄せるようになったのは、そこが海の道として、たくさんの輝きにあふれていたためだったと思っている。沖縄で、島と島とを結ぶかけ橋の存在をインスパイアされ(1999年)、その視点は翌2000年夏の北海道の海へと受け継がれた。陸上交通全盛の時代、我々は海を介して人や物を運び、海とともに合った時を忘れていないだろうか。2001年から2002年へと続いた「西海道訪問記」も、常に海をテーマに置いていた。そして、海の道は瀬戸内に帰着したのである。古来より、畿内と西日本諸国とを結びつけた海、わが国と外国とをつないできた海、それが瀬戸内海であった。そんな数々の歴史と風土、自然に彩られた瀬戸内を見てみたい。2002年9月21日、広島市に入った私は、広島市周辺の周遊を終えた翌22日に、尾道へ移動、しまなみ海道を大三島まで行って往復する定期観光バスによって、瀬戸内を概観することにした。

尾道水道(新尾道大橋より)

尾道水道
(広島県尾道市、2002.9.22撮影)
生口島・洲江集落

生口大橋より生口島・洲江集落方向を見る
(広島県因島市、2002.9.22撮影)
生口島のみかん畑

生口島のみかん畑
(広島県瀬戸田町、2002.9.22撮影)
伯方島を望む

多々羅大橋へ向かう道路から見た伯方島
(広島県瀬戸田町、2002.9.22撮影)
多々羅大橋

多々羅大橋(多々羅しまなみ公園より)
(愛媛県上浦町、2002.9.22撮影)
大山祗神社

大山祗神社拝殿
(愛媛県大三島町、2002.9.22撮影)

※愛媛県上浦町と大三島町は、2005年1月16日、今治市及び越智郡の9町村とともに合併し、新しい
今治市となりました。

バスは、観光客を当てこんだようにこぎれいに整えられた尾道駅前を出発し、新尾道大橋によって最初の海峡を越えた。初めてこの海峡−尾道水道−を見たときは、「これが海なのか」と新鮮な驚きを覚えたのが懐かしく思い出される。バスはそのまましまなみ海道を降りずに、向島から因島へと軽快に走る。因島と生口島をつなぐ生口大橋からは、因島と生口島に挟まれた穏やかな海と、その海に接する集落の様子がたおやかに眺められた。

生口大橋を渡りきると、バスは一般道に入り、因島市から瀬戸田町への道を進んだ。沿線は瀬戸内らしいみかん畑のてかてかした樹冠が眩しく光り輝いていた。

バスは、さらに海を越え、越智水軍の範域、大三島へ。大三島には、古くから水軍の信仰を集めた古社、大山祗(おおやまつみ)神社を見学した。大山積神を祀るこの神社は、山のみならず海の祭神として広く崇められる、鎮守である。このことには、山の神を信仰していた南九州の海民が瀬戸内海地域に移動してきた可能性とにリンクさせる見方もあるようであるが、そのことの是非はともかくとして、我々日本人の祖が、山や海と密接にかかわりながら、日々の生業にいそしんできた足跡なのではないか、と考えておきたい。

以上、なおさんのご寄稿を合わせながら、瀬戸内世界を考えるというコンセプトのもと、諸地域をアラカルト的に概観してきました。もっと、瀬戸内海に注目してみたい。そう、強く思う。

JR呉線に乗車し、尾道へ向かう途中、家船と呼ばれる船で一生を過ごして漁労を行ってきた漂海民の根拠地である、能地(三原市)付近を通過した。穏やかな海を背に、サカキやシキビの枝を手に、彼岸の墓参りへ向かう人々に出会った。その光景が、しずかな瀬戸内海のようすとあいまって、瀬戸内世界の奥深さを物語っているように思えた。

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(C)Nao&YSK(Y.Takada)2003 JAPAN