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瀬戸内逍遥 III
〜赤穂、城下町の面影をゆく〜

2015年11月、「忠臣蔵」の舞台として知られる兵庫県赤穂市を訪れました。
藩政期以来の市街地構成が残る町並みは、瀬戸内海の凪のごとき、たおやかな表情をみせていました。

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ページ設置:2018年3月30日



 2015年11月21日、中国山地の山中、たたら製鉄の里を彷徨した私は、その後中国道などを経由して瀬戸大橋の袂にある景勝地・鷲羽山展望台へとやってきました。時刻は既に夜7時を回り、眼前の瀬戸内海は闇に包まれていました。その中を瀬戸大橋の主塔とメインケーブルが闇夜を突き抜けるように光の列を形づくっていました。そのラインの先には四国側の街明かりもあって、夜景をさらに魅力的なものにしていました。陸上交通手段の飛躍的進歩の前、長らく大量輸送手段の主軸は水上交通が担っていました。その主要な舞台のひとつであった瀬戸内海の上を鮮やかに横切る瀬戸大橋の姿は、瀬戸内の美しい風光もあいまって、その新旧のマストランジットの共演をダイナミックに描き出していました。

瀬戸大橋

鷲羽山展望台より瀬戸大橋を眺望
(倉敷市下津井田之浦2015.11.22撮影)
瀬戸大橋

瀬戸大橋の夜景
(倉敷市下津井田之浦2015.11.22撮影)

 その日はレンタカーを借りた岡山駅前に戻って車を返却、新幹線と在来線を乗り継いで兵庫県西端の都市・赤穂へと向かい宿泊しました。赤穂と言えば、忠臣蔵の舞台としてあまりに有名です。藩政期の赤穂はこの赤穂事件で知られる浅野家をはじめとした複数の藩主が治める、瀬戸内に面した城下町でした。現在の赤穂は、兵庫県西部にある小地方都市といった風情で、その一方京阪神方面からは新快速列車で直接到達することのできる大都市圏域の最外縁部を構成する地位委という側面も持ちます。JR播州赤穂駅前は大規模店舗が集積する商業地と言うよりは、この町を訪れる人々を純粋に迎える玄関口という機能に徹しているような慎ましさが、かえって猥雑すぎず、良質な旅情を誘うような風景であるように感じられました。

 大石内蔵助の像が立つ駅前を南へ、赤穂の市街地へと歩を進めます。清流として知られる千種川の河口部の沖積地に展開する赤穂の市街地は、上流部における製鉄業に伴う鉄穴流しで発生した土砂により中世以降急速に発達した地盤の上に存立していると言われているのだそうです。南に瀬戸内海に臨む位置につくられた赤穂城に向かって縄張りされた町場は、駅前周辺は多分に現代的な区画整理の跡が感じられるものの、その土地区画は概ね旧城下町のそれを踏襲しているのだそうです。駅前から城跡へと続くお城通りの歩道には、「赤穂藩上水道」と示されたモニュメントが設けられていました。発掘調査で確認された大桝(千種川から導水した水を一時貯留させ不純物を沈殿させた装置)の跡が歩道上に方形で示されていました。旧赤穂上水は1616(元和2)年に敷設されたもので、我が国でもいち早く各戸給水を行ったことから、神田上水、福山上水とともに日本三大上水道のひとつに数えられています。

播州赤穂駅前

JR播州赤穂駅前
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
大石内蔵助像

JR播州赤穂駅前・大石内蔵助像
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
赤穂藩上水道

赤穂藩上水道のモニュメント
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
大桝跡

赤穂上水・大桝の範囲を示す方形
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
息継ぎ井戸

息継ぎ井戸
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)


花岳寺通り
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)

 お城通り交差点の傍らには、「息継ぎ井戸」と呼ばれるつるべ井戸があります。1701(元禄14)年に起きた江戸城松の廊下における刃傷事件を受け、藩士が江戸から早駕籠で4日半かかって赤穂に到着、この井戸で水を飲み登城したという伝承があります。交流広場と名付けられた小スペースから南の市街地には城下町時代の町割りを反映した田町筋や花岳寺通りといった路地の佇まいもあり、徐々に古い町並みが往時を思い起こさせる景色へと移り変わっていきます。花岳寺は元禄事変後は歴代藩主の菩提寺となっていた古刹で、義士三十三回忌の際に彫刻された四十七士の木像が安置されています。門前はまさに昔ながらの商店街と言った印象で、忠臣蔵に関係した史跡としてここを訪れる人々を多く歓待していることが想像されました。

 花岳寺周辺の町屋が残る町並みを味わいながら、松並木が美しいお城通りを横断して、かつて千種川から掘り込まれて整えられていた船入跡へ進みました。現在は船入跡であることを示す石碑があるのみですが、河川海上交通の拠点としても栄えた赤穂城下町のよすがを今に残す事物として大切に保存がなされているようでした。穏やかな住宅や寺院が立ち並ぶ地区を経て到達した千種川は、上流のなめらかな山並みをなぞるように雄大な流れを見せていまして、生活用水として、また物流の要として、赤穂の町を支えてきた懐の深さを存分に感じさせました。

花岳寺

花岳寺
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
花岳寺門前

花岳寺門前の町屋の見える風景
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
船入跡

船入跡
(赤穂市加里屋、2015.11.22撮影)
千種川

千種川(赤穂大橋付近)
(赤穂市中広、2015.11.22撮影)
赤穂城跡・大手隅櫓

赤穂城跡・大手隅櫓
(赤穂市上仮屋南、2015.11.22撮影)
大石邸長屋門

大石邸長屋門
(赤穂市上仮屋、2015.11.22撮影)
赤穂城跡・本丸跡

赤穂城跡・本丸跡
(赤穂市上仮屋、2015.11.22撮影)
本丸庭園

本丸庭園
(赤穂市上仮屋、2015.11.22撮影)

 赤穂城は1648(慶安元)年から13年の歳月をかけて建設されたという、変形輪郭式の平城です。堀に突き出すように大手隅櫓があり、石垣が精悍な意匠を見せていまして、財政規模が限られる中で丁寧に時間をかけて築城した経緯が偲ばれます。大手門を入り、枡形を経て三の丸の武家屋敷が立ち並んでいたエリアへと進んでいきます。郭内には近藤源八宅跡長屋門や大石邸長屋門が残されていまして、武家地の態様を今に伝えていました。赤穂浪士を祀る大石神社を訪問した後は、二の丸そして本丸へと進みました。復元された城門や再整備が行われた本丸庭園などがあって、藩政時代の藩庁としての姿が少しずつ整えられようとしている姿を確認しました。

 瀬戸内海、播磨灘を望む赤穂の町は、全国的に名の知られた事件によって藩政の変容を余儀なくされながらも、地域の町中心として存立してきた変遷を、その町並みの中に濃厚に残しているように思われました。江戸時代、表だって顕彰することがはばかられるなかにあっても、義士への崇敬を忘れず持ち続けていたという赤穂人の気質は、地域の資源を生かしながら地道に経済基盤を維持し、地域を次代へとつないできたこの町の容貌そのものであるようにも考えられました。



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