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2005・東北春彩

2005年5月、春爛漫鮮やかさに溢れた東北北部を巡りました。
うららかな陽光に包まれた大地は、この上のない透明度と爽快感のなかにありました。


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角館と弘前、桜の中で

春は穏やかさを内包しながら、里を潤し、大地を駆けて、山へと向かって勢いよく吹きぬけていっているように感じられました。盛岡で盛りを越えた春光は、奥羽山脈の木々に囁きかけながら雪融けの水を促して、葛巻の湿原にてやわらかなミズバショウとザゼンソウ、カタクリに春色の絵の具をたっぷりと塗りこめる絵筆となって、角館の町並みの中では、シーンをかたどるシダレザクラの軽やかな枝々にしっとりとした輝きを与えてさみどり色のグラデーションを作りあげて、行く人々に初夏の訪れを告げていたのでした。はらり、はらり、夏の猛々しささえ彷彿とさせる晩春の風は、一陣の桜屏風となった花びらたちを乳白色に包まれた空へと巻き上げると、その躍動感は春のやわらかさを初夏の踊るこころのままに響かせるかのごとく、その繊細な質感のまま、始まったばかりの新しい夏の衣を纏いつつある枝の1つ1つを軽やかに揺らしていました。

城下町の面影を残す角館は、久保田(秋田)藩のもとに存在した支藩に似た位置づけにある小城下でした。角館町のホームページの説明がわかりやすいので、ここに引用します。

関ヶ原後の大名配置により戸沢氏は常陸へ(後に新庄へ)、秋田には佐竹義宣が入り、角館にはかつて会津の雄であった名族芦名義勝(佐竹義宣の弟)が佐竹氏より1万5千石を与えられ居住することになった。芦名義勝は、城下町建設にあたって、義宣の久保田城下建設(現秋田市)と同じ考えのもとに進めるが、城山(古城山)の北東にあった城下を座標軸に180度回転させ現在の角館町を町割りしつくりあげた。芦名氏は3代51年で断絶、後任には佐竹氏一門の筆頭格の佐竹義隣(佐竹北家)が所預として入部し、幕藩体制の終る明治まで佐竹氏の時代が11代213年間続いた。

この芦名家、佐竹北家と続いた歴史の中で育まれた角館の町並みは、春から夏へと移り変わる刹那の情景を自然に味わいながら、佇んでいるかのようでした。黒壁のつづく道、昔ながらの構造を色濃く残す武家屋敷の群れ、桜の花びらを受け止める水をわずかに潤させた水路、枡形と呼ばれる、城下の見通しを効かせないようにわずかにとりつけられたカーブなど、多くの造形は江戸時代の配置をそのまま受け継いでいるといわれる町並みは、大型連休中の尋常でない観光客の隊列にもまれながらも、いささかもその気品を落とすことなく、本当に美しく、どこまでも気高く、いきいきと、淡い輝きを見せてくれていたように感じました。歴史的町並み保存地区の指定を受ける、城下町北側の「内町の武家屋敷地区」や、役場前や駅へ続く商店街を経て南へ連接する、「もう1つの武家屋敷地区」と呼ばれる「田町の武家屋敷地区」。相当とも角館の町が刻んできたあたたかい歴史のエッセンスをふんだんに吸収した、確かな丸みをもつすてきなエリアでした。とりわけ、私が惹かれたのは、現代の角館の息づかい溢れる町並みの中にはまりつつ、その歴史性をも存在感のあるものにさせる田町の町並みでした。やや商業的な雰囲気を感じるも落ち着いたファサードが印象的な西宮家の建物群や周辺の土蔵や商店街の佇まい、そして安藤醸造元のレンガ造りの蔵座敷はまさに今と今に繋がる時代の絶妙なコラボレーションとも言うべきで、かけがえのない角館の財産として、昇華していく豊かさを持っている地域であるに違いないと思える場所でした。

刺巻湿原のミズバショウ

刺巻湿原のミズバショウ
(田沢湖町刺巻、2005.5.4撮影)
角館・シダレザクラ

角館・武家屋敷の桜
(角館町東勝楽丁、2005.5.4撮影)
角館・武家屋敷

角館・内町武家屋敷の景観
(角館町東勝楽丁、2005.5.4撮影)
角館・中町の景観

角館・中町の景観
(角館町中町、2005.5.4撮影)
田町武家屋敷地区の景観

角館・田町武家屋敷地区の景観
(角館町下新町、2005.5.4撮影)
安藤醸造元

角館・安藤醸造元
(角館町下新町、2005.5.4撮影)

田町を過ぎ、角館南高校と北側から、ソメイヨシノが溢れんばかりの桜色を呈する桧木内(ひのきない)川の包みを軽やかに散策しました。この地の春は、心をくすぐる極上の芳香を持っていました。山を、川を、木々を、町並みを、大地を、空を、そして人々の心を、たくみに春という穏やかさの中に誘い、絶妙な季節感の粋をはらませながら、春風に乗せて、素晴らしいグラデーションの中に、1つの抒情詩として完成させる、かぐわしい香り。それは、目の前の微妙に移り変わっていく春の大パノラマのスクリーンの上に、現実の映像として、確かに、鮮やかに、実感として感じることができました。

そんな春風に背中を押されながら、まだまだたくさんの雪が残る秋田県内陸の山々を越えて、たどり着いた弘前は、春まさに本番。夏の気配はかすかに感じつつも、そこは初夏のバトンを手にせんといっぱいに手をのばしているかのような、春の只中にありました。市街地を迂回しながら郊外のりんご畑の中を進む農道「アップルロード」は、開花を目前に控えたりんごの花のたおやかさそのままのなだらかな山麓を爽快に進む道でした。りんご畑の向うには、残雪を輝かせる岩木山が前日の岩手山と同じように、すっきりと、くっきりとその姿を見せてくれています。「りんご公園」からは、岩木山のほか、弘前の市街地の向こう、八甲田山系と思しき峰々も眺望されました。

大覚野峠付近

国道105号線より、大覚野峠付近
(西木村上桧木内、2005.5.4撮影)
りんご畑と岩木山

弘前市りんご公園より、岩木山を望む
(弘前市清水富田、2005.5.4撮影)
弘前市街地遠望

弘前市りんご公園より、弘前市街地を望む
(弘前市清水富田、2005.5.4撮影)
弘前公園・天守閣と桜

弘前公園、天守閣と桜
(弘前市下白銀町、2005.5.4撮影)
弘前公園・本丸の桜

弘前公園・本丸の桜
(弘前市下白銀町、2005.5.4撮影)
弘前公園・本丸の夜桜

弘前公園・本丸の夜桜
(弘前市下白銀町、2005.5.4撮影)

午後1時過ぎに角館を出発し、米内沢、鷹巣、大館と通過して、弘前に到着したのは午後4時30分頃。町歩きを十分に行う時間は無く、弘前を後にした午後7時30分頃までの時間のほぼすべてを、満開を迎えいっせいに桜色に包まれていた弘前公園散策に使いました。夕刻となってもまだまだ明るい青空の下、日の長さに季節の移ろいを感じながら、その温かい大空に向かってふんわりと咲き誇る桜を見て回りました。堀端の桜、天守閣と寄り添う桜、岩木山の雄大な眺めに彩りを添える桜、桜と桜が重なって豊かな表情を見せる桜。桜の織り成す情景に心奪われながら、春の海の中にどっぷりと、心行くまで浸っていました。時計は、いつの間にか午後7時30分を回っていました・・・。

追記
秋田県田沢湖町、角館町、西木村は2005年9月20日に合併し「
仙北市(せんぼくし)」となりました。

晩春、千秋の森 へ続きます。


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