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東京優景 〜TOKYO “YUKEI”〜

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#48 百草園から高幡不動へ 〜多摩丘陵に抱かれた風景を歩く〜 (日野市)

 2012年1月29日、春まだ浅い多摩丘陵の山懐へと赴きました。日野市内、多摩川と支流の浅川とが合流する地点の南に位置する百草園は、約1週間前の深夜に降った雪がまだ所々に残っていました。百草の名は周囲の地名にもなっています。百草地区一帯には平安末期から鎌倉期にかけて鎌倉幕府の御願寺であった真慈悲寺があったと推定されています。その後現在の百草園のあるあたりに松連寺と呼ばれる寺院が建立され、江戸中期には寿昌院慈岳元長尼が再興したことで知られています。江戸期を通じて多くの墨客が訪れるほどの景勝地でしたが、明治の時代に至り廃仏毀釈を受けて廃寺となりました。1887(明治20)年地元出身の貿易商青木角蔵の所有となり、庭園百草園として一般に公開、現在は京王電鉄に移管されています。

百草園・紅梅

百草園、咲き始めた紅梅
(日野市百草、2012.1.29撮影)
富士山

百草園から富士山を眺望
(日野市百草、2012.1.29撮影)
新宿方面を眺望

百草園から新宿方面を眺望
(日野市百草、2012.1.29撮影)
百草八幡神社

百草八幡神社
(日野市百草、2012.1.29撮影)
シイ古木群

百草神社近くのシイ古木群
(日野市百草、2012.1.29撮影)
団地景観

朝日山緑地から百草地域の団地を望む
(日野市百草、2012.1.29撮影)

 京王百草園駅を出て、丘陵の縁をなぞるように進む川崎街道を西へ少し進みますと、百草園へのアプローチである百草園通りの入口に至ります。「旧松連坂」の記載も見える旧坂を500メートルほど上っていきますと、生垣に囲まれた百草園へと到達します。百草園は梅の名所として知られますが、訪問時梅は数輪紅梅が花開いていた程度で、ロウバイやスイセン、寒咲きのアヤメなどが見ごろを迎えていました。雪がうっすらと茅葺屋根に残る松連庵で休憩しながら、厳寒の装いに包まれる庭園の凛とした美しさに浸りました。心字池も凍りつき、積雪が随所に寒々しい風合いを見せていた庭園は、そうした暗色を緩和させるようなロウバイやスイセンの花々の灯火によって照らされていまして、春が間近であることを実感させました。丘陵の傾斜地にある園内からは各方面への展望も開けていまして、新宿や東京スカイツリー、富士山をも見通すことができました。条件が良ければ遥か筑波山も遠望できるようです。

 百草園の南に隣接して、百草八幡神社が鎮座します。当社の創建年代は不詳ですが、伝記によれば1051(永承6)年、陸奥守源頼義が陸奥への下向の途中、百草山に霊気のあるのを知り、男山八幡宮(現在の石清水八幡宮)の土を山上に埋めて社殿を祀り、戦勝を祈願したことに始まるとされています。安置されている銅造阿弥陀如来坐像(重要文化財)は、前述の真慈悲寺の本尊で、1250(建長2)年に鋳造されたものです。社殿の裏手には松連寺詩碑が建立されています。1841(天保12)年に造られたこの古碑には、松連寺の自然や眺望の素晴らしさなどが詠まれており、前出の仏像とともに、この地が古来より歴史的にも文化的にも重要な位置を占めてきたことを物語るものといえます。多くの文人に愛されたその風光は、今日も百草園や周辺の美しい丘陵の緑として継承されています。神社を取り囲む一帯のシイの古木群は日野市指定天然記念物となっています。



高幡不動駅近く、多摩都市モノレール
(日野市高幡、2012.1.29撮影)
高幡不動尊・仁王門

高幡不動尊・仁王門
(日野市高幡、2012.1.29撮影)
高幡不動尊・五重塔と不動堂

高幡不動尊・五重塔と不動堂
(日野市高幡、2012.1.29撮影)
高幡不動尊・大日堂

高幡不動尊・大日堂
(日野市高幡、2012.1.29撮影)
門前の商店街

高幡不動門前の商店街
(日野市高幡、2012.1.29撮影)
高幡不動駅前

京王高幡不動駅前の景観
(日野市高幡、2012.1.29撮影)

 百草園周辺の丘陵と団地とが隣り合う風景を確認した後川崎街道へ戻り、高幡不動方面へと進みます。程久保川を渡り、宙空を通過する多摩都市モノレールの下を通りますと、高幡不動駅前へ至ります。動物園線が分岐するほか、2000(平成12)年には多摩都市モノレールが開業し、郊外における主要駅のひとつとなっています。都立多摩丘陵自然公園となっている丘陵は独立峰で、周辺からもランドマークとして目立つ存在です。その丘陵の北側に寄り添うように高幡不動尊があります。正式には高幡山明王院金剛寺と号します。成田山新勝寺、玉オ山總願寺(不動ヶ岡不動尊、加須市)、雨降山大山寺(大山不動、伊勢原市)とともに関東三大不動のひとつとされます(總願寺、大山寺については、常楽院(高山不動、飯能市)に置き換えるとする説もあるようです)。川崎街道に面して建つ仁王門(重要文化財)は、1959(昭和34)年に解体復原修理の際に楼門として復原されました。高幡不動駅前まで参道がまっすぐに伸びて、活気のある門前の商店街が形成されています。

 古文書では、高幡不動尊の創建は大宝以前とも行基の開基とも言われていますが、1273(文永10)年銘の鰐口(重要文化財)の碑文には、平安初期に慈覚大師(円仁)が清和天皇の勅願を受け創建したと記されているようです。1335(建武2)年に大雨により山中の堂宇が倒壊したため、時の住僧であった儀海上人が再建した建物が現在の不動堂(重要文化財)で、東京都最古の文化財建造物です。境内には五重塔のほか、総本堂である大日堂をはじめとした伽藍が整えられて、多くの参詣客を集める名刹となっています。晩冬のこの日は比較的少なかったようで、落ち着いた雰囲気の中参拝することができました。

 ショッピングセンターが併設され地域の商業中心としても機能する高幡不動駅前に戻り、この日の活動を終えました。高度経済成長期以降ベッドタウンとして開発が進められてきた多摩丘陵にあって、今回訪れたエリアは都市化が進みながらも自然と歴史に触れ合える豊かな環境に恵まれた場所であるように思われました。

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