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若狭、京に続く道、丹後へつなぐ道

2014年7月、夏の福井県若狭を訪れました。夏のきらめくような空の下、京都や周辺地域と密接につながりながら、
独自の文化を育んできた地域の姿に魅せられました。


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ページ設置:2017年8月6日

鯖街道・熊川宿を歩く 〜京に続く道に開けた町場〜

 2014年7月12日、滋賀県内の柏原宿、醒井宿を訪れていた私は、そのまま琵琶湖北岸を経由しながら近江今津に至り、国道303号を辿って福井県へと入りました。程なくして到着した旧熊川宿は、若狭街道(鯖街道)の宿駅として栄えた往時の街並みを残していまして、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。街並みの東端、谷に沿って広がる宿場町の上流側にある道の駅に車を止め、散策を始めました。

熊川宿近くの水田

熊川宿近くの水田
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)
熊川番所

熊川宿・熊川番所
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)
熊川宿の景観

熊川宿の景観
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)
熊川宿

用水路が流れる熊川宿
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)

 福井県では県内の地域を「嶺北(れいほく)」と「嶺南(れいなん)」とに区分します。嶺南地方は北陸道の難所として知られる木の芽峠以南の若狭湾岸の地域を指します。旧若狭国を中心とした地域で、古来より畿内の外港的な位置づけとなって、現在では同じ県内である嶺北地域(旧越前国にほぼ相当)とよりも、京を中心とした畿内や丹後方面との交流が盛んでした。中でも京都と若さとを結ぶルートは若狭街道と呼ばれ、複数の街道筋が存立し両地域を連絡していました。魚介類、中でも鯖を多く運搬する道筋であったことから、近年は「鯖街道」の名称も生まれ、広く普及しています。

 滋賀県北西端の山懐を、滋賀・福井の県境に沿うように南流した後、国道303号のルートあたりから西へ向きを変え、小浜市街地付近で若狭湾にそそぐ北川流域にあって、熊川宿は福井県内では最上流部の位置にあります。熊川宿はこの北川の水運を利用できたことから、物流・交流の要衝として発達しました。北川の谷底平野に沿って緩やかに連続する街並みは、道端をこんこんと行き過ぎる用水路の風情も相まって、夏空の下、どこまでもたおやかに目の前に広がっていました。藩政期には国境に位置する重要な拠点として番所が置かれていまして、江戸時代から残る番所の建物としては重伝建地区の中では唯一のものであるといいます。山並みの成熟した緑を借景に、平入の町屋を中心とした古い家並が続いていました。

熊川宿

熊川宿の景観
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)


旧逸見家住宅
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)
熊川宿資料館

熊川宿資料館(旧熊川村役場)
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)
御蔵道

御蔵道
(若狭町熊川、2014.7.12撮影)

 熊川宿は大きく「上ノ町」、「中ノ町」、「下ノ町」に分かれます。上ノ町と中ノ町の境は河内(こうち)川の流れで、川に架かる中条(ちゅうじょう)橋のたもとには、旧逸見家住宅があります。熊川村の初代村長逸見勘兵衛、その子息で伊藤忠商事二代目社長となった伊藤竹之助の生家で、熊川を代表する町家のひとつとされるものです。隣接地には伊藤竹之助が建設した旧熊川村役場の洋風建築も現存し、現在は資料館として供されています。このあたりが宿場町の中心的な場所で、より多くの町屋や蔵造りの建物が残されていて、主要な町場として栄えた歴史を伝えています。北川の船着場から蔵屋敷まで続く路地は「御蔵道」と呼ばれていたようでした。下ノ町と中ノ町の境にはクランク上に曲げられたいわゆる「枡形」がありまして、歴史的な市街地の姿を残しています。高札場も置かれたその場所は、熊川では「まがり」と呼称されていました。

 現在は最盛期のような中心地ではなく、開発も進まなかったために歴史的な街並みが保存された熊川宿は、若狭と畿内との間の交流がいかに密接で、重要な交易の道筋であったかをこれ以上ないほどのリアリティでもって訪れる人に訴えかけます。一隅に置かれた石碑に刻まれた「鯖街道」の呼び名が、当時の興隆を表現するために後世になって流布されたものであることを思いながら、美しい歴史の街並みを歩きました。



小浜市の街並みを歩く 〜若狭の中心地たる風景と旧丹後街道沿いの景観〜

 熊川宿での散策の後は、一路小浜市街地へと車を走らせました。若狭地域は畿内の北に接する外港としての役割を古来より担ってきたことは既に触れました。文化的にも深いつながりがあり、東大寺二月堂修二会(「お水取り」として知られる法会)に水を送る(遠敷川・鵜の瀬と東大寺の若狭井がつながっている)とされる伝承はよく知られています。北川の支流松永川の上流、南の山中に分け入った場所にある明通寺(みょうつうじ)は、806(大同元)年、坂上田村麻呂の創建と伝わる古刹で、本堂(1258(正嘉2)年再建)と三重塔(1270(文永7)年再建)は国宝指定を受けています。山々に抱かれるように国宝や重要文化財指定を受ける文化財が多く存在する地域は、「海のある奈良」とも称されます。

明通寺本堂

明通寺本堂
(小浜市門前、2014.7.12撮影)
明通寺三重塔

明通寺三重塔
(小浜市門前、2014.7.12撮影)
鵜の瀬

鵜の瀬
(小浜市下根来、2014.7.12撮影)
小浜港の景観

小浜港の景観
(小浜市小浜香取、2014.7.12撮影)
小浜西組の景観

小浜西組の景観
(小浜市小浜香取、2014.7.12撮影)
高成寺

高成寺
(小浜市小浜香取、2014.7.12撮影)

 嶺南地域、旧若狭国の中心都市である小浜市は、北川の河口近くの沖積平野に市街地を発達させています。中流域にも比較的広い平地を持つことから、有史以来一貫してこの地域の中心的な位置を担ってきました。藩政期は嶺南地域一円を領地とする小浜藩の成長の所在地として栄え、現在の中心市街地はその城下町を礎にしています。かつての丹後街道を受け継ぐ道路である国道27号を西進し、市街地西端の小浜公園の駐車場へ。公園近くの岩壁から眺望する小浜港は、市街地の遠景と湾を囲む家並に抱かれながら、穏やかな海面を見せていました。

 小浜公園の東に接する市街地は、小浜西組と呼ばれます。小浜では、北川河口に建設された小浜城の南に広がる城下町は東組、中組、西組に分けて呼ばれていました。小浜西組は丹後街道筋にあたることから商家町として存立し、また西側は茶屋町として、南側は寺町として整備された経緯を持ちます。JR小浜駅を中心とした現代の中心市街地よりやや離れた位置にあることも、あるいは歴史的な街並みが残されたことに寄与したといえるのかもれません。小浜西組地区も、2008(平成20)年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

三丁町

三丁町の景観
(小浜市小浜飛鳥、2014.7.12撮影)
三丁町

三丁町の景観
(小浜市小浜飛鳥、2014.7.12撮影)
旧丹後街道筋

旧丹後街道筋の景観
(小浜市小浜鹿島、2014.7.12撮影)
丹後街道道標

丹後街道道標
(小浜市小浜鹿島、2014.7.12撮影)
八幡神社の鳥居

八幡神社の鳥居
(小浜市小浜住吉/小浜鹿島、2014.7.12撮影)

県道14号沿い

県道14号沿いの景観
(小浜市小浜住吉、2014.7.12撮影)

 小浜西組地区にある茶屋町は「三丁町(さんちょうまち)」と呼ばれ、花街として栄えてきた伝統を持ちます。細い路地に茶屋建築を彷彿とさせる穏やかな街並みが連続していまして、背後の山並みに接する地区に立ち並ぶ寺町の風情とともに、反映してきた地域の歴史を感じさせました。地区を貫通する旧丹後街道沿いは、出格子窓を擁する町屋建築を中心とした商家町然とした景観となります。古い町並みに交じって洋風建築も存在していまして、近代以降も中心性を維持してきた土地柄が窺い知れました。八幡神社の鳥居前へと続く交差点の一角には丹後街道の道標が残されていまして、丹後や畿内と密接にかかわりながら交易してきた小浜の来歴を、その石碑は物語っているように感じられました。

 小浜駅周辺エリアは、現代の中心市街地として、アーケードを擁する商店街が連続する街並みが広がります。国道162号を北へ、小浜藩医であり、「解体新書」の刊行で知られる杉田玄白像のある公立小浜病院前を通り、「鯖街道の起点」を喧伝する「いづみ町商店街」のアーケード街へと進みました。多くの地方都市の例にもれず、鯖街道の著名度とは裏腹に、商店街は老朽化が否めない印象で、商店街西の入口に隣接する広大な空き地(再開発ビル「つばさ回廊」跡地)の存在とともに、中心市街地の再興という難しい問題に直面する実情を目の当たりにしました。本稿を執筆している2017年現在では商業施設跡地には観光の拠点施設として「まちの駅」の整備が進んでいるようで、福井県内で唯一現存していた芝居小屋「旧旭座」も移設されて、小浜が育んできた歴史的資産を活用した地域の活性化策が注目されることとなっているようです。

小浜駅前

JR小浜駅前の商店街
(小浜市駅前町、2014.7.12撮影)
JR小浜駅

JR小浜駅
(小浜市駅前町、2014.7.12撮影)
杉田玄白像

杉田玄白像(公立小浜病院前)
(小浜市大手町、2014.7.12撮影)

いづみ町商店街

いづみ町商店街
(小浜市小浜酒井/小浜今宮、2014.7.12撮影)
常高寺参道

常高寺参道
(小浜市小浜浅間、2014.7.12撮影)

小浜湾眺望

小浜公園からの小浜湾眺望
(小浜市青井、2014.7.12撮影)

 若狭街道(鯖街道)に沿って成長してきた熊川宿と、丹後街道沿いに繁栄を見せた小浜西組の街並みを歩きながら感じた地域の「今」は、畿内と有機的に結びつきながら存続してきた歴史を存分に感じさせながらも、伝統的な街並みが醸し出す豊かな文化性とは対照的に衰退した感のある現代の市街地の態様に直面するといった内容のものになりました。遠くない将来、小浜は北陸新幹線の経由地としても脚光を浴びることになるものと思います。「鯖街道」や「丹後街道」という、他地域との交流で栄えた若狭の奥深さを濃厚に感じさせる歴史的資産を承継するような、古くて新しい市街地のリストラクチャイングを期待したいと思います。


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