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私にとっての「地域」

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#2 Regional Explorer in Seasons


突然降り始めた雪は、白く凍てついた湖面を瞬く間に見えなくさせてしまっていました。轍が重なる積雪に埋められていき、風雪はいっそう激しさを増していきます。春遅く、ようやく湖の氷は落ちて、山々の木々に新芽が芽吹き始めます。そこには、あの冬の激しい、生命を震撼させるような慟哭はもはやどこにもなくなっていて、穏やかな水面は、ただやわらかく、あたたかい陽光を受けて輝いていました。赤城山・大沼(おの)。2月から4月にかけて、山上の湖はこれほどまでにドラスティックな変貌を見せます。

甲府盆地の春は、桃色に溢れていました。2004年4月10日、山梨市笛吹川フルーツ公園から望んだ盆地は、とびきりの桃色で埋め尽くされていました。笛吹川がたゆたう目の前の大地から、富士山へとつづく山塊の麓までの空間は、春のこの一時、目の醒めるような耀きに満ちていました。冬を乗り越えて、太陽の光乏しい季節を精一杯生き抜いた大地に息づく生命は、まさに春、いっせいに花開いて、この上ない力を漲らせているようでした。


甲府盆地の春

甲府盆地の春
(山梨県山梨市、2004.4.10撮影)

春は歓びの季節といわれます。私にとって、春は長い長い沈黙の季節を耐えしのいで、やっと手にすることのできる幸せのような感覚です。その到来を待ちわび歓喜するかのような、燃え立つような、鮮やかな生命の息吹は時に叙情的に、また時には情熱的に、春の大地に繰り広げられます。そしてその姿はきっと地域によってもいろいろなのでしょう。以前、拙稿「四国、春の踊る場所」にて、西日本の春は、冬の間から染み出るようにしてやってくると表現したことがあります。冬自体が春が近づくにつれて丸みを帯びるようになり、春へと伸びやかに遷移していくようだ、と。地域に根づいた春の季節感をこれからも大切にしながら、心躍る春に彩られた地域を歩いていきたいと思います。

梅雨のしめやかな空気が頬をしっとりと潤す頃、アヤメやハナショウブの花はいっそうの蒼さを見せていました。ふと自らの地域「関東」についての眼差しが足らないのではと思い立ち、この年は、初夏から埼玉県の三富新田や川越などを歩いていました。利根川の最下流、水郷と呼ばれる地域はその名のとおり潤沢な水路に象徴される水の大地でした。千葉県・佐原は、日本全国を測量し、正確な地図をつくりあげた伊能忠敬ゆかりの土地。利根川の水運による商業都市としての基盤を今に残す、落ち着いた佇まいを見せていました。佐原市立水生植物園内は、水郷のみずみずしさ、慎ましさそのままの色彩が広がっているように思われました。

佐原市立水生植物園

市立水生植物園
(千葉県佐原市、2002.6.15撮影)

夏は、大地に容赦ない日射を浴びせかけます。刹那の雷鳴、湧き立つような入道雲、アスファルトの彼方には陽炎が揺らめいています。夏空の下、飫肥城下町の木陰で聞いた蝉の声、北海道利尻島、姫沼の鏡のような湖面の彼方に顔を出していた、夏らしい容貌の爽やかさを見せる利尻岳の山容、七夕祭りの開幕を明日に控えた仙台の夜空で弾け、広瀬川の川面に落ちていく大輪の花火、平戸、天草、阿蘇、高千穂、佐多岬、そして豊予海峡と二年越しでめぐった西海道の夏の風景、どれもが強烈なインプレッションをもって、地域の夏を表現していました。


ノウゼンカズラの花が鮮やかな水田の彼方、たおやかな山なみの続く遠野盆地は、お盆を過ぎて、秋の予感を感じさせました。河童が小川で遊ぶという遠野の大地は、民話のふるさと。市立博物館ではゆったりとした時間の中、厳しい自然に裏打ちされ、育まれてきた、豊かな遠野の文化を、ふんだんな民俗資料によって学ぶことができました。立秋以降の残暑は、秋霖や野分の雨季を挟んで、爽やかな秋空のブルーへと移り変わっていきます。やがて、豊穣の秋となり、大地は数々の実りを結ぶ舞台となります。北からは紅葉の便りが聞こえ、里山も錦秋の装いです。イグネの向こう、重たそうに頭を垂れた穂波が黄金色に揺れる仙台平野、榊の枝を手に、電車の窓の向こう、彼岸の凪いだ瀬戸内海を見やっている人々に接したJR呉線・忠海駅、東福寺・通天橋の鮮明な紅葉に息をのんだ、秋本番の京都のこころよい風、秋は急激な気候の変化を見せているかのようで、それらは「秋らしさ」という、この世の中で最も滑らかなものの1つであろうベクトルによって、見事なグラデイションを見せているのではないでしょうか。

遠野盆地、初秋

遠野盆地、初秋
(岩手県遠野市、2002.8.23撮影)

その秋色の行き着くさきは、生命の営みをしばしの眠りへと誘う玄冬の色です。からっ風が吹きすさぶ冬空の紺青、冬空、早い夕暮れのどこまでもクリアな藍色、粉雪のやさしさを溶け込ませたような空が呈する鈍色、豪雪により否応無く染め上げられる自然への畏怖が込められた雪色、冬は私たちにこの上ない厳しさとやさしさと、そしてある種のあたたかさとを語りかけてくれているかのようです。京都・哲学の道で刹那舞い降りてきた雪と雲で覆われた北の空、どんと祭のお焚きあげの火の粉が雪の混じる夜空に勢いよく向かっていくさま、雪雲にどこまでも覆い尽くされているかと思われた親不知の日本海にふと覗いた微光、両毛の大地の向こう、強い風の吹いてくる方向にどっしりと構えて私たちを包み込んでくれている赤城山の頼もしさ。

これらに接していると、冬という季節がただ厳しいだけの時間ではないと思ってしまいます。もちろん、豪雪や厳寒に閉ざされる地域など、地域によってその感覚はまちまちではないかとは思いますが、それでも冬の芯には、そんなあたたかさがあるのではないでしょうか。オホーツク海沿岸、紋別の朝は、氷点下20度にもならんとするすさまじい寒さでしたが、オレンジ色の朝日に照らされた紋別の町は、とても美しい表情を見せていました。その冷たさのなかの一時の安堵感、それはやがて春の溢れんばかりの歓びへと昇華していくのでしょうか。

紋別市街地、冬の朝

紋別市街地、冬の朝
(北海道紋別市、2002.2.11撮影)

地域を歩き、地域を感じ、その感覚の延長線上に季節の移ろいに触れて、いろいろな季節感、地域性に浸っていきたい。地域の礎とか、空気とか、においとか、そんないっさいがっさいを、心の赴くままに、表現していければと、心から思います。

(2004.7.2執筆)

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