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淡路島、晩冬春容

 2014年1月25日、晩冬の淡路島南部を訪れました。三大群生地のひとつとして知られる「灘黒岩水仙郷」から
島の中心都市・洲本へと至る道筋は、冬から春へ、季節の移ろいを穏やかに感じさせる周遊となりました



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ページ公開:2017年5月19日

灘黒岩水仙郷を訪ねる 〜鏡のような海に向き合う水仙の風景〜

 2014年1月25日、地元から自家用車で出発し、明石海峡大橋を初めて自身の運転で渡って、瀬戸内海最大の島である淡路島へ上陸しました。淡路島を縦断し鳴門海峡を越えて四国へと続く神戸淡路鳴門自動車道をさらに進んで、西淡三原インターチェンジで高速を降り、島の南岸へ車を進めます。島の中心都市洲本市から南あわじ市の中央部付近にかけては淡路島でも比較的平坦な地形が連続する部分で、名産のたまねぎを生産する畑を多く見つけることができました。

スイセン

スイセンの花
(南あわじ市灘黒岩、2014.1.25撮影)
灘黒岩水仙郷

灘黒岩水仙郷
(南あわじ市灘黒岩、2014.1.25撮影)
灘黒岩水仙郷

灘黒岩水仙郷のスイセン
(南あわじ市灘黒岩、2014.1.25撮影)
灘黒岩水仙郷

灘黒岩水仙郷の景観
(南あわじ市灘黒岩、2014.1.25撮影)
灘黒岩水仙郷

スイセンと鏡のような海面
(南あわじ市灘黒岩、2014.1.25撮影)
沼島を望む

スイセン越しに沼島を望む
(南あわじ市灘黒岩、2014.1.25撮影)

 淡路島は古事記や日本書紀にあるいわゆる「国生み神話」において、成婚した二神が最初に生み出された島としてその名が登場します。また、「あわじ」の名は「阿波路」、すなわち阿波(徳島県)への道の意に由来するものです。古来より交通の要路として機能してきた瀬戸内海の東に横たわるようにあるその存在が、そうした伝承を生む根底にあるといえるのかもしれません。島の南岸を東西に連なる、諭鶴羽山を中心とするやや急峻な山地帯は、中央構造線(西南日本を大きく東西に横断する断層帯)の北側に隆起したもので、地図で見ても本州側の和泉山脈と、四国側の讃岐山脈と直線状に連続することが見て取れます。そうした地質的背景から、島の南岸は急崖となって海に落ちていまして、冷たい冬の季節風の風下にあたり、南に開いた斜面は曇り空の下ながらもたいへん暖かく感じられました。

 灘黒岩水仙郷は、そうした温暖な海を望む急斜面一帯に、およそ500万本もの野生のスイセンが自生する場所です。房総、越前とともにスイセンの日本三大群生地の一つにも数えられます。斜面に刻まれたわずかな谷の底に設けられた駐車場に車を止めて、45度という急斜面に取り付けられた遊歩道を文字通りよじ登るように進んできます。暖地系の照葉樹が繁茂する海岸沿いの一帯が開けて、おびただしい数のスイセンが一面に咲き誇って、鏡のように静かにたゆたう海へとその芳香を届けていました。冬から春へ、徐々に春めく季節の中で、太陽の温かさがそのやさしさそのままに凝縮されているかのような、やわらかなクリーム色とレモン色の花弁が、晩冬を象徴するかのような鼠色の空の寒さを緩和してくれていました。沖には沼島(ぬしま)の島影を望みます。先に紹介した国生み神話の中で、二柱の神が最初に生み出したという「オノゴロ(オノコロ)島」に比定される島の一つとして知られる島です。


福浦港

福浦港の景観
(南あわじ市福良甲、2014.1.25撮影)
田園風景

南あわじ市の田園風景
(南あわじ市阿万塩屋町付近、2014.1.25撮影)
成ヶ島

成ヶ島の景観(生石(おいし)公園より展望)
(洲本市由良町由良、2014.1.25撮影)
紀淡海峡

生石公園から紀淡海峡を望む
(洲本市由良町由良、2014.1.25撮影)

 スイセンの花園を見学した後は、大鳴門橋が完成するまでは四国への玄関口として船便もあった福浦港の景観を一瞥し、再び島の南岸を回って、島の中心都市・洲本へと向かいました。途中、成ケ島が形成する砂州によって守られる由良地区を通過しました。紀淡海峡を望むこの場所には、明治期に京阪神地方の防護のための要塞が築かれました。砲台跡などの遺構の一部が公園として整備されていまして、由良港と成ケ島、紀淡海峡を隔てて友ヶ島から本州の山並みまでもが美しく望まれました。


洲本市街地を歩く 〜島最大の都市の風光〜

 淡路島の中心都市・洲本の市街地は、島のほぼ中央部、大阪湾に面した洲本川河口の低地に位置しています。平成の大合併により淡路島はすべて市の範域となり、洲本市の北は淡路市、南西は南あわじ市となっていますが、島の政治・文化の中心は洲本です。藩政期は淡路島一円が四国徳島藩の領内となり、筆頭家老の稲田氏が洲本城代として代々淡路島を統治しました。市街地の南の高台(三熊(みくま)山)には洲本城の遺構が残ります。堅牢な石垣が残り、天守台には模擬天守が建造される山上の城跡からは、大阪湾に開けて発達した洲本市街地を一望のもとに見渡すことができました。城跡を後にして、海岸沿いに松波が続く白砂青松の美しい景観で知られる大浜海岸の駐車場に車を止めて、市街地散策へと向かいました。

 山手一丁目交差点を西に入りますと、道に沿って堀があり、石垣が連続する場所に行き着きます。三熊山山上の模擬天守も見上げることのできるこの場所は、江戸時代を通して洲本城代の政庁が置かれていました。戦国時代の山城として開かれた山上の城郭は、藩政期には使用されることはなかったようで、この「山麓の城」が淡路統治の舞台となりました。この山上と山下の城の間には、山の斜面をつなぐように東西2つの「登り石垣」があることが洲本城の大きな特徴の一つとなっているようです。現在は淡路文化史料館や税務署、裁判所が立地しています。城郭があったことを偲ばせる石垣や堀の風景は優美で、背後の山上の城の風光も相まって、城下町としての洲本の風光を演出していました。

洲本市街地俯瞰

洲本城跡から市街地を俯瞰
(洲本市小路谷、2014.1.25撮影)
洲本市街地俯瞰

洲本城跡から市街地を俯瞰
(洲本市小路谷、2014.1.25撮影)
洲本城・模擬天守

洲本城・模擬天守
(洲本市小路谷、2014.1.25撮影)
大浜海岸

大浜海岸
(洲本市海岸通一丁目、2014.1.25撮影)
裁判所

三熊山麓の石垣と堀、模擬天守を望む
(洲本市山手一丁目、2014.1.25撮影)
洲本八幡神社

洲本八幡神社
(洲本市山手二丁目、2014.1.25撮影)

 遊歩道の西端を北に折れて堀端に出ますと、濠の一部が南に折れ曲がって突き出したような格好の場所(南馬出)に到達します。ここを過ぎますと、西堀に沿って南北に続く武家屋敷群のあるエリアへと至ります。「御徒士町(おかちまち)武家屋敷群」と総称されるこの地区は、やはり篠山城築城後に整えられた武家屋敷街の一つで、県指定文化財で、藩政期における数少ない武家屋敷長屋門の遺構である小林家長屋門をはじめ、史料館として供されている旧安間家住宅など、河原町とはまた違った、ゆったりとした区画の中に質実剛健な風格を感じさせる武家屋敷が残される場所です。徒士が集住する町であったことから、「御徒士町」と呼ばれるこの一角は、随一の繁華街として賑わった河原町のそれとはまた違った、近世における歴史的景観の風情を存分に漂わせていました。河原町からこの御徒士町へと至る地区は、篠山城跡と合わせて、「篠山伝統的建造物群保存地区」として国の指定を受けています。

 藩政期の絵図にもその存在が確認できる洲本八幡神社を一瞥しながら、かつて武家地であった住宅地を西へ進みます。やがて道は三熊山から続く丘陵に突き当たり、北へと方向を変えます。市街地を南北に貫通するこの道路は堀端筋と呼ばれています。その名が示すとおり、この通りに沿って堀が設けられており、城下町を二分していました。厳島神社は、「弁天さん」の名前で親しまれ、秋の例大祭は多くの参詣客でにぎわいます。神社は町の中心部に鎮座していまして、境内は繁華街や歓楽街にも程近い場所です。堀端筋に沿って北へ続く参道の北端には、「通町四丁目枡形とお堀」と題された説明表示がありました。この場所には、城下町を縦断していたお堀を南北に分ける道路が設けられており、その東側には城下町の防護のための枡形(道路をクランク上に曲げ、石垣で囲んだもの)が存在していたことをそれは解説していました。堀は現在埋め立てられていますが、この説明版がある場所と、その西側のアーケードのある商店街の入口が南北にずれていること、東からこの場所に向かってくる道路が手前で「く」の字状に曲がっていることが、かつての枡形の存在を物語っています。現在の地図と藩政期の絵図を見比べますと、堀端筋とその東に並行する厳島神社の参道、そしてその南の神社の境内地の範囲が在りし日の堀の範囲であるのかもしれません。さらに北の淡路信用組合本店東の水路も堀の痕跡であるのでしょうか。

厳島神社

厳島神社
(洲本市本町四丁目、2014.1.25撮影)
堀端筋

堀端筋の景観
(洲本市本町四丁目、2014.1.25撮影)
本通商店街

本通商店街
(洲本市本町六丁目、2014.1.25撮影)
寺町

寺町の街並み
(洲本市栄町四丁目付近、2014.1.25撮影)
淡路ごちそう館・御食国

淡路ごちそう館・御食国
(洲本市塩屋一丁目、2014.1.25撮影)
洲本アルチザンスクエア

洲本アルチザンスクエア
(洲本市塩屋一丁目、2014.1.25撮影)
ライトアップされた模擬天守

ライトアップされた模擬天守
(洲本市海岸通一丁目付近、2014.1.25撮影)
大浜海岸夕景

大浜海岸夕景
(洲本市海岸通一丁目、2014.1.25撮影)
 
 その後は、前述したアーケードの商店街(本通商店街)を散策しながら西へ進み、城下町の西端に設けられた寺町の風情を感じつつ、イオンやバスターミナルのある現代的な都市景観が連接する一角へと歩を進めました。広大な都市公園「洲本市民広場」として供されるこの一帯は、旧鐘紡洲本工場の敷地を新都心ゾーンとして再開発したものです。同工場の赤煉瓦の施設が、近代化遺産の意匠を生かして、図書館や商業施設、レストランなどとしてリノベーションされています。現代的な建物と、赤煉瓦が融合する風景は、洲本の近現代の歩みを実感させました。

 夕闇が迫る中、大浜公園へと進む道路を歩き、ライトアップされた模擬天守を観ながら美しい松波を歩き、駐車場へ戻りこの日の活動を終えました。瀬戸内の穏やかな晩冬の風景に癒されながら始まった淡路島の彷徨は、この島が古より育んできた豊かさを象徴するような、どこまでも温かさに溢れた道筋であったように思われました。



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