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中国山地を見つめて

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#8 根雨散策 〜山間中心地の存立基盤〜

 2007年9月2日、鳥取市から倉吉市、蒜山高原を経て入った根雨の町は、残暑の季節、青空の下で静まり返っていました。夏のような陽射しは眩しいほどに町に降り注いで、家々の庇をアスファルトの路面に落として、周囲の山々の緑をとびきりの輝きに染めていました。時々そよぐ風、近くに遠くに聞こえるせみの声、残暑に響く季節の音はかえって町並みの静かさを強調させているようにさえ感じられます。明るい9月の日中、静かな町並みは夏の終わりを感じさせるような雰囲気に包まれていました。暑い昼下がりの日曜日の風景であったことを差し引いても、どこか物足りなさをも感じさせるような光景でした。

 JR根雨駅の駅前には、ポケットパークと称されるロータリー的なスペースが確保されています。岡山駅から米子・松江・出雲市方面を結ぶ特急の一部も停車し、伯備線の中では主要駅です。穏やかな山並みを背後に佇む駅舎は切妻屋根の比較的簡素なつくりで、駅に付与された重要性に比してややローカルめな雰囲気を濃厚に宿しています。駅前は日野町役場をはじめ、町文化センターや図書館が立地し、行政の中核的な施設が集まっています。敷地内には「根雨小学校跡」の石碑もあり、詳細は不明なものの、現・日野小学校が日野川を挟んで対岸にあることから、学校の移転や統廃合等があったものと思われました。駅前からゆるやかに続く通りが、旧出雲街道筋、根雨宿のメインストリートとなります。

根雨駅

JR根雨駅
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
商店街

根雨の町並み、役場付近
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
根雨の町並み

根雨の町並み
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
歴史民俗資料館

日野町歴史民俗資料館(旧根雨町公会堂)
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)

 国道181号線はバイパスとして根雨の町並みの西側を通り過ぎていくためか、根雨の旧街道筋を行く車両はほとんどありません。駅前の店舗が立ち並ぶエリアを歩いていますと、道の両側の側溝をきれいな水が快い音を立てながら流下していきます。山間とはいえ容赦の無い残暑が覆う午後、さわやかな水音は快い清涼剤です。穏やかな町並みにあって、鳥取銀行、島根銀行、山陰合同銀行、そして郵便局と、地方銀行などの金融機関が揃って支店を構えているのが特徴的です。根雨が出雲街道筋にあたり、大規模な宿場町として、また周辺山間部のたたら製鉄に拠った豪商が少なくなかった商業地として、相当の地域的な中心地たる基盤を備えていると言うことの証左なのでしょうか。街道筋は日野川右岸に形成された小規模な段丘上の平坦地に寄り添うようにゆっくりとカーブを描いて、進んでいきます。

 根雨の町並みは平入、切妻造の町屋が主体で、街道に面して横に長い間口と庇を擁しています。中には庇の中央の玄関部分に突き出した化粧破風を持つ町屋もありまして、時代を経た古い町並みながらも、変化にとんだ色彩を見せています。「ごうぎん」の赤い看板を掲げた山陰合同銀行の支店の建物は一転して寄棟の洋風建築で、藩政期を過ぎ、近代期以降においても根雨の繁栄が持続したことを物語っているかのようです。「合銀」の建物の隣には、かつて殿様が宿泊した本陣跡があって、その門のみが残され、往時の気風を漂わせています。

家並み

歴史民俗資料館前からの根雨の家並み
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
合銀

山陰合同銀行根雨支店
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
本陣

本陣の門
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
日野町公会堂

日野町公会堂
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
近藤家

近藤家
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)
水琴窟

水琴窟
(鳥取県日野町根雨、2007.9.2撮影)

 町並みの背後、高台に建つ日野町歴史民俗資料館は、1940(昭和15)年に「根雨町公会堂」として、町の有力者によって建築されました。国の登録有形文化財ともなっている味わいのある建物です。1980年代に資料館としてリニューアルされるまで、根雨の町のみならず、日野郡下一円における文化の殿堂として供されたことが、現地の表示板によって解説されていました。旧公会堂前から、根雨の家並みを介して望む中国山地の山並みがたいへんたおやかに感じられます。

 資料館入口付近から南の一帯は、かつての宿場町の町並みの面影がよりいっそう濃厚なエリアとなります。日野町公舎は明治初年に建築されたという町屋建築で、現在では集会所として利用されています。その他、重厚な土蔵や白壁が立ち並ぶ景観は、根雨の町を象徴するものともなっているようです。近藤家は江戸期から昭和初期までたたら製鉄で栄えた旧家で、町公舎とほぼ同時期に造られたという、趣のある建物です。2000(平成12)年10月に発生した鳥取県西部地震では根雨は震度6強というこの地震における最大震度を記録しました。一部の建物がブルーシートに覆われる痛々しい姿を見せていたのは、この地震の影響が少なくないことの表れであるのかもしれません。
近藤家周辺の町並みを鑑賞した後、水琴窟を多く配置して、涼やかな雰囲気を演出し町並みの穏やかさを盛り上げる根雨の町を再び駅前へと戻りました。

 地方銀行の支店が集まる町並みと、現在の商業機能の集積状況とを概観しながら、根雨の町並みの奥行きの深さを味わうとともに、こうした金融機能が惹きつけられている要因の少なくない部分は、この根雨の町がまがりなりにも「鳥取県日野郡日野町」というひとつの自治体の中心集落たる地位を確保していることに因っているのかもしれないと思い当たりました。日曜日の午後、輝ける山間の町並みの中、しずかな時間はただ過ぎていきました・・・。
                                     

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