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中国山地を見つめて

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#11 「たたら製鉄の里」を訪ねる(後) 〜製鉄で栄えた町並み〜

 2015年11月21日、たたら製鉄が栄えた中国山地の山奥の彷徨を続けていました。製鉄に携わる人々の信仰を集める金屋子神の総本山である、安来市広瀬町の金屋子神社を訪問した後は、さらに西へとレンタカーを走らせて、斐伊川上流の盆地に広がる奥出雲町横田へと進みました。ここはスサノオノミコトがヤマタノオロチを対峙した神話の舞台となった場所です。盆地を見下ろす丘陵上にはヤマタノオロチの生け贄になるところを助けられた稲田姫を祀る稲田神社が鎮座します。境内からは、なだらかな山並みに抱かれる田園風景を快く眺望することができました。奥出雲町はブランド米として知られる仁多米の名産地としても知られています。

稲田神社

稲田神社
(奥出雲町稲原、2015.11.21撮影)
横田の田園風景

横田の田園風景(稲田神社より)
(奥出雲町稲原、2015.11.21撮影)
大原新田

大原新田の棚田景観
(奥出雲町大馬木、2015.11.21撮影)
大原新田

大原新田・棚田と山並み
(奥出雲町大馬木、2015.11.21撮影)
菅谷たたら山内・高殿

菅谷たたら山内・高殿
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)
桂の木

高殿の傍らの桂の木
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)

 たたら製鉄では、砂鉄を大量の木材により燃焼させて鉄を作り出します。砂鉄は「鉄穴(かんな)流し」と呼ばれる手法で採取されましたが、これは砂鉄を多く含む花崗岩の山の斜面に水路を導き、山を崩して水路の途中に設けた選鉱場で砂鉄を沈殿させるというものでした。そのため、砂鉄を取り出すために大量の土砂が発生し、その土砂が流出した河川の河床を上昇させて水害を引き起こしたり、下流の沖積平野を拡大させるなどの影響を生みました。また、おびただしい木材の伐採は森林資源の枯渇のリスクを伴いました。

 こうしたことから、たたら製鉄の現場では鉄穴流しを農閑期である秋から春までに限定したり、計画的な植林を行ったりして、農業などへの被害を少なくするようにしていたともいわれているのだそうです。鉄穴流しが行われた跡地には、その緩傾斜となった土地を生かして棚田が開かれました。奥出雲町大馬木には、そうした棚田の代表的なものとして棚田百選にも選定された大原新田があります。初冬の棚田は周囲の山々の木々が葉を落として徐々に茶色から灰色に変化する中にあって、冬ざれた褐色の表面をただ寒空にさらしていました。今目の前にある豊穣の大地が、かつては鉄を作り出すための現場であったことを思いますと、万物は常に変化し、永遠のものはないという無常観を感じずにはいられませんでした。

吉田川

吉田川沿いの景観
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)
吉田の町並み

吉田の町並み(本町通り)
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)
田部家土蔵群

田部家土蔵群
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)
田部家土蔵群

田部家土蔵群
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)
吉田公園

吉田公園から町並みを俯瞰
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)
本町通り

吉田・本町通りの町並み
(雲南市吉田町吉田、2015.11.21撮影)

 中国山地を駆け抜けたフィールドワークの最後は、雲南市吉田町のたたらで栄えた町並みを訪ねました。吉田の中心市街地北方の山間に、「菅谷たたら山内(すがやたたらさんない)」と呼ばれる場所があります。ここには全国で唯一、製鉄のための土炉の覆屋である高殿(たかどの)が現存しています。それは1751(宝暦元)年の操業開始から短い中断を経ながら1921(大正10)年まで操業が続けられた、まさにたたら製鉄の現場でした。山内とは、たたら製鉄に従事した人々が暮らした集落のことで、高殿の周辺には山内の家並みを受け継ぐ集落景観が穏やかに残っていまして、のびやかな山並みの中に溶け込んでいました。高殿の傍らには、樹齢200年とも言われる桂の木があります。桂の木は金屋子神が降臨した伝説に因み、たたら場の護り木とされ、必ず植えられました。春先に燃えるような赤い芽吹きを見せることも、炎を燃やし続けるたたらを想起させるとも言われます。冬の桂の木は灰色の空に漆黒の枝をいっぱいに伸ばして、火の消えたこの里を今でも護り続けているように感じられました。

 吉田川に沿って町屋が連なる吉田の町並みは、中国山地らしい赤褐色の石州瓦が卓越する、奥ゆかしい表情が印象的でした。その景観の中心にあって、ひときわ目を引く存在が、田部(たなべ)家土蔵群です。鉄蔵など21もの蔵を建造したという田部家は、たたら製鉄を家業とし、長らく地域を牽引した有数の山林大地主です。高台の吉田公園から俯瞰した町並みは、製鉄産業の中心として栄えた歴史を如実に物語るように美しい家並みを見せていました。

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