Japan Regional Explorerトップ > 地域文・その他 > 霊峰富士、信仰と恩寵の道
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#2 富士宮口からの登頂 〜極上の御来光に酔う〜 2018年8月18日、JR熊谷駅における始発の湘南新宿ラインを利用して早朝の新宿駅に到着し、西口をツアーバスで出発、東名高速を経由し、静岡県富士宮の富士宮口五合目へと向かいました。富士宮口にはやや規模の小さい表口五合目レストセンターがあるのみで、土産物店や食堂、休憩施設がまとまっている、前年に訪れた吉田口とは対照的でした。森林限界が近い位置にある五合目の標高は約2,400メートル。レストセンターで食事や身支度を済ませて、午後1時前、宿泊先となる九合目へ向けて出発しました。
この日は朝から快晴のよい天気でしたが、刹那雲の間に入ってガスの中に身を置く場面もありました。富士宮ルートの特徴は、歩行距離が一番短いことです。スタート地点の標高も吉田口より100メートルほど高く、出発からゴールまで常に山頂を直接見通すことができ、そこへの距離を詰めながら歩いて行くというイメージとなります。その一方で、吉田ルートと違って、登山道と下山道が分かれていないため、岩場の連続する場所など行き違いのために譲り合いが必要な場所もあって、しばしば渋滞が発生するという面もあります。六合目までの道のりは比較的緩やかで、通過する間に森林限界を超えて、草以外生育しない山肌へと周囲は移り変わります。およそ40分くらいで雲海荘と宝永山荘とが並び立つ六合目(標高2,490メートル)へと到着しました。ここからは宝永山火口へ向かう登山道が分岐しているため、多くの登山者で賑わっています。六合目からは一気に登山道の勾配がきつくなり、本格的な登山が始まっていきます。 正面にはなめらかな稜線上の彼方に山頂を見て、東側には宝永火口を取り巻く宝永山の高まりを見ながら、岩の間に滑りやすい砂礫が積もる登山道をゆっくりと上っていきます。御来光を目指す多くのハイカーが列をなしているので、自然と歩くペースも遅めになるので、足許に気をつけながら、流れに乗って進んでいくようになります。眼下は真っ白な雲海が広がって、富士山の巨大な山体だけが運上に屹立する風景が続いていきます。新七合目(標高2,790メートル)、御来光山荘到達はデジタルカメラのデータからは午後2時50分頃のようで、六合目からは1時間20分ほどを要していたようでした。元祖七合目への道のりも、赤茶けた山肌の間を縫うように進む登山道をただただ歩く格好となります。右手の宝永火口も徐々に俯瞰する形となって、それだけ登ってきたという目安になります。元祖七合目が近づく辺りから徐々に岩が増えて、下山客との競合から渋滞も多くなっていきます。元祖七合目の手前で標高が3,000メートルを超え、午後4時手前で、元祖七合目山口山荘へ到着しました。
富士山は山頂の火口からのみ噴火したわけではなく、最後の噴火活動であった宝永火口の例もあるとおり、山腹からの噴火も多く発生させてきました。割れ目に沿って帯状に火を噴くことも珍しくなく、そうした噴火が繰り返されたことによって現在のなめらかな曲線を持つ美しい山容が形成されてきたとも言えます。登山道からは、そうした割れ目噴火の痕跡も多く観察することができます。そうした溶岩の列は、富士山が現在進行形で活動する山であることもまた示しています。岩場をくぐり抜けながら八合目(標高3,220メートル)、池田館への到着は午後5時30分手前。日は徐々に傾きはじめ、空も空色から橙色が滲むようになってきていました。八合目には富士山診療所(救護所)も設置されています。 小さな鳥居を見ながらさらに上へ、九合目を目指します。夕刻の雲には虹のようなアークがかかり、また東側には富士山の巨大な影が映ったりと、この時間帯ならではの風景も確認しながら、きつい急登を足許に気をつけながら進んでいきます。眼下の雲海は本当に幻想的で、航空機の上から見下ろす風景とはまた違った、富士山の上に足を置きながら、生で風を受けながら見ているというダイナミックさが、直接胸を揺さぶります。九合目(標高3,460メートル)、萬年雪山荘に着いた後で撮影された写真のデータは、午後6時25分を撮影時刻として記録していました。この日はここで食事と仮眠を取って、明日の御来光登山に備えることとなります。夜になり、直下の視界が一気に開けて、関東平野から箱根・伊豆半島、そして静岡方面へと続く町の明かりをくっきりと見通すことができました。そうした麓の夜景を見ている間にも、登山道を多くの人々が列をなして登ってきている様子も確認できました。
翌19日午前2時15分、いよいよ御来光を拝むべく、山頂へ出発です。8月下旬ながら、富士山は既に初冬のような空気に包まれており、防寒をしっかりと固めながらの未明の登山となりました。相変わらず麓の夜景は美しくて、星空も実にクリアに頭上に瞬いています。鳥居をくぐって、前の人に続いて、ゆっくりと歩を進めていきます。だんだんと夜が明けて、空が白み始めた午前4時20分手前、漆黒の山のスカイラインの先に、とうとう山頂手前の鳥居のシルエットが目に入りました。2回目の登頂の達成です。この日の富士山頂は快晴で、雲もまったくといっていい程なく、最高峰の剣ヶ峯まで進んで、午前5時前、火口越しに念願の御来光をこの目にすることができました。地平線が鮮やかなオレンジに染まり、南東の空にゆっくりと昇ってきた朝日と、神々しいばかりの光彩が、山頂の赤茶けた地面を染め上げる光景は、筆舌に尽くしがたい美しさに溢れていました。火口付近では水たまりも凍り付いており、日本最高点における厳しい環境を実感しました。 午前6時となってすっかり夜が明けて青空が全天を覆い尽くした後、富士宮口五合目への下山を開始しました。前日は雲海に包まれていた下界への視界もこの朝は抜群に良好で、初秋を思わせるさわやかな大空の下、登ってくるたくさんのハイカーとすれ違いながら、岩場を乗り越え元来た道をとって返しました。ただ、距離は短いながらも急勾配を下る富士宮ルートは着実に足を消耗させていまして、七合目あたりからは歩くこともきつくなって、山小屋に到着するごとに長い休憩を取りながらの下山となってしまいました。山頂では厳寒だった気候もみるみるうちに残暑の世界へと変わって、そうした気温の変化も消耗の一因であったのかもしれません。六合目からのゆるやかな山道さえ、ふらふらになりながら何とか歩ききり、五合目になんとか滑り込んだ際は、しばらく立ち上がることができないほどになっていました。帰路は入浴施設での休憩・食事を経て汗を流した後、冨士浅間神社に参拝し、今回の登山を無事に終えられた(ただし筋肉痛には悩まされましたが)ことを感謝しました。 |
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