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平成から令和へII
~津軽から三陸縦断の物語~

 2019年4月29日から30日にかけて、青森県竜飛崎から三陸へ、平成最後の時間を駆け抜けました。
あの日の惨禍から未来へ、「奇跡の一本松」は目眩く刻まれ続ける「時代」を象徴しているかのようでした。

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ページ設置:2020年9月17日

竜飛崎から津軽半島、津軽平野をめぐる ~晩春の色彩に溢れる「最北」の大地~

 2019年4月29日、前日に引き続き、この日も穏やかな春空の下で始まりました。27日から前日まで、角館・弘前、松前そして函館へと進んでいた私は、翌朝新函館北斗駅へと向かい、午前9時35分発の新幹線で本州へと出発しました。車窓からは穏やかに雪を頂いた駒ヶ岳をはじめとした山々がくっきりと概観できました。青函トンネルを駆け抜けた新幹線は1時間ほどで新青森駅へと到着し、駅近くに止めていた自家用車に乗って津軽半島を北へ、竜飛崎を目指しました。

駒ヶ岳を望む

駒ヶ岳を望む
(北海道新幹線車窓より、2019.4.29撮影)
岩木山を望む

津軽半島の山並み越しに岩木山を望む
(北海道新幹線車窓より、2019.4.29撮影)
国道280号

国道280号(内真部バイパス)の風景
(青森市内、2019.4.29撮影)
水田

国道280号沿い、水が引き入れ始めた水田
(青森市内、2019.4.29撮影)
海岸段丘崖に張り付くような漁村

海岸段丘崖に張り付くような漁村
(外ヶ浜町三厩鐇泊、2019.4.29撮影)
竜飛崎灯台

竜飛埼灯台
(外ヶ浜町龍浜、2019.4.29撮影)

 津軽半島の東岸を進むバイパスの沿線は、広大かつ低平な沖積地が広がる風景です。西側には遥か彼方に津軽半島の脊梁が見えていて、春の穏やかな晴天下で霞んでいました。水田には水が徐々に引き入れ始めていまして、晩春ののびやかな田園にあらたな息吹が注ぎ込まれようとしていました。道路の西側は風よけのネットが設置されています。冬季以外は畳まれていますが、厳冬期にはこれらが一斉に張られて、西からの強烈な季節風や地吹雪を遮断することとなるのでしょう。小国峠を越えて今別へ、今別の市街地を越えますと右手に津軽海峡を見ながら徐々に狭隘になる海岸沿いの崖下の道路を進むようになっていきます。三厩の中心部を過ぎますといよいよそうした海食崖と海岸との間の狭い空間を進む風景へと本格的に変わり、崖に張り付くような漁村風景が連続していきます。崖上の木々は新緑の季節を迎えて、穏やかな春空に映えています。新青森駅を出て2時間弱、津軽海峡に突き出るような竜飛崎へと続く道路を一気に駆け上がって、「北の果て」へと到達しました。

 この日は雲一つ無い蒼穹が広がり、津軽海峡や陸奥湾も茫漠とした水面をいっぱいにたなびかせていました。津軽半島の山並みや彼方に望む下北半島、そして海峡を介して対峙する北海道道南の峰々まで、すっきりと眺望することができました。吹き渡る風はまだ冷たく、空気の温度はいまだ早春から仲春の装いでした。そうした景色の中に人工的なアクセントとなっている白亜の竜飛埼灯台は、晩春から初夏へと向かう季節の輝きを受けて、吹きさらしの岬の風景の中にあって一際端正な姿を見せていました。津軽海峡にはイルカの群れがいたようで、大自然に抱かれる最北の大地は、どこまでも鷹揚な雰囲気に包まれていました。

竜飛先から下北半島方向を望む

竜飛崎から下北半島方向を望む
(外ヶ浜町龍浜、2019.4.29撮影)
竜飛崎から望む北海道

竜飛崎から望む北海道
(外ヶ浜町龍浜、2019.4.29撮影)
階段国道

階段国道の風景
(外ヶ浜町龍浜、2019.4.29撮影)
龍浜集落の景観

龍浜集落の景観
(外ヶ浜町龍浜、2019.4.29撮影)
眺瞰台

眺瞰台から岩木山を望む
(中泊町小泊、2019.4.29撮影)
十三湖

十三湖
(五所川原市十三、2019.4.29撮影)

 竜飛岬には「階段国道」と呼ばれる、階段が国道に指定された珍しい場所があります。灯台のある崖上から龍浜の集落がある海岸までの急勾配に整備された階段が、国道339号の一部として現在も運用されています。スミレやスイセンなどが咲く階段を下り、新緑が芽吹き始めた岬の風景を一瞥しながら、津軽海峡により沿うような崖下の集落へと階段を下りました。この国内の他に例のない「国道」は階段部分を通過すると家々のの間の路地を通過し海沿いへと続いています。こうした携帯となった経緯は諸説があるようですが、車両が通行可能な道路を作った上でそちらを国道として再指定する動きがあったものの、既に名が知れていた階段国道を観光資源として残すことが要望され、現在に至るまでこの形で残されているものであるようです。階段国道の途上から望む沿岸の風景は、初夏の穏やかな晴天の下、清爽な風光を呈していました。

 階段国道を息を切らせながら段丘上へと上って車へと戻り、近くの「眺瞰台」と呼ばれる展望台からの風景を確認した後、津軽半島西岸の自動車道を快適にドライブを続けます。階段国道から堂々たる車道へと変わった国道339号を進んでいきますと、しじみの産地として知られる汽水湖・十三湖へ。中世に有力な交易港として栄えた十三湊(とさみなと)があったことでも知られる湖は、現在では豊かな自然と農地とに囲まれる伸びやかな湖水となって広がっていました。その十三湖へと注ぐ岩木川がつくる沖積平野一帯に展開する水田はまだ田植え前の茫漠とした空間となっていまして、遥か彼方に見通す岩木山が、鮮やかに雪を頂いて存在感をみせていたのが印象的でした。そうした田圃に用水を供給する溜池の周辺につくられた芦野公園は、日本さくら名所100選にもなっている有数の桜の名所です。訪れたこの日はちょうどソメイヨシノが見頃を迎えていまして、風物詩となっている、園内を通過する津軽鉄道の風景と共に、遅いみちのくの春の情景を堪能しました。

芦野公園

芦野公園
(五所川原市金木町芦野、2019.4.29撮影)
芦野公園駅

津軽鉄道・芦野公園駅
(五所川原市金木町芦野、2019.4.29撮影)
芦野公園

芦野公園の風景
(五所川原市金木町芦野、2019.4.29撮影)
斜陽館

太宰治記念館「斜陽館」
(五所川原市金木町朝日山、2019.4.29撮影)


黒石市街地・文化会館北の邸宅
(黒石市内町、2019.4.29撮影)
旧大黒デパート

黒石市街地・旧大黒デパート前
(黒石市市ノ町、2019.4.29撮影)

 芦野公園のある五所川原市金木は太宰治ゆかりの地として知られます。生家である斜陽館は穏やかな町並みの中にあって風格を備えた建築物です。入母屋造の重厚な結構は、各地域で独自の藩政がしかれ、地域が現代よりもさらに濃厚な特色を持っていた時代のしなやかささえ表現しているように感じられます。岩木山をはじめとした、積雪を未だまとった山々をくっきりとした青空の下に見通しながら、低平な津軽平野を縦断します。津軽地方の中心都市である弘前と、青森市との間に位置する在郷の中心地のひとつである黒石に到着したのは、既に陽が傾きつつある午後5時手前でした。弘南鉄道の黒石駅前を通過しつつ市役所近くの駐車場に車を止めて、夕刻の時間、黒石市街地をめぐってみることとしました。

 黒石は、津軽藩の支藩として設置された黒石藩の陣屋町として存立した地域的な中心都市です。浅瀬石川がつくる扇状地の扇端部を中心に市街地が広がります。市文化会館北の武家屋敷を思わせる邸宅の南を東へ進み、中心市街地方面へ歩を進めます。旧大黒デパートの建物が目を引く銀座通り商店街は、黒石市の中心的な商店街として発達した歴史を持ちます。モータリゼーション以前までは当地において最も賑わった町場であったことが、町の密度や建物の雰囲気を見ても窺い知れます。その通りを越えてさらに東へ進みますと、重要伝統的建造物群保存地区の指定を受ける「中町こみせ通り」へと至ります。「こみせ(小見世)」と呼ばれる、建物の軒先に庇を設け、それらが連続して通りに面したアーケード状につながる構造が現代に残されています。中町は、国重文の高橋家住宅をはじめ、多くの商家建築や造り酒屋が残されていまして、「こみせ」がつくる味わい深い町並みと共に、藩政期の佇まいを存分に感じることのできるエリアとなっていました。

中町こみせ通り

中町こみせ通り
(黒石市中町、2019.4.29撮影)
「こみせ」の風景

「こみせ」の風景
(黒石市中町、2019.4.29撮影)
中町こみせ通り

中町こみせ通りの風景
(黒石市中町、2019.4.29撮影)
黒石市消防団第三分団第三消防部屯所

黒石市消防団第三分団第三消防部屯所
(黒石市甲徳兵衛町、2019.4.29撮影)
元町の「こみせ」

元町の「こみせ」
(黒石市元町、2019.4.29撮影)
黒石神社

黒石神社
(黒石市市ノ町、2019.4.29撮影)
黒石城趾

黒石城趾(陣屋跡)
(黒石市内町、2019.4.29撮影)
黒石城趾から岩木山を望む

黒石城趾から岩木山を望む
(黒石市内町、2019.4.29撮影)

 昔ながらの町場警官が色濃く存する黒石の散策を続けます。中町こみせ通りの西側には、先にご紹介した中心市街地を挟んでちょっとした飲み屋街も形成されていまして、生活感をリアルに投影した地方都市の姿をつぶさに見つめることができました。寺院の前の参道に祀られた三十三観音めぐりの観音様に癒やされ、火の見櫓を頂いた消防屯所の建築に往時に思いを致し、近現代のかなりの時期まで相応の賑わいを見せていたであろう、この町の風景を探勝しました。上町からクランク状に接続する交差点を経て西へ向かった先にある元町にも、小規模ながら「こみせ」が続く場所があります。現代都市化に伴う道路拡幅などによって「こみせ」の多くが失われたとされますが、市街地の目抜き通りの多くが「こみせ」を擁していた風景はどのようなものであったのでしょうか。市役所の南、浅瀬石川がつくる崖上に広がる御幸公園から黒石神社の境内にかけてが、藩政期に黒石陣屋が置かれていた推定地であるようです。崖に沿って生える林の向こう、崖下の低地にも宅地が広がり、津軽平野へと連接していました。神明宮を経て中町へと続く市街地の姿を一瞥しながら、文化会館へと戻り、黒石の町並みの捕捉を終えました。黒石の町並みは、人口などから推定する規模からは単純に窺えないほどの、町としての奥深さを持っていました。そしてそれは、藩政期から近代にかけては、地方も相応の経済力を持っていて、多様な文化を醸成していたことを何よりも雄弁に物語っていたように感じました。


平成最後の日、三陸を縦断する ~東日本大震災の記憶と、三陸の今を見る~

 津軽半島から津軽平野の都市群をめぐった4月29日の終盤は、東北自動車道に乗ってひたすらに南へ車を走らせて、盛岡市街地へ。盛岡駅前に確保していたホテルに投宿しました。改元前の最後の一日となる翌30日は、三陸海岸の北に位置する久慈市から南へ、三陸を一気に縦断して帰路に就く予定にしていました。久慈へ向かう途中に位置する龍泉洞が営業を開始する午前8時30分に合わせて、盛岡を出発しました。

JR盛岡駅

JR盛岡駅
(盛岡市盛岡駅前通、2019.4.30撮影)
国道455号

国道455号、桜の咲く風景
(岩手県内、2019.4.30撮影)
龍泉洞近くの新緑

龍泉洞近くの新緑
(岩手県岩泉町、2019.4.30撮影)
龍泉洞の風景

龍泉洞内部の風景
(岩手県岩泉町、2019.4.30撮影)
小袖海岸

小袖海岸の風景
(岩手県久慈市、2019.4.30撮影)
小袖海岸

小袖海岸の漁村風景
(岩手県久慈市、2019.4.30撮影)

 龍泉洞において神秘的な自然の造形を見学した後は、北上高地の只中を進んで久慈市へと向かいます。リアス海岸の印象が強い三陸海岸も、北部の海岸は比較的単調なラインを描いていまして、岩壁が直接海に向かい合って、荒々しい風景をみせています。北限の海女がいる場所として知られる小袖海岸へも、そうした岩石海岸に沿った道幅の狭い県道を、何度かのトンネルを越えた先に存在していました。猫の額ほどの低地に迫るなだらかな海岸段丘に守られるようにしてある小さな入江に張り付くような漁村は、海と共に存立してきた三陸海岸の足跡そのものの穏やかさをみせていました。小袖海岸からは、丘陵の中を駆け上がる狭い山道となった県道を辿り、三陸海岸縦断の行程へと車を走らせました。小袖海岸を訪れた頃から降り始めた雨は徐々にその強さを増し始めていました。

 南隣の野田村に入ってからは、三陸エリアを縦貫する幹線道路である国道45号を南へと進みます。国道に並行して、高規格の三陸縦貫道路の建設が復興事業として急ピッチで進められていまして、その自動車道に入ったり、普通区間は国道に戻ったりしながら、自動車を走らせていきます。三陸ではソメイヨシノがまだ満開の花を残していまして、新芽が芽吹き始めた山並みの色彩と共に、春の訪れをしなやかに表現していました。海岸に近い部分では、要塞かと思われるほどの巨大な防潮堤の建設も進められている様子も確認できます。東日本大震災を境に、地域の風景が激変しつつある光景を目の当たりにしました。津波による被災で跡形もなく流され、2014(平成26)年7月に再建がなった三陸鉄道北リアス線(現在はリアス線)・島越駅前には、かさ上げされた現在の施設の前に旧駅の階段だけが保存されていて、被災のすさまじさを今に伝えています。

島越駅

三陸鉄道・島越駅
(岩手県田野畑村、2019.4.30撮影)
三陸鉄道・島越駅、旧駅の階段遺構

三陸鉄道・島越駅、旧駅の階段遺構
(岩手県田野畑村、2019.4.30撮影)
島越駅付近

島越駅付近、海岸の防潮堤建設中の風景
(岩手県田野畑村、2019.4.30撮影)
島越駅近く

島越駅近くの海岸風景
(岩手県田野畑村、2019.4.30撮影)
浄土ヶ浜近くの森

浄土ヶ浜近くの森
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)
浄土ヶ浜のカタクリ

浄土ヶ浜近くで見つけたカタクリ
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)

 三陸のほぼ中央に位置する宮古市辺りから南になると、海岸線はいわゆる「リアス海岸」の様相を呈するようになって、入り組んだ複雑な形状へと変化していきます。これは三陸海岸の北と南で隆起速度が違っていることに起因しています。そんなリアス海岸にあって有数の景勝地として知られる浄土ヶ浜は、春の雨に濡れながら、静かに佇んでいるようでした。入り組んだ海岸といくつも突き出した岩に抱かれた小さな湾奥には白砂の海岸が穏やかに波に洗われていまして、鈍色の空の下、空の色とやわらかな雨粒とを、しなやかに受け止めていました。森に覆われた背後の高台へと上る散策路を経て到達する「御台場展望台」からは、松が映える岩礁がつくる浄土ヶ浜の美しい風景を一望することができました。

 浄土ヶ浜の散策の後は、釜石、そして大船渡といった、沿岸南部の都市を貫く沿岸道路をさらに進んで、三陸の「いま」を見つめながら、ドライブを進めました。三陸海岸のうち、岩手県内を中心とした地域は「陸中海岸国立公園」の指定を受けていましたが、震災を受けてその指定範囲を青森県南部から、宮城県内の「南三陸金華山国定公園」を含むものへと再編されて、現在は「三陸復興国立公園」となっています。沿岸部にはその多様な地形を反映した多くの景勝地がある一方で、海岸沿いの多くの場所で壁のような防潮堤が屹立しつつある現状は、先の震災が地域に与えたインパクトがどのようなものであったのかを何よりも雄弁に物語っていました。雨は徐々に強くなって、「奇跡の一本松」で知られる陸前高田市に到着した頃には、本降りになっていました。津波により壊滅的な被害を受けた同市の中心市街地があった場所は、防潮堤の建設や土地のかさ上げ事業の途上で、枯死後もシンボルとして保存されている奇跡の一本松が、雨に濡れながら、復興の時を待っているように目に映りました。

浄土ヶ浜の風景

浄土ヶ浜の風景
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)
浄土ヶ浜

浄土ヶ浜遠景
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)
浄土ヶ浜・ツツジ

展望台への道に咲いていたツツジ
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)
浄土ヶ浜

浄土ヶ浜・御台場展望台からの風景
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)
浄土ヶ浜

浄土ヶ浜・御台場展望台からの風景
(岩手県宮古市、2019.4.30撮影)
大槌町

大槌町、復興の進む町並み
(岩手県大槌町、2019.4.30撮影)

 シンボルモニュメントとして屹立する奇跡の一本松周辺には、震災時に存在した施設の遺構が点在しています。そのうちのひとつである道の席の施設については、旧施設を遺産として残しながら、新たな道の駅として2019(令和元)年9月に営業を再開しています。布巾の防潮堤の建設と壊滅した高田松原の再生とともに、高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設として再整備が進められています。夕刻となって鉛色の空の濃さが増す中、いっそう激しさを増す雨に打たれる奇跡の一本松は、いっそう力強く根付き、前へ進もうとする三陸の姿そのものではないかとも思われました。

 ラジオから聴こえる、改元に向けての行事の進行に深い感慨を抱きながら、三陸縦貫道を雨の降る中、南へと進んでいきます。宮城県に入り、気仙沼市、南三陸町と、やはり震災において甚大な被害を受けた地域を進んでいきます。復興という名目で交通インフラや防潮堤がいっせいに建設される風景は、この先の未来、この地域をどのように変えていくことになるのか、さまざまに思いをめぐらせます。場所によっては、津波で更地になったところに隣り合うように、昔と変わらない住宅地域が認められます。わずかな差で被害の度合いがここまで違ってくることの恐ろしさ、むなしさも胸に響きます。南三陸町志津川に佇む旧防災庁舎遺構を確認した頃には黄昏時となっていました。その後は、ただひたすらに東北自動車道を走り抜けて、平成の時間の内に帰宅することができたのでした。

陸前高田市

復興記念公園としての整備が進む
(岩手県陸前高田市、2019.4.30撮影)
陸前高田市

かさ上げ工事が進む
(岩手県陸前高田市、2019.4.30撮影)
陸前高田市

旧市街地方面を俯瞰
(岩手県陸前高田市、2019.4.30撮影)
陸前高田市

防潮堤の建設が進む
(岩手県陸前高田市、2019.4.30撮影)
奇跡の一本松

奇跡の一本松と旧ユースホステル
(岩手県陸前高田市、2019.4.30撮影)
奇跡の一本松

奇跡の一本松
(岩手県陸前高田市、2019.4.30撮影)

 平成最後の2日間、抜けるような青空の下、そして春の恵みに満ちた慈雨の下、駆け抜けた東北の風景は、東日本大震災の経験を越えて、歩みを進めるこの地域のたゆみのない
躍動を余すところなく描ききっているように感じられました。歓喜の季節、桜や新緑、地面を覆う鮮やかな花々が宿す色彩は、みちのくの大地が長い歳月をかけて醸成してきた生命の奔流のごとく、えも言われぬ輝きを放っていたように思われました。新しい時代を生きる地域の姿を、希望の大地のきらめきとともに。



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