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#16 2018年広島市中心部を歩く 〜変わらぬ密度に満ちる町並み〜 2018年2月10日、ほぼ3年ぶりに広島の町を訪れました。この日は、広島バスセンターから瀬戸内の島へ向かう予定にしていましたので、そのバスが出発するまでの時間、広島市中心部を散策してみることとしました。駅前に引き込まれた市電の電停は、広島駅ビルの建て替えに伴い、一部路線の変更とともに、駅舎の2階部分への移設が予定されています。大きい変化を前にした駅前は、早春の雨が落ちる中、多くの人々がいつもの休日と同じように闊歩する巷となっていました。
路面電車は、駅前を出て猿猴橋町、的場町と過ぎて広島市中心部における幹線道路の一つである相生通りへと進んでいきます。このルートが、前述の再開発の後は駅前通り経由となる予定となっています。八丁堀、紙屋町といった繁華街を通過し、原爆ドーム前電停で路面電車を降り、原爆ドーム前へと歩を進めます。およそ70年ほど前のあの日の記憶をとどめ続ける平和への記念碑は、やわらかな雨が降り注ぐこの日も、ありのままの姿でそこに存在していました。学生時代の1994年の夏に初めてその前に立って以来、幾度となく訪れてその姿を目の当たりにしてきましたが、原爆投下直後、焼け残った数少ない建物以外は一面焼け野原となった写真にある佇まいと、寸分変わらない形で、高層ビルが建ち並ぶ現代都市の只中にあり続けるドームは、この町の平和を希求する叡智と克己とを鋭敏に語りかけているようでした。水の都広島を象徴するウォーターフロントの風景と、かつてはこの町随一の繁華街であった中島本町(現在は「中島町」)のあったエリアである平和記念公園へと進み、思いをいたしました。 元安川沿いには、随所に雁木が残り、藩政期から近代初期にかけて、水運の中心として栄えてきた歴史をとどめています。川面はどこまでも穏やかで、そのたおやかさは、デルタがつくる低地に発達した広島の町をそのまま投影したかのような表情を見せていました。元安橋を渡り、レストハウス前を通って、人通りも少ない平和公園内へと歩を進めます。繁華街で会った中島本町にあって被爆建物のとして唯一残るレストハウス(旧大正呉服店、燃料会館)が、中小の飲食店や商店が軒を連ねた旧西国街道沿いのランドマークであったということは、いつまでも残しておきたい、広島にとっての大切な記憶であると、現代の穏やかな公園内の街路となった道を歩く度に強く心に響きます。原爆死没者慰霊碑の前に立ち、祈りを捧げました。
平和大通りに面した資料館前の石畳は、初春の柔らかな雨に依然として湿らされていて、鼠色の空と同じ色にくすんでいました。再び元安川を渡り、クスノキの木陰が快い、左岸の遊歩道を北へと戻ります。川沿いには原爆の慰霊碑が多く建立されていまして、あの日に思いを馳せる意思を込めて、「8月6日通り」、そして「灯和(とわ)の径」といった名前で呼ばれているようです。川沿いを離れれば、中国地方の広域中心都市として飛躍的に成長を遂げた、高層建築物によって充填された現代の町並みが広がります。元安橋まで到達した後は、本通りを東へと進みました。アーケード商店街となっている本通は、土曜日の早朝ということもあり、人影もまだまばらで、自動車や路面電車がひっきりなしに行き交う鯉城通りの喧噪と好対照をなしていました。 鯉城通りの東側の本通りも、多くの商店が軒を連ねる密度の高いアーケード街が連続していきます。東の端はパルコの店舗に行き当たり、その南側には小規模ながらハート型のオブジェなどが配されたイベントスペース「アリスガーデン」があって、町に明るいアクセントを与えていました。この界隈には広島パルコ本館と新館のほか、低層階に「広島ZERO GATE」がが入るワシントンホテルなどのファッションビルが集積していまして、この広場に集まる並木通りや金座街商店街の雰囲気も相まって、この町の本当の意味での「大きさ」や、この町を作り上げた人々のたゆみのな努力の尊さを感じました。パルコの建物は八丁堀交差点から南下する中央通りに面しており、その通り沿いも大規模なアーケード街となっていまして、その東のブロックにある胡町(えびす通り)商店街や、歓楽街である流川や新天地、薬研堀などの地区へとつながっていきます。
まだ早朝で行き交う人々の少ないこれらの商店街を一瞥した後は、路面電車が多く通過する相生通りへと出て、この後向かおうとしていた御手洗へのバスが出るバスセンターへと歩を進めました。通り沿いには三越や天満屋ビル(ヤマダ電機がキーテナント)、福屋といった大規模商業施設が連なっており、活気の鮮度が高いこの町の色を濃厚に表現しているように感じさせました。 |
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