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#2 六合村・赤岩養蚕集落群 〜養蚕県の風情を訪ねて〜 2006年7月、六合村赤岩地区は群馬県内で最初に「重要伝統歴史的建造物群保存地区」の指定を受けました。六合村は「くにむら」と読みます。草津温泉の東に展開する人口2000人足らずの山村です。草津温泉から国道292線を下り、白砂川のつくる谷に沿って進みますと、山のあわいの小規模な段丘の平地の上に、たなびくように連なる赤岩の集落が穏やかに眺められます。集落の南、国道が白砂川を越えてすぐのポイントから集落へ続く細い舗装道路を北へと入っていきます。狭い道路を進み、たおやかな集落群をぬっていきますと、水車小屋のある地区のコミュニティ施設へと至りました。ここで自動車を降りて、集落を軽く散策してみることといたしました。近くには「長英の隠れ里〜赤岩」と題された、手作り感が愛らしい地区のガイドマップの表示板がありました。観音堂や山村集落がのびやかに佇む地域の姿が優しい視線で盛り込まれています。初秋の集落はコスモスやひまわり、ヒャクニチソウなどの花畑がたいへんに鮮やかです。 水車小屋の脇を進み、家々の間を抜けて、先ほどの案内地図に「上の観音堂」と記されていたお堂への坂を上っていきます。途中にはねぎやこんにゃくをはじめとした多彩な野菜が栽培された畑があり、山里の情趣を演出している一方、お堂への石段は草がおおくはびこっていまして、山村の現実を間接的に物語っているようにも感じられます。しかしながら、お堂の前から眺望する赤岩の風景はほんとうに心が落ち着くような、緑とあたたかさとかがやきとに満ち溢れていまして、こんな風景がそのなめらかさを失うことなく、このまま受け継がれていってほしいと願わずにはいられないような、奥ゆかしい景観です。
畑の中を引き返し、集落のメイン道路に戻って集落の只中を歩きます。土蔵や軒下に佇む道祖神、屋根の上に突き出すような構造物を載せた家屋(「高窓」と呼びます)などがこの地域の歴史を感じさせます。冒頭にも書きましたとおり、赤岩集落は養蚕集落としての特徴を濃厚に残していまして、高窓は換気のためにつくられたもので、2階や3階などの上層階で蚕を飼育してきた養蚕農家の特徴の1つです。中でも見事な規模を誇るのが、村指定の重要文化財ともなっている「湯本家住宅」です。3階建ての重要な建物にはベランダのような出梁も認められます。この湯本家にはシーボルトに学んだ蘭学者・高野長英が一時期かくまわれていたという逸話があります。水車小屋のところにあったガイドマップのタイトルもそのことに由来しているようです。
のびやかな自然の中にあって、古き時代のあたたかみのある民家群がゆったりと軒を連ねる赤岩は、一見して何の変哲もない農村集落でありながら、その中にたいへんななつかしさと歴史の凄みとを内包させたかけがえのない要素に満ちているように思われました。群馬県は全国一の収繭量を誇る養蚕県として知られるものの、その生産量は劇的に減少していまして、当年の収繭量は前年実績の半分程度になるという状況が珍しくないと聞きます。景観としては養蚕を基礎とした農家を中心としていながらも、その源たる桑畑がまったくといっていいほど目立たなくなっていることが、養蚕の実態をよく表しているように感じられます。六合村公式ページの解説では、赤岩地区は住民の協力と重要伝統歴史的建造物群保存地区への選定により、養蚕が今後も残っていくことになるとのことでした。過去の文化の継承という枠を超え、産業としてそれを維持させていけるような取り組みを切に望みたいと思います。 ※六合村は2010年3月28日に中之条町と合併し、現在は「中之条町赤岩」となっています。 |
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