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関東の諸都市・地域を歩く


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#127 幸手市街地をめぐる ~日光街道の旧宿場町を礎とする町~

 2017年4月23日、下野市散策を終えた私は、JR宇都宮線で栗橋駅へ向かい、そこから東武日光線に乗り換えて埼玉県北東部の都市・幸手市の中心駅である幸手駅へと到達しました。東京圏を中心とした運行系統の再編により、東武日光線は優等列車を除くすべての列車がヶ一つ北の南栗橋駅止まりとなり、栗橋駅で乗り変えて1駅の南栗橋駅で乗り換え、そこから1駅先の幸手駅で下車ということとなりました。訪れた当時は、駅は橋上駅舎への建て替え工事の真っ最中で、仮設の駅舎が設けられていました。駅前から東へ延びる通りを歩きますと、旧日光街道筋にあたる県道65号へと至りました。幸手駅入口交差点から南へ少し進んだ先には、明治天皇行在所跡の石碑が残されています。

幸手駅前

東武幸手駅前(訪問当時)
(幸手市中一丁目、2017.4.23撮影)
幸手駅前の通り

幸手駅前の通り
(幸手市中一丁目、2017.4.23撮影)
明治天皇行在所跡

明治天皇行在所跡
(幸手市中一丁目、2017.4.23撮影)
岸本家住宅主屋

岸本家住宅主屋
(幸手市中二丁目、2017.4.23撮影)

 幸手宿は日光街道の日本橋から数えて6番目の宿駅で、中山道本郷追分から分岐する日光御成道が日光街道に合流する地点でもありました。1843(天保14)年の記録によりますと、本陣1件、旅籠27件、人数3,937人とあり、城下町に併設された宿場町を除くと、日光道中でも有数の規模を持つ町場でした。広い歩道と街灯が立ち並ぶ駅前への通りから旧街道筋へと入りますと、町屋造の建物もいくつか残されていまして、途端に昔ながらの町並みの中へと誘われます。道路の東側に面して、岸本家住宅主屋の特徴ある建物が目に入ります。国の登録有形文化財の指定を受けるその建物は、妻入りの切り妻造の建物の正面に寄棟造屋根の平側半部のような下屋を設けておりまして、通りに張り出すような屋根の結構が幸手宿の往時の繁栄を偲ばせています。現在はカフェとして利用されていまして、古い宿場町に新たな色彩を与えていました。

 日光街道筋は倉松川に架かる志手橋交差点で南西へ折れて、南二丁目のスーパーマーケット付近の三叉路で県道をそのまま進む日光御成道と、南進する日光街道へと進んでいきます。この合流点から北へ、正福寺門前で鉤の手となる付近までがかつての幸手宿の町場の範囲でした。当初は中心部の久喜町(現在の中一・二丁目付近)と仲町(現在の中三・四丁目付近)が宿駅の中心で、交通の要衝としての発展に伴い、北側(荒宿)と南側(右馬之助町)に新たな市街地が成長しました。右馬之助(うまのすけ)町の名は、開発者である新井右馬之助の名に因みます。神明神社の前には高札場が設けられていました。幸手駅入口交差点から北側はさらに建物の密度が上がり、現代的な商店の建物に混じって、昔ながらの町屋も残されていまして、改めて歴史ある町場としての幸手の今を体感することができます。現地には幸手宿にまつわる様々な呼び名について説明された表示があり、例えば、町並みから東へ入った場所に佇む擔景寺(たんけいじ)への参道は「擔景寺横町」と名付けられていました。

幸手駅入口交差点

幸手駅入口交差点、幸手駅方向を望む
(幸手市中二丁目、2017.4.23撮影)
志手橋交差点

志手橋交差点
(幸手市南一丁目、2017.4.23撮影)
神明神社

神明神社
(幸手市中二丁目、2017.4.23撮影)
擔景寺

擔景寺
(幸手市中二丁目、2017.4.23撮影)

 旧街道筋の西側の町並みには、天神神社や幸宮(さちみや)神社などが鎮座して、穏やかな杜に抱かれていました。幸宮神社は1914(大正3)年に地域の神社が合祀されたことにより、幸手の総鎮守となりました。天神神社は戦国時代に、当時の幸手の領主一色氏により送検されたと伝えられる古社で、その旧領主の居城である幸手城(現在の幸手駅のある場所付近に比定される)から見て鬼門(北東)の位置に守護神として祀られたともいわれているのだそうです。駅前通りには、その幸手城内にあったとも言われる一色稲荷神社も存在していまして、中世から要衝として軍事的な拠点となり、藩政期以降は主要な街道筋の宿場町としてその賑わいを受け継いできた幸手の史実を今に伝えています。

 幸手観音と通称される満福寺の南を通過する県道153号は、「久喜新道」と呼ばれます。近代以降、日本鉄道(現在のJR宇都宮線)鉄道駅が設けられた久喜と、幸手とを結ぶ道路として建設された比較的新しい幹線道路です。久喜新道と旧日光街道筋との交差点である中一丁目交差点付近は、本陣や問屋場が置かれていまして、幸手宿の中でも中心と目される場所であったようです。この場所に鉄道駅から延びる新道が延伸されてきたことも、幸手の町が近在でも抜きん出た中心性を保持していたことの証左であるように感じました。



幸手市街地の景観
(幸手市中一丁目、2017.4.23撮影)
天神神社

天神神社
(幸手市中一丁目、2017.4.23撮影)
幸宮神社

幸宮神社
(幸手市中四丁目、2017.4.23撮影)
久喜新道

久喜新道
(幸手市中四丁目、2017.4.23撮影)

 町裏の穏やかな町並みを辿りながら、幸手駅前へと戻って、この日の幸手市街地の小訪問を終えました。幸手といえば、市街地の北側に広がる、桜の名所として知られる権現堂堤もあって、最盛期には多くの観桜客が訪れる場所としても知られています。権現堂堤方面への記載は、後日稿を改める予定です。幸手駅周辺を辿ったこの日の活動で、関東地方にも、昔日の姿を濃厚に残す美しい町場がまた一つ存在したことを再発見し、江戸を中心に再編成され、中心性を維持する関東地方の都市構造の今昔を実感しました。


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