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関東の諸都市・地域を歩く
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#143 埼玉県吉見町、早春の風景 ~丘陵に抱かれる史跡と大地~ 2018年3月24日、東武東上線東松山駅の東口を出て、穏やかな町並みの中を出発しました。この日は穏やかな春の陽気に恵まれ、中心市街地にあって憩いの場ともなっている下沼公園のソメイヨシノも、数輪の花を開いていました。ユキヤナギやハクモクレンなどの春の花が咲きそろい始める市街地をさらに進みますと、市野川の穏やかな流れへと行き着きます。川を渡った向かい側には小高い丘陵地が迫っており、芽吹きを間近に控える木々が快く目に入ります。対岸は比企郡吉見町の範域となります。
橋を渡った先の岩壁には、岩室観音堂の建物が寄り添うように整えられています。岩を穿って観音像を祀ったことからその名があるとのことです。確かな記録はないものの、その端緒は古代にまで遡るとも言われるこの観音ですが、現在の観音堂は江戸時代の寛文年間(1661~1673)に再建されたものです。この岩山上には中世の城郭である松山城跡が存在しています。さらにその北側には、よく知られる「吉見百穴(ひゃくあな、またはひゃっけつ)が、夥しい穴が壁に開けられた異形の風景が広がっています。吉見百穴は、古墳時代後期の墳墓群であるとされます。岩肌に設けられた穴は時代を経るにつれて徐々に構造が精緻化されることが見て取れる部分があって、この西に開けたこの場所が、長い間、死者を弔い、祈りを捧げる場所であったことが想起されました。現在は西側に展開する東松山市街地をゆるやかに眺望できる場所となっています。 ソメイヨシノが徐々に花を開き始める市野川の堤防上を歩きますと、左岸側に広がる里山の木々がとてもやわらかなスカイラインを呈していまして、これから訪れる歓びの季節のさわやかさに心躍らされます。この文章を書きながら確認している、当時撮影した写真たちを見ますと、土筆やタンポポ、スイセン、ムラサキハナナ、ボケ、花桃など、多種多様な花々が行く先々の路傍を彩っているのが記録されていまして、この日の麗らかさを改めて思い出させました。市野川を離れ、県道271号をしばし東進しのびやかな集落の中を辿った先には、吉見観音の名で知られる安楽寺。約1,300年前、行基菩薩により観音像が安置されたことが始まりとされます。本堂、三重塔、仁王門はいずれも江戸時代初めの創建で、その当時の意匠を今に伝える貴重な事物として、今日まで多くの参詣者を温かく迎えていました。
吉見観音を後にして、北の丘陵地の中を進んでいきます。まだ多くの木は葉を繁らせる前の状況でしたが、乳白色を纏う春空をやわらかく握りしめるようにして広がる木々の枝の一つひとつが春の日射しをしなやかに受け止めていまして、山笑う季節がもう間近であることを実感させました。吉見町の中央部に広がるこの小規模な山々は、一般に吉見丘陵と呼ばれているようです。西に接する東松山市から嵐山町、小川町を中心に展開する比企丘陵から続くなだらかな丘状の台地で、広葉樹のたおやかな森林と、その間に抱かれるようにしてある集落とが、美しい対照を見せていまして、いわゆる「武蔵野」と呼ばれる地域の原風景の一つを構成しています。道路は灌漑用の溜池として完成した後、遊行の場としてももてはやされるようになった八丁湖へとつながります。集水域がやや広い谷地の出口を堤防で堰き止めた形状が容易に確認できる湖畔からは、この池の完成によって農地としての存立が確保されることとなったであろう、広漠たる田園風景を一望の下にすることができました。 八丁湖からはさらに北へ、吉見百穴と同様の出自を持つと目される黒岩横穴古墳群を一瞥しながら、相変わらずみずみずしい木々が覆う道を進みます。「ポンポン山」と呼ばれる、高負彦根(たかおひこね)神社の境内地からも、関東平野の只中に開けた、広大な低地と、そこに開かれた水田と集落とが見渡す限り続く風景を、存分に見晴らすことができました。なお、ポンポン山というユニークな呼び名は、社殿の後方にある巨岩に近い地面を強く踏むと「ポン」という音がすることによるのだという、微笑ましい来歴が、設置された説明板によって語られていました。居住する地域の特徴をありのままに受け止め、また自然に対する素朴な信仰とが優しく息づいていた、往時の風俗に思いを致しました。
ポンポン山の東側の斜面を下り、丘陵に寄り添うようにある集落の風景を楽しみながら、空漠とした吉見町の大地を南へとひたすらに歩を進めました。高度経済成長期以降、主要幹線網からやや距離のあるこの地域でも、ゆるやかに首都圏の郊外化の影響は受けていまして、大規模な事業所や住宅団地の建設も認められるようです。そうした趨勢の中にあっても、丘陵に寄り添うように生きてきた地域の風景は、大筋では現代にも受け継がれていまして、田起こしを終えた水田に水が引き入れ始める様子に、そうした風土を目の当たりにしました。この散策の終着地であった道の駅には、多くの人々が多様な農産物などを求めて訪れていまして、吉見町の風光に魅せられているようでした。 |
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