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関東の諸都市・地域を歩く
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#39 “高麗郷”を行く 〜巾着田から飯能、奥武蔵へ〜 2007年10月6日、巾着田はヒガンバナで埋め尽くされる季節を迎えていました。その名の通り巾着袋のようにくびれながら蛇行する高麗川の流れは南に大きな渓谷然とした景観をつくりながら、その内側にたおやかな実りの大地をもたらしてくれていました。やや盛りを過ぎていながらもヒガンバナは目が覚めるような鮮やかで、本当に一帯が朱色の絨毯によって覆われているかのようでありました。うろこ雲がたなびく爽快な青空の下、そばの花や頭を垂れた稲穂がいきいきと輝いて、その穏やかな色彩はゆるやかな容貌を見せる日和田山のそれへと軽やかに連続していました。付近の地名は高麗本郷。紡がれた遥かなる歴史がさわやかな田園風景に重なります。 この高麗本郷のある現在の日高市を中心とした「高麗郡」の設置については、続日本紀に「霊亀2(716)年5月、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野の7カ国から高句麗人1,799人を武蔵国に移し、高麗郡を創建した」という趣旨の記述が見えるのだそうです。この際、高麗郡の長となったと考えられるのが高句麗からの渡来人であった高麗王若光であるといわれているのだそうです。のびやかな山並みとやわらかに流れる高麗川とに守られるかのような森の中、この高麗王若光を祭神とする高麗神社が佇みます。高麗神社の宮司を代々つとめる高麗氏はその末裔で、付近には日本に移住した高句麗人達の菩提寺として建立された聖天院(しょうでんいん)や江戸初期の貴重な民家として国指定重要文化財となっている高麗家住宅など、渡来人たちを由来とした地域の歴史を濃厚に刻んだ事物が点在しています。
秋のさわやかな光を返す高麗郷の優しい緑の中をドライブし、この地域の中心都市・飯能へと向かいます。市役所で車を降りて、東飯能駅方面へと歩を進めます。中心市街地とは線路を挟んで反対側にあたる東飯能駅の東口に位置する市役所の周辺は適度に市街化されながらも閑静な雰囲気を残す住商混在地域といった印象です。市役所周辺及び「栄町」や「緑町」として住居表示された一角が土地の区画が整えられており、このエリアを取り巻く大字双柳(なみやなぎ)の地域の土地利用形態の対象性がいっそうこの駅東口の特性を際立たせます。調べてみますと、東口の開設は2000(平成12)年の東西自由通路が完成してからとのことであったようです。 西口に進み、中心市街地に入りますと、町並みの密度が格段に大きくなります。基本的には低層の建物や戸建ての商店・住宅が中心に分布する中にあって、中層のマンションや商業系のビルも比較的多く立地しています。東飯能駅前から西へ進み、飯能駅へ向かう県道を南へ折れますと、飯能駅前に屹立するプリンスホテルが目の前に迫って、市街地の集積性がいっそう際立って見えます。飯能駅前交差点で県道と交差する商店街は「銀座商店街」と呼ばれ、交差点を境に西側が「銀座通り」、東側が「東銀座通り」と呼ばれているようです。東行きの一方通行となっている銀座通りを進みますと、レンガ調のタイルが敷き詰めれた通りは周辺の商店がかもし出す穏やかな雰囲気そのままの和やかな風景によって彩られていまして、ひっきりなしに侵入してくる車列が唯一ここが現代の都市空間の一部であることを明示しているかのようでした。
銀座通りは広小路交差点に行き当たります。東西の県道を「飯能大通り商店街」と掲げられたアーチが跨いでいました。大通りに面していることもあり銀座通り沿線には少なかった中低層のマンション建築も少なからず点在している一方、町屋造りを髣髴とさせる商家や土蔵造りの建物も展開していまして、ここが飯能の町のオリジンであることを物語っているようでした。飯能のことを記したホームページをいくつか閲覧したところ、飯能の町のメインはこの大通り商店街で、銀座通りは鉄道の敷設に伴い後になって発達したものであると説明するものもありましたが、それはおそらく当を得たものであるのでしょう。広小路交差点から西へ、仲町(なかちょう)交差点を経て中央公民館と市立図書館前まで続く一帯は、そんな昔ながらの豊かな都市景観のテイストが濃厚に刻まれた印象で、入間川の谷口に立地し、「西川林業(入間川や高麗川、越辺川の上流域で発達した林業を指す言葉です)」の中心地として成長してきた飯能の地域性を感じさせます。 観音寺の下の森を下って、「飯能河原」と呼ばれる入間川のほとりへと進みました。ゆるやかにカーブを描く入間川の流れは穏やかな緑を纏って、市民の憩いの場を提供しています。かつて多くの木材の集散地として栄えた川の流れは穏やかな表情をそのままに現代に伝えて、そののびやかな歴史の流れを溶け込ませながら、たおやかに目の前をたゆたいます。
古来から現代まで脈々と受け継がれる穏やかな地域性は、細やかな町並みやみずみずしさに溢れた山並みそのものであるといえるのかもしれません。高麗郷訪問の最後、関八州見晴台から眺めた奥武蔵の山々はまさに壮大そのものでした。 |
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