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関東の諸都市・地域を歩く


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#45 蓮田から原市、上尾へ向かう 〜鉄道網に再編された地域構造(前編)〜

 2008年1月6日、前年末に展開してきた埼玉県南部の都市群フィールドワークの延長として、蓮田から上尾にかけての地域をめぐりました。東京都区部に接し、大都市圏の拡大に伴い急速に都市化の進んだこのエリアは、比較的コンパクトな市街地を持つ小規模な都市群が、東京から放射状に延びる鉄道路線に沿って連続する構造をとるのが特徴的です。就業地の大半を東京都区部に依存することから、これらの諸都市は「住宅都市」とも呼ばれます。藩政期から近代に向かう中で主要交通が水運や徒歩等によるものから鉄道へと移り変わる過程において、そうした都市郡の趨勢も大きく変容しました。

 関東平野には中世戦国期に出城的な砦が比較的多くつくられており、幾多の猛者がそれらの城柵に拠って割拠していました。それらの中には藩政期に城下町や宿場町などの町場として昇華するものもある一方で、多くは衰廃し、いわゆる史跡などとして今日に至っています。蓮田市内にもその名も「城」という大字があります。地内には西城沼公園があり、市民に憩いの場を提供しています。元荒川にせり出した洪積台地が展開するこの場所は地形的にも中世における城柵の存在を想起させます。しかしながら具体的な文献等による跡付けはできていないようで、私たちは地名や地形により往時を想像するほかはないようです。中世から近代にかけての蓮田市域は洪積台地を刻む河川沿いの沖積地を中心とした農業が新田開発によって台地上にまで広がるといった変遷をみたものの、概してまとまった町場は存在せず、こうした耕作地を基礎とした農村集落の連続する一帯であったと考えられます。市役所前には市内で発見された約5,500年前(縄文前期)の竪穴式住居が復原されていました。

西城沼公園

西城沼公園
(蓮田市城、2008.1.6撮影)
市役所

蓮田市役所と復原された竪穴式住居
(蓮田市黒浜、2008.1.6撮影)
蓮田バイパス

国道122号蓮田バイパスの景観
(蓮田市関山三丁目、2008.1.6撮影)
住宅地景観

関山三丁目付近の住宅地景観
(蓮田市関山三丁目、2008.1.6撮影)

 市役所に自家用車を駐車し、東北本線の鉄路を跨線橋で越えてJR蓮田駅方面へと向かいます。椿山の住宅地を抜け、新荒川橋で元荒川を越えますと、2006年6月に完成をみた国道122号蓮田バイパスへと到達します。周辺は目だった商業施設の無い、自家消費的な畑も点在する一般的な戸建ての穏やかな住宅地で、バイパスには遮音壁の設置など、住環境への配慮がなされているようでした。バイパスの西側を通過する国道122号の現道も基本的には低密な住宅地域を進んできます。駅西口は小規模な商店街と駐車場などとして使用されていた広大な空き地があり、中層の商業系ビルが集積して町並みが整えられた国道311号沿線の景観と好対照を成していました(店舗や事業所スペースを併設した住居系再開発ビルを核とした再開発事業が蓮田市により展開する予定であるようです)。

 東口は既にバスターミナルやタクシープールのある駅前広場が整備され、小規模ながら商業系施設の集積も認められる市街地が形成されています。国道122号沿線を軸として商店街も形成されています(ショッピングセンター・ラパーク蓮田も立地)。駅から離れますと再びのびやかな戸建ての住宅地域が卓越するようになり、元荒川の低地へと連接していきます。宮前橋の西詰には、久伊豆神社が鎮座します。久伊豆神社は蓮田市内に七社が知られており、それらは元荒川に沿って分布、水運との関連から川の流れに沿ってつくられてきたと考えられるのだそうです。農業の神、水の神とされる久伊豆神社の存在は蓮田市周辺における原風景を思い起こさせます。同時に神社のすぐ北に開かれた県道の近代的な景観は、蓮田市域が鉄道の敷設、そして東京大都市圏の拡大によって大きく変化したことを象徴しているように感じられます。元荒川の開放的な河川敷を北へ進み、再び椿山あたりの住宅地を通り、雑木林の木立に囲まれるような市役所へと戻りました。

蓮田駅西口

JR蓮田駅西口(埼玉県道311号蓮田鴻巣線沿い)の景観
(蓮田市本町、2008.1.6撮影)
蓮田駅東口

JR蓮田駅東口
(蓮田市東五丁目、2008.1.6撮影)
商店街

国道122号(現道)沿線の商店街風景
(蓮田市東五丁目、2008.1.6撮影)
久伊豆神社

久伊豆神社
(蓮田市川島、2008.1.6撮影)

 蓮田市街地は東京大都市圏に比較的至近な立地条件にある割には、商業機能の集積度は相対的に密度が低く感じられ、周辺も平面的な住宅地が卓越し、中高層マンションの立地はほとんど見られません。この要因についてはさまざまな要素を考慮する必要があり、一概に結論を導くことはできないものの、大きな要因のひとつには、ここが鉄道駅の開業以降に後追いで町場が形成され、市街化が比較的ゆるやかに進行してきた経緯があるようにも感じられます。大宮などの大商業地域に近接していることとも無関係ではないでしょう。このとは言い換えますと農村地域を基盤とした地域の緑豊かな歴史性と、東京大都市圏との関係から成長した中心市街地の趨勢とのバランスが取れているとみることもできると考えました。JR蓮田駅西口の再開発を起爆剤として市街地を活性化させ、うるおいのあるまちづくりを進める上では、上記した市街地の特性は有利な条件であるといえるのではないでしょうか。

 蓮田市街地のフィールドワークを終え、埼玉県東部における大幹線のひとつである県道3号(さいたま栗橋線)を南下し、上尾市東部の原市地区へと向かいました。原市地区は近世から昭和初期まで続いたという市を基盤として存立した町場としての歴史を持ちます。現在でも市場町としての佇まいを残すこの町については、項を改めたいと思います。

-後編へ続く-

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