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関東の諸都市・地域を歩く


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#51 植木の里安行を行く 〜たおやかな斜面林と緑の景観〜

 2008年12月6日、東武野田線岩槻駅から埼玉高速鉄道浦和美園駅までを歩いた私は、そのまま埼玉高速線に乗り込み2駅先の戸塚安行駅で下車、フィールドワークを再開しました。時刻は既に午後3時半を過ぎており西の空がオレンジ色に染まりつつある中、川口市東部にあたる安行地域を時間の許す限り歩いてみることとしました。駅の周辺は、鉄路が地下を進んでいることもあって駅前の雰囲気はあまり感じられない、農村地域としての原風景をかすかに残す郊外住宅地としての表情を見せていました。この地下を東京都心まで直通する電車が走っているということが意外に思える景観です。

 安行といえば植木の里としてあまりに著名であると思います。行政的には川口市の一部であるものの、このエリアは川口の名前を飛び越えて安行地域としての一定のアイデンティティと知名度が醸成されているように感じます。この地域における植木産業の歴史は、1657(明暦3)年の江戸市中におけるいわゆる「明暦の大火」の後に、江戸の町に植木や苗木を贈り喜ばれたことに始まるといわれています。この経験から安行後に植木の生産が根付き、一大産業にまで発展したものであるといいます。

戸塚安行駅

埼玉高速鉄道・戸塚安行駅周辺
(川口市長蔵一丁目付近、2008.12.6撮影)
植木

安行の植木生産の様子
(川口市安行周辺、2008.12.6撮影)


興禅院参道
(川口市安行領家、2008.12.6撮影)
興禅院

興禅院
(川口市安行領家、2008.12.6撮影)

 駅前の県道を南下し、花山下交差点を経て東京外環道をくぐりますと、埼玉県の施設である「花と緑の振興センター」に到達します。植木・果樹苗木などの生産出荷の指導、盆栽等の輸出振興及び緑化に対する知識の向上等に関する業務を行っており、センター内には植木類、鑑賞用樹木類を中心に2,000種類以上の植物が展示されているのだそうです(埼玉県ホームページより引用)。センターの周辺も多くの庭木が植栽された花木の生産農家の敷地が連接していまして、シェルターを伴う東京外環道がその間を貫通する風景がここが首都の近傍であることを示してくれています。また、多様な植木が緑豊かに生育する風景は、大消費地としての巨大都市東京への志向を前提としているわけで、住宅地や商業地域の拡大を伴ういわゆる「都市化」とは形態的に異なるものの、ある意味においては都市の影響が濃厚に及んでいる結果であるとも言えるわけです。大都市圏の牽引力がもたらす緑に満ちた安行の景観に快い気持ちになりながら、歩を進めていきます。

 程なくして赤や黄色に鮮やかに染まった森が左手前方に大きく広がってきます。初冬を迎えて紅葉もいよいよ里にまで下りてきて、里山の緑を見事に染め抜いていました。興禅院境内の豊かな森は、台地の末端部に広がる斜面林によって構成されており、おもにスダジイやケヤキが樹盛を競っています。1546(天文15)年に建立された曹洞宗の寺院である興禅院が佇む森には、イチョウやカエデの木も植えられて鮮やかさのアクセントとなっていました。森に足を踏み入れますと、木々のみずみずしさの中に体全体が包み込まれるようなさわやかな気分に浸りました。斜面林の下、台地のふもとには清冽な湧水も認められ弁財天が祀られていました。急速に市街地化が進行する首都圏近郊にあってこれほどまでに清新な森が存立していることに心踊らされながら、しばし枝を彩る赤や黄色の下での時間を過ごしました。川口市では、森を次代に残そうと「川口市興禅院ふるさとの森」として指定し、保存活動を進めているようです


興禅院ふるさとの森

川口市興禅院ふるさとの森
(川口市安行領家、2008.12.6撮影)
弁財天

興禅院ふるさとの森・弁財天
(川口市安行領家、2008.12.6撮影)
安行小

安行小学校付近の斜面林(安行原自然の森)
(川口市安行原、2008.12.6撮影)
峯ヶ丘八幡神社

峯ヶ丘八幡神社
(川口市峯、2008.12.6撮影)

 住宅地域と植木の生産農家の敷地とが連続する安行の景観を確認しながら県道をさらに南へ進みます。安行小学校のあたりにも豊かな斜面林があって、木々の向こう、坂道の彼方に住宅街を見下ろす格好になって穏やかな里山景観が維持されているのが印象的でした。小学校南の三叉路から県道を離れ、市道を進みますと道は急速に下りになって、ここが台地の末端部にあたっていることを体感させます。バス停の名称(峯八幡宮)にもなっている峯ヶ丘八幡神社は低地に突き出すようにある台地のまさに突端のような場所に、豊かな社叢に覆われながら鎮座していました。天慶(てんぎょう)年間(938〜947)に源経基により創建されたと伝えられ、源氏と各地の荘園領主たちが主従関係を結ぶ中で源氏の氏守である八幡神社を建立したものであるとされていると、境内の説明板に記されていました。高台となっている境内からは、南方の平地に展開する今日の市街地が、夕焼けに輝く空の下、伸びやかに展開している様子を見て取ることができました。

俯瞰風景

峯ヶ丘八幡神社境内からの俯瞰風景
(川口市峯、2008.12.6撮影)
川口駅

JR川口駅東口
(川口市栄町三丁目、2008.12.6撮影)

 夕刻となり次第にデジタルカメラによる写真記録が困難になってきたことから八幡神社にてフィールドワークを終了し、頻発しているバスに乗車してJR川口駅へ移動、この日の活動を終えました。人口50万を超える川口市の代表駅である川口駅前はペデストリアンデッキが整備された商業施設の集まる一大ターミナルとなっていて、多くの人々が闊歩していました。東京からの活力を受けていよいよ成長を早める巨大都市の只中に、わずかな時間で到達する安行エリアは、その都市からの営力を緑に変えて、歴史の積み重ねの中でたくましく、穏やかな郊外景観を維持しているように感じられました。

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