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関東の諸都市・地域を歩く
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#81 平塚から厚木へ 〜平塚の七夕と厚木市街地を概観する〜 2013年7月7日、梅雨の間の晴れ間となったこの日、神奈川県の平塚市と厚木市を訪れました。平塚といえば、全国的にも著名な七夕まつりで知られています。折しも七夕のこの日、平塚駅周辺の祭り会場には、鮮やかなたくさんの七夕飾りがありました。竹に飾られた煌びやかな吹き流しがこの上ないきらめきを宿した夏の青空に映えていました。
平塚の七夕は、「湘南ひらつか七夕まつり」の名称で行われています。平塚駅北口ロータリーから西へ延びる「紅谷パールロード商店街」と、旧東海道にあたる「湘南スターモール商店街」が主要な会場となっており、両商店街は趣向を凝らした色とりどりの七夕飾りで埋め尽くされます。1951(昭和26)年、戦災復興とさらなる平塚の発展を願って、仙台七夕を模範とした第1回の七夕祭りが開催されました。その後は平塚の恒例行事として毎年開催され、開催期間中約150万人前後が訪れる一大イベントとして定着しています。紅谷パールロードを散策しながら、歩行者天国となっていたプラザロードを北に進み、湘南スターモールを東へ戻るルートをめぐって、七夕飾りで彩られら商店街の風景を楽しみました。平塚駅前交差点の手前から北へ進みますと、平塚八幡宮。旧東海道の北を通過する幹線道路となった国道1号に面した境内には、夏越の大祓における茅の輪が設置されていました。そして、大鳥居には七夕飾りが下げられて、成熟した境内の木々の緑と程よいコントラストを描いていました。 平塚の七夕を見学した後は、平塚駅を出発するバスを利用し、本厚木駅前へ。厚木は小田急線により新宿と直結していることに加え、東名道と圏央道との交点にもあたっており、まさに交通の要衝といえる都市です。そうした拠点性を生かして、厚木は神奈川県中央部の拠点的な都市として成長してきました。本厚木駅前は元来は市街地の外側にある水田地帯でした。厚木の旧市街地は相模川に沿う自然堤防上に、南北に細長く発達していました。大山への参詣道のひとつである矢倉沢往還と呼ばれる街道筋の宿場町で、現在の県道601号沿線にあたる地域です。本厚木駅前の発展ぶりからはやや斜陽的な印象ですが、小規模なアーケード状の構造もあって往時を偲ばせていました。相模大橋の近くには厚木神社が鎮座しています。厚木の鎮守として厚木の町を見守ってきた社殿は、青空の下に輝くように流れる相模川を背にしていまして、境内から川へ向かう風景は以下も昔も清爽なものであったのでしょうか。
相模大橋上からきらめく相模川の風景を一瞥した後、県道40号(同603号)を西へ歩きました。橋の西詰からは、道路の両側に林立するマンション群の間の向こうに見える大山がわずかにその頂を見せていました。厚木は矢倉沢往還が相模川を越える渡河点にあたり、相模川を介した水運の拠点でもありました。現代の厚木の市街地がまったくなかった時代には、大山の山容が相模川の形成する低地のかなたに、本当に雄大に望むことができたであろうと想像しました。大山へ参拝する人々の目にも壮大に映ったことでしょうか。都心へのアクセス性もあって高層の建築物によって充填された厚木の市街地を歩きながら、首都圏における人口を惹きつける応力の力強さを実感しました。新たなマンションも建築中であった厚木一番街通りをたどり、本厚木駅へと戻りました。駅前には放射状に商店街が伸びており、北東方向には「厚木なかちょう大通り」と掲げられた通りもあって、夏空の下繁華な街並みを形づくっていました。 平塚から厚木へ向かう行程は真夏を感じさせる炎天下でのものになりましたが、その暑さを緩和させるようなさわやかな七夕飾りや相模川の水流に清涼を感じての彷徨でした。都心のターミナルから放射状に延びる異なる鉄路に沿って東京と結びつくこの二つの町は、ともに中心性を高めあいながら、歩んでいるように感じられました。 |
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