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熊本から長崎へ、秋濕りの大地
〜有明海から菊池・山鹿、そして西海へ〜

 2020年8月26日、北部九州を訪れました。東シナ海を北上した台風8号の遠い影響で時折雨の降る「秋濕り(あきじめり)」の一日となりましたが、九州山地へと続く穏やかな丘陵地域を背景とする地域から長崎の沿岸部へと進んだ彷徨は、西南へ開けた大地のたおやかさを見つけるこのできるものであったと感じました。


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ページ設置:2023年7月21日

有明海を渡り、熊本県北部へ 〜山と海、連続的に、たおやかにつながる風景〜

 2020年8月26日、この年の始め、突如として全世界を包み込んだコロナ禍という惨禍は、瞬く間にこの国の状況を一変させました。長崎行きの航空機に搭乗するために朝早くからやってきた羽田空港も例年における夏休み中という活気は全くといっていい程なくて、搭乗便を示すサインも、大半の便について「欠航」の文字が並んでいました。列島を横断しながら到達した長崎空港から、きらめくような水面を輝かせる大村湾を渡り、島原半島の北岸を一路東へと進みました。有明海フェリーの出航する多比良(たいら)港につく頃には、上空の雲は徐々に増えていて、フェリーの上から眺める有明海もややくすんだ青色を呈していました。

大村湾の風景

大村湾の風景
(長崎空港より、2020.8.26撮影)
多比良港から多良岳を望む

多比良港から多良岳を望む
(雲仙市国見町土黒甲、2020.8.26撮影)
雲仙普賢岳を望む

雲仙普賢岳を望む
(有明海フェリー上より、2020.8.26撮影)
九州本土から宇土半島を望む

九州本土から宇土半島を望む
(有明海フェリー上より、2020.8.26撮影)
日立造船有明工場

日立造船有明工場を望む
(有明海フェリー上より、2020.8.26撮影)
菊池市役所

菊池市役所
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)

 有明海は西九州に深く切り込む形となっているため、陸路を行くと距離がかさむことから、それらを海上で短絡するためのフェリーが運航されています。島原半島からも複数のフェリー航路があって、多比良港から熊本県の長州港へと向かう航路もその一つとなっています。フェリー上からは、北に多良岳、西には雲仙普賢岳が望め、進行方向から南へは、九州本島から宇土半島へと続く山並みが美しく眺められました。約45分の航海で到達した長州港からは、熊本県内ではまだ訪れたことのなかった北部内陸の都市、菊池市を目指しました。菊池川のつくる広大な盆地に開けた菊池市の市街地にある市役所へ到達した頃には、やわらかな雨が駐車場を濡らしていました。

 市役所から北へ、市街地を歩きます。菊池市の市街地は南の菊池川と、北を流れる支流の迫間川に挟まれた位置にあり、地形的には、川が山から平地へと出る部分に発達する扇状地の上にあります。北東から南西へ傾斜する扇状地にあって、北東側の丘陵の上にはかつて肥後守菊池氏の居城である本城があって、菊池の町並みはその城下町として発達しました。中心市街地の地名は現在でもその頃から続く「隈府(わいふ)」です。雨の市街地を進みますと、妙蓮寺や極楽寺のある一角へ。日蓮宗の妙蓮寺の三門を入りますと、本堂の側に樹齢が600年を超すともされる樟の大木が勢いよく枝を伸ばしていました。

妙蓮寺三門

妙蓮寺三門
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
妙蓮寺と大樟

妙蓮寺と大樟
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
立町通りの景観

立町通りの景観
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
わいふ一番館

わいふ一番館
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
御所通り

御所通り、将軍木前の風景
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
将軍木と頓宮

将軍木と頓宮
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)

 門前の立町(たてまち)通りの商店街然とした風景を一瞥しながら、さらに北へ。突き当たった通りは「御所通り」で、東へ進むと菊池神社へと続く道筋です。通り沿いには昔ながらの町屋造りや土蔵のある建物も残っていまして、この町がこの地域における地域的な中心地であったことを偲ばせます。寄合所・資料館と紹介されている「わいふ一番館」の前を進むと、目の前に一際大きい枝を伸ばす樟が緑のアーチをつくるように佇んでいました。南北朝時代、征西大将軍として隈府を拠点に活躍したとき、その杖から芽吹いたなどの伝承から、「将軍木」の名で知られる、樹齢600年以上灯される巨樹です。隣接する能舞台ではこの老木を将軍宮に見立てた「松囃子能」が奉納されているとのことです。

 豊かな町中の森を過ぎた先には、菊池神社の鳥居があり、高台にある神社への参道をのぼっていきます。城跡でもある菊池神社のある高台は、青紅葉に包まれ、初秋の穏やかな雨の降る中、しなやかなみずみずしさに溢れていました。阿蘇の外輪山に源を発し、上流部で有数の美しさを誇る渓谷を形成する清流・菊池に抱かれた、穏やかな町並みが眼下に広がります。この地を本拠として割拠した菊池武光像もある菊池公園を散策しながら、雨も小やみになった市街地へと戻りました。菊池市街地は温泉も湧くことから温泉街としての横顔もあります。公園と市街地との移り変わる緑豊かなあたりを中心に温泉旅館やホテルも点在していてました。

菊池松囃子能場

菊池松囃子能場
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
菊池神社鳥居

菊池神社鳥居
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
菊池神社参道

菊池神社参道
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
菊池神社

菊池神社
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
菊池市街地を望む

菊池市街地を望む
(菊池市隈府、2020.8.26撮影)
菊池市郊外付近

菊池市郊外付近の田園風景
(菊池市付近、2020.8.26撮影)

 市役所に戻り、レンタカーで移動を再開します。田園と郊外型の店舗、そして微高地を志向する集落などを貫く国道325号を西へ、菊池市とともに熊本県北部の内陸エリアにおける中心都市の一つである山鹿市の市街地へと入りました。山鹿市も菊池市同様温泉街として栄えた歴史があり、市役所近くの国道沿いには共同浴場である「さくら湯」が昔さながらの風情を見せてくれていました。そのさくら湯から国道を挟んで反対側、ゆるやかに登る坂道が、かつての豊前街道の道筋です。山鹿灯籠民芸館は、旧安田銀行山鹿支店の建物を利用していまして、近代における山鹿の洋風建築の第一号として、往時の町の繁栄を今に伝えています。館内では伝統工芸品として名高い山鹿灯籠が余すところなく紹介されていました。紙と糊しか使用しない緻密で軽量な灯籠は、8月15・16日に開催される山鹿灯籠祭りでも活躍します。

 旧豊前街道筋は穏やかな町並みが残る美しい佇まいが印象的です。金剛乗寺(こんごうじょうじ)へと続く参道には、石をアーチ状に積み上げて上に石屋根を載せた、独特な形状の石門があります。九州でよく見られる眼鏡橋の構造を応用したこの石門は、1804(文化元)年の製造、地元の石工である甚吉の手によるものです。町並みに溶け込む質素なその姿には、九州の石工の確かな技術と矜持とを存分に感じさせます。旧街道沿いには長屋門や格子窓の町屋などが立ち並ぶ坂道の上には、1910(明治43)年に山鹿の商人によって建設された芝居小屋・八千代座建物が静かに町に溶け込んでいました。正面の大きな瓦葺きの庇が印象的な小屋の中は、歌舞伎小屋の様式を採る内装がたいへん煌びやかな印象でした。

旧豊前街道

山鹿・旧豊前街道の風景
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
山鹿灯籠民芸館

山鹿灯籠民芸館
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
山鹿灯籠

山鹿灯籠
( 山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
金剛乗寺石門

金剛乗寺石門
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
山鹿市街地の町並み

山鹿市街地の町並み
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
八千代座

八千代座
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
八千代座

八千代座の内部風景
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)
さくら湯

さくら湯
(山鹿市山鹿、2020.8.26撮影)

 有明海を渡って行き着いた熊本県北部の地域は、緩やかな山々の延長のようなのびやかさをもって目の前に広がっていました。北九州から南九州へと至る交通の要衝的な位置を占める場所でもあり、古くから多くの歴史的な辞書運も舞台ともなってきた丘陵と、それらを浸食する川の流れとがつくるたおやかさは、短い間の訪問ながらも濃密に脳裏に残されています。この時は雲に隠されていましたが、このような雄大な光景の背景にある、九州の中心にある、あの壮大な火口原を有する山稜の存在も指摘しておく必要があるのでしょうか。


西海・海岸沿いをゆく 〜東シナ海を望む、信仰の歴史を刻む風景〜

 菊池、山鹿の両エリアを散策した後は、九州自動車道から長崎自動車道、そして西九州自動車道を辿りながら、一路長崎を目指しました。普段東北道などで長距離を経てようやく仙台へ到達するといった経験を持つ筆者にとって、これらのルートの道のりが相対的に短く感じられました。差が平野を見下ろす風景はとてもゆるやかで、有明海へと続く、筑後川などの水系が埋め立ててきた地形発達史を手に取るように感じることができました。

西海橋

西海橋(西海橋公園から望む)
(佐世保市針尾東町、2020.8.26撮影)
西海橋から針尾瀬戸を望む

西海橋から針尾瀬戸を望む
(西海市/佐世保市、2020.8.26撮影)
大野集落から東シナ海を望む

大野集落から東シナ海を望む
(長崎市下大野町、2020.8.26撮影)
大野教会

大野教会
(長崎市下大野町、2020.8.26撮影)

 西九州道へと入ると風景は丘陵の中をゆく風景へとゆるやかに変わっていきました。ハウステンボスも近い、佐世保市の早岐エリアの北側を過ぎ、河川のような早岐瀬戸を超えて針尾島へ。リアス海岸が連続する西海エリアを象徴する建造物の一つである、西海橋のたもとへと到達しました。佐世保市と西彼杵半島とを分かつ針尾瀬戸をまたぐアーチ橋は、絶壁を持って海峡に接する海岸の風景を軽やかにつないでいました。橋は歩行者が歩ける部分も確保されていまして、その上からは針尾瀬戸の急流の様子もはっきりと確認することができました。

 夕刻が近くなり、長崎への道のりを急ぎました。西彼杵半島の脊梁を超えて、西側の海岸を進んでいきました。西海岸にあって夕日が美しいことから「サンセットオーシャン202」とも呼ばれる国道202号も、この日は台風接近の影響もあって、鈍色の空の下に沈んでいました。長崎市内に入り、斜面上に立地する外海地区の大野集落に立ち寄りました。この集落の建築物群は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の構成資産の一つです。高台にある大野教会は、1893(明治26)年に、この地区の主任司祭として赴任したフランス人神父・マルク・マリ・ド・ロにより建設されました。東シナ海の大海原を望む小さな集落における小さな教会の前に立ち、緑に囲まれた風景を前にしますと、その静かさの背景にある信仰の歴史の重さが胸に迫るようでした。

長崎市の夜景(稲佐山より)

長崎市の夜景(稲佐山より)
(長崎市稲佐町、2020.8.26撮影)
長崎市の夜景(稲佐山より)

長崎市の夜景(稲佐山より)
(長崎市稲佐町、2020.8.26撮影)
長崎市の夜景(稲佐山より)

長崎市の夜景(浦上方向)
(長崎市稲佐町、2020.8.26撮影)
長崎駅前

長崎駅前の風景
(長崎市大黒町、2020.8.26撮影)

 日が暮れてようやく長崎市街地に到着し、その足で稲佐山にのぼり、久しぶりに長崎の夜景を目にしました。長崎湾に臨む市街地は、相変わらず、坂の上にまで美しい光の海が広がる光景を演出していました。細長い、狭い平地に集中的に続く市街地の明るさと、その上を覆う夜の闇とのコントラストが、現代の安寧とたくさんの幸福と、そして多様な人々の生活とに結びついていると信じて、そのきらめくような夜景をしばし眺めていました。


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