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首里城正殿 (那覇市、1999.9.16撮影) |
嵐山展望所からみた羽地内海 (沖縄県名護市、1999.9.18撮影) |
備瀬から眺望する伊江島 (沖縄県本部町、1999.9.18撮影) |
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訪問者カウンタ ページ設置:2003年8月23日 |
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I.自然 うちなー(沖縄)は、たくさんの生命に満ちている。そこが、街の中であろうとも、たくさんのビルや人があろうとも。
しかしながら、そのような珍しい草花や風景のありさまは、沖縄の自然を考えるうえで一番大切なものではない。もちろん、沖縄でしか味わうことのできないさまざまな事物に触れて、新鮮な感覚に浸ることはとても魅力的で、意義のあることである。けれども、今回沖縄を(本島を、ざっと一回りしただけだけれども)旅してみて、それ以上に忘れてはならないことがあるのではないかと思うようになった。それは、沖縄独特の自然がそこに普通に存在していることそのものであると思う。ハイビスカスやがじゅまるやでいごやマングローブやその他沖縄を代表するいろいろなものが、彼らなりのスタイルで、沖縄という彼らのホームグラウンドの上で、しっかりと根づき、目立つことなく、しかも彼ら自身を見失うことなく、ありつづけること。そして、そこを訪れる人々に新たな感動を分け与えてくれる…。これこそ、ほんとうに沖縄が誇るべきものなのではないだろうか。そう感じずにはいられなかった。 「残波岬」
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II.歴史 1999年9月17日、僕はひめゆりの塔へ足を運んだ。いまはすっかりきれいにされた塹壕の前に、花を供え、黙祷した。 その刹那、上空をごおっと飛行機の轟音が過ぎった。 まだ残暑厳しいなか、その余韻はしばらく残っていた。 沖縄の道をドライヴしていると、都市部においてよく道路が整備されていると感じる。特に、コザ(沖縄市)から那覇にかけては、たいていの主要道路は片側2車線であった。また、沖縄の道路を特徴づけるもう1つのものは、ロータリーである。沖縄の道では、やたらとロータリーが目につく。完全なロータリーでなくとも、左折へのショートカット路線が設けられていることが多い。なかでも、嘉手納町にある、国道58号線と県道74号線が交わる「嘉手納ロータリー」は大規模なものであった(ちなみに、この県道74号線は、米軍による県道越えの射撃演習がしばしば問題となる路線である)。
しかし、その状況は薩摩藩の進入によって大きな転換点を迎える。薩摩藩は琉球王国を実質的には支配下に入れながら、琉球王国と明との冊封関係(当時明は他国との通商を行う際、冊封使(さくほうし)を渡来させ、友好関係を締結させるという方法をとっていた)を維持させた。その後、琉球は明治政府成立に伴って沖縄県となり、日本の国土の一部という扱いを受けるようになった。ところが、地租改正や普通選挙制の導入や、資本投入などの諸政策は大幅に遅れ、政治的にも経済的にも不利な扱いを受けることとなった。そして、沖縄は第二次大戦において連合軍の本土上陸を遅らせるための「捨て石」とされ、20万人もの人々の命が奪われる惨禍を被ることになる。さらに、戦後は連合軍の統治のもと日本本土から切り離され、本土復帰後も米軍基地の多くが残存することとなる。 |
III.リウキウ 琉球とは、かつて沖縄地域の人々が盛んに交流した中国大陸の人々の呼称であったという。琉球王国は中国大陸のみならず、日本、朝鮮半島、東南アジア地域などと盛んに交流することによって繁栄した。言ってみれば、「琉球」という名称はこの地域の人々の平和的な友好を愛する象徴のようなものだ。しかし、第二次大戦後の米軍占領下の沖縄においては、「琉球政府」や「琉球大学」などという名称が、日本本土と沖縄とが別個の地域であることを意識させるために意図的に用いられたという。薩摩の進入以降多くの歴史的な惨禍に翻弄されてきた沖縄は、現在においても軍事基地の存在や経済の立ち遅れなどの問題に直面している。沖縄が歩んできた道、そして、これから向かおうとしている方途。今回の旅行においてほんの少しではあるが、感じることができた。
また、来年2000年には沖縄でサミット(先進諸国首脳会議)が開催される。その成功に向けての環境整備も整いつつある。沖縄での会議場を抱える名護市中心部では、市街地の道路の真ん中にそびえるひんぷんがじゅまる≠フもとで、サミット開催を歓迎する看板や張り紙が目に付いた。名護城址公園から望む市街地と間もなく沈む夕日をのせた東シナ海の水平線は、躍進し、燃えあがる沖縄の未来そのもののように輝かしく見えた。 |
Regional Explorer Credit
9月15日 | 23:00過ぎ、沖縄空港着、那覇市内にて宿泊。 | |
9月16日 | 午前 | 首里城公園・玉陵(たまうどぅん)・沖縄県立博物館見学。 |
午後 | 泊より出発する水中観光船に乗船、那覇港内の珊瑚礁を見学。 | |
夕方 | 牧志公設市場、お土産と食事、那覇市内にて宿泊。 | |
9月17日 | 午前 | 糸満市米須のひめゆりの塔と資料館を見学。その後摩文仁の沖縄県平和祈念公園を見学。 |
午後 | 与那城町の海中道路に寄りつつ、読谷村の残波岬、恩納村の万座毛を見学。名護城址公園やひんぷんがじゅまるを見学後、名護市内にて宿泊。 | |
9月18日 | 本部町の国営沖縄記念公園見学。今帰仁村・今帰仁城址、名護市・嵐山展望台、国頭村・辺戸岬、東村・慶佐次マングローブ林などを見て (「やんばる」を一周する形)、那覇に戻り、宿泊。 |
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9月19日 | 8時半の飛行機で羽田に戻る。 |
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