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大阪ストーリーズ
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#17 北摂エリアを行く 〜茨木から高槻、主要路上の都市〜 北摂(ほくせつ)は、その字の示すとおり、古来の律令国のひとつである「摂津国」の北部を指します。府県が広域的な地方公共団体として明確となっている現在は、当該区分に該当する兵庫県から大阪府にかけての地域のうち、大阪府の北部を指す地域名称とする解釈が最も一般的であるようです。この北摂エリアは、中世以降は京と大坂との間の交通動線上にあたることから、現在に至るまで国家の最重要交通基軸の一角を担い続けてきたといえるでしょう。JR東海道本線や東海道新幹線、名神高速道路をはじめ、京阪間、阪神間を結ぶ公共交通網が蔓草が絡み合うように発達していることがたいへん印象的です。 姫路・明石でのフィールドワークを終え新大阪で投宿していた私は、翌朝、北摂地域の都市群のひとつ、茨木市のJR茨木駅へとやってきました。この日は半日の予定で茨木駅から隣の高槻駅までのフィールドワークを行いました。JR茨木駅と東の阪急茨木市駅は両駅のほぼ中間に市役所を擁するなど、同市の中心駅をまさにその両輪としての地位を占めています。1970(昭和45)年に開催された万国博覧会の玄関口の一つとして整備されたというJR駅西口のバスプールや今でも「エキスポロード」と呼ばれるシンボルロードの様子、そして大阪近郊の主要都市の一つとして成長を続ける駅前の様子を確認しながら、府道14号をインターチェンジ方面へと進みました。駅前付近はマンションが多く立地している一方で、次第に都市近郊の住宅地域的な景観となり、一部には比較的古くから存在していると思われる板壁の民家や水田も垣間見られて、地域の歴史を投影しているかのようでした。
畑田交差点から国道171号に入り、茨木インターチェンジをクロスしながら、国道を道なりに進んできます。インターチェンジ付近ならではの流通関連事業所の集積や、郊外におけるゆったりとした住宅地域にロードサイド型商店が点在するゆったりとした平地の中を国道はまっすぐに伸びています。下井町の交差点を過ぎて国道の旧道的な部分に入り、「茨木市宿河原町」と書かれた歩道橋のある交差点に達しますと、「郡山宿本陣」の入口を示す標識が設置されています。交差点を左斜め(西南西方向)に入る小道を入りますと、程なくしてその旧跡の前に到達します。立派な薬医門を擁する、大きい庇の張り出した平入町屋造りの建物は、その緩やかな屋根のカーブがやわらかな印象を与えていました。建物の前の道路は旧西国街道で、路面は歴史的な雰囲気を演出するために石畳にされています。旧郡山宿本陣であるこの建物は1721(享保6)年の建築で、正門の脇に樹盛豊かな椿の大樹が五色の花を咲かせていたことから別名「椿の本陣」とも呼ばれました。1948(昭和23)年には国の史跡に指定されています。 この郡山宿を含む茨木市から高槻市にかけての旧西国街道は江戸時代には「山崎道」とも呼ばれ、ルートが比較的しっかりと残っていて、かつ案内標識も十分に設置されていることから散策を行うにはもってこいのフィールドとなっています。西国街道は京から西国へ伸びる幹線道路として重要な役割を担ってきたもので、北摂エリアを通過する部分(西宮から昆陽、瀬川、郡山、芥川、山崎の各宿を経て伏見に至る部分)は大阪を経由せずにショートカットできることから西国大名の参勤交代路としても重用されました。亀岡街道との交差点として交通の要所であった中河原一帯は小規模ながらも焦点の集積があり、伝統的に中心性のある地域であることを感じさせました。街道筋は現在では都市近郊におけるごく普通の住宅地域としての表情を見せながらも、時折町屋造の建物や土蔵などを見かけることもできました。また、周辺は太田茶臼山古墳や耳原古墳もある古墳の密集地域としても知られています。
名神高速をくぐり、東芝の工場跡地を右手に見ながら、歴史のある小道を旧芥川宿方面へ向かいます。古墳が密集する平原の中を、虫籠窓や格子壁が趣のある風情を見せる町屋が寄り添う一筋の街道が伸びていたであろう原風景は、大都市圏近郊の住宅地に完全に取り込まれています。しかしながら、そうした現代的な景色にあっても、こうした町屋や路傍にひっそりと佇む道標はしっかりと地域の歩みを伝えていまして、その存在の一つひとつに奥ゆかしささえ感じてしまう道のりとなりました。 高槻市に入り、立派な長屋門を擁する旧家の前を通り過ぎて、芥川の流れを越えますと、いよいよJR高槻駅が近づいて建物の密度が増してまいります。西国街道の旧芥川宿にあたる一帯は、中核市の代表駅の至近にありながら町屋造の建物の集積度が高く、伝統的な宿場町としての歴史の鮮烈さを感じさせます。古い宿場町の街並みの向こうには高層マンション群が立ち並んでいることも現代的な都市がむしろ借景のように見えるようで、現代と過去とが緩やかに連接する姿がかえって好印象に思えました。街道は現在も往時の佇まいを見せている一里塚の場所でクランク状に北に折れ、郵便局の北で再び東に曲がって進みます。周辺はアーケード商店街もあるなど活気のある中心市街地です。
高層マンションや多くの商業施設が集まる駅前は、バスターミナルやペデストリアンデッキが整備され、当該エリア随一の中心性を誇ります。フィールドワークの中途から降り出していた雨はいよいよ本降りとなっていまして、駅の南に展開する高槻城跡を中心としたエリアへのフィールドワークは断念し、この日の活動を終えました。岐阜における岐阜と加納のように、城下町と宿場町とが役割を分担しながら近接する地域構造は、近世における都市機能の在り方を示唆しているようでたいへん興味深い事象であるように思えます。現代の都市軸の主役の一つたる鉄道駅からの視点では京阪神大都市圏のベッドタウンとして巨大な人口を吸収した当該エリアの特性が強烈に印象づけられます。しかしながら、政治の中心たる城下と機能を分化し宿場町を存立させた重要交通路から見つめなおすと、この地域が単なる住宅都市ではないということを十二分に理解することができました。なにより都市化・住宅化の只中にあっても寸分の逸失もなく軽やかに地域を進む街道の存在がなにより雄弁に物語っています。 |
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