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そして、近江路へ・・・
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#3 大津市街地を行く(前) 〜唐崎から三井寺へ〜 京阪坂本駅から2駅乗車し、穴太(あのう)駅で下車、琵琶湖畔方向へ徒歩を進めます。寒気が強く張り出していたこの日は曇り空で推移し、ほんの時折雲間から除く日の光も弱々しく感じられます。周辺はのどかな昔ながらの田園風景で、傾斜に沿って土留めが施された水田を背後に、土蔵や程よく色あせた瓦屋根の木造家屋が立ち並ぶ集落が並ぶ風景が続きます。しかしまったく手が加わらず古いだけというわけではなくて、新しい住宅も存在しています。そういった新陳代謝がなされている一方で、昔ながらの色彩をも失わない景観が維持されているということは、驚嘆に値する事実であるのかもしれません。 そんな穴太の集落の中に、高穴穂(たかあなほ)神社が鎮座しています。境内には「高穴穂宮趾」と刻まれた石碑が建てられています。記紀において景行天皇の宮跡と伝えられるものの、遺構等は発見されず伝承の域は出ていないようです。境内はひっそりとした杜に包まれており、瓦屋根が設けられた玉垣に覆われた本殿は厳かな静寂に包まれていました。神社の周辺は石垣で基礎を造った生垣や石壁に覆われた民家や土蔵などが点在する昔ながらの景観を残す集落で、古来より多くの史実と関わってきた穴太の地域性を濃厚に感じさせました。特に穴太衆が活躍した中世とのかかわりは少なくないようで、地域の集会所と思われる施設近くには供養塔が設けられており、、「室町幕府足利将軍第12代将軍足利義晴は、京の都より難を逃れこの地に至り、ここ穴太において病死された。1546(天文15)年5月3日のことである。墓所は足利家菩提寺にあるが、ここに供養塔を設置された」との説明表示が添えられていました。
西大津バイパスの下をくぐり、JR唐崎駅の高架下を抜けて、さらに琵琶湖へと近づいていきます。唐崎中学校や全国市町村国際文化研修所のある一角はまとまった空き地が残っています(これについては重大な理由があるようですが、地域文の本旨とはやや離れますのでここでは詳述は控えます)。国道161号までの区間は水田や住宅地が混在するエリアを経て、国道沿いの住宅地域へと土地利用が推移していきます。山麓の穴太や坂本の町場や集落が立地するエリアと、国道に沿った湖岸に発達した唐崎の町並みの間をバイパスが通過しています。両エリアの間の水田が卓越したエリアをバイパスが貫通する形となっていて、一般的な都市化の態様を呈しています。そうした普通の市街化の風景が、本当に当たり前のように歴史を感じさせます。 そんな穏やかな集落を国道沿いに進み、湖に突き出した岬のような地形の場所に位置する唐崎神社へ。近江八景のひとつ「唐崎の夜雨」として知られる老松と湖が織り成す風景は、今日においても情趣溢れる姿を伝えていまして、滋賀県の名勝ともなっているようです。境内の中央に枝を伸ばす松は三代目のもので、二代目の松が1921(大正10)年に枯死した後に、その実生木が移植されたものであるとのことです。穏やかに水をたたえる琵琶湖の佇まいや彼方に広がるゆるやかな山並みもあいまって、伝統的な風景が紡ぎ出されていました。
JR唐崎駅に戻り、京都方面に一駅進み、JR西大津駅(現・大津京駅)で下車します。中高層のマンションが林立する駅周辺は、京都方面への利便性によってこのような土地利用が加速されている様子が理解されます。通り抜ける京阪電車を左手に、皇子山総合運動公園や市役所のある一帯を進んできます。県庁所在都市として、県域を対象とする諸機関が集積しながらも、京阪方面、特に京都の影響を強く受けている大津の性質が端的に実感される風景ではないかと思われました。京阪電車が南東方向に去っていくあたりから、町並みが徐々に町屋風の建物が見られるようになり、なめらかな山並み迫って、石垣が連なる穏やかな風景が展開されていきます。程なくして、一般的には「三井寺(みいでら)」の名前で呼ばれる園城寺(おんじょうじ)の山門前に到着します。 国宝の金堂は大修理中で全貌を拝観することはできませんでしたが、やはり「近江八景」のひとつである「三井寺の晩鐘」など、大伽藍に配された建造物を回り、最後に大きく印象づけられたのは、境内からの俯瞰風景でした。琵琶湖の南端の丘陵地にあって、穏やかに大津の市街地を見下ろすような境内は、緑豊かな山並みに抱かれながらそこに存在していました。観音堂から石段を下り、麓の神社の横を通って市街地へ戻りますと、琵琶湖疏水が穏やかに流下していました。 |
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