Japan Regional Explorerトップ > 地域文・関東甲信越地方 > りょうもうWalker・目次 

りょうもうWalker

#4ページへ
#6ページへ

#5 両毛のスーパータウン大泉を行く

人口41,293人、製造品出荷額8,134億699万円、大泉町の統計の一部をひろってみました(平成14年度、群馬県庁ホームページより引用)。また、先日群馬県内の市町村別住民所得額が公表されましたが、大泉町は、前橋や高崎など県内11市を差し置いて、堂々の県内第1位となりました。さらに、群馬県内69市町村で唯一地方交付税不交付団体であるという、大泉町。このように、統計データ上は一般の市も顔負けの大泉町の中心市街地周辺を歩いてみました。

大泉町にまつわる疑問の1つに、東武小泉線の存在があります。ずばり、なぜ「大泉町」なのに「小泉」なのか、という問題です。しかも、大と小という、対になる漢字の違いなのです。町内の駅も、東小泉、小泉町、西小泉と、「小泉」のオンパレードです。これは、大泉町自体が、1957年にもとの小泉町ともとの大川村が合併してできた町であり、両自治体の頭文字、「大」と「泉」をとって町名としたことに由来するわけです。小泉町の範域は、現在住居表示で「小泉」が使われる一帯、大川村は南部の利根川に近い地域を範域としていたようですが、都市化が進んだ現在では、両町村の境界がどの辺であったかは、景観上はまったく推し量ることはできませんね。東武小泉線は、西小泉〜館林の路線に、太田から南東に伸びる路線が東小泉駅で接続する形になっています。この線形は、西小泉駅以南にも路線を延長する計画があったことを示しています。既に廃止されて久しいですが、東武には、JR熊谷駅から妻沼町まで通じていた「熊谷線」という路線があり、それを小泉線の西小泉駅まで延伸した路線をつくる計画がありました。現在ではこの計画は頓挫していまして、利根川に架かる予定で橋げたまでつくられていた橋梁の構造もすっかり撤去されています。ただし、大泉町内の路線が通る予定であったルートは現在でもそのまま残されていまして、緑豊かな、快適な遊歩道に生まれ変わっています。この「いずみ緑道」は、西小泉駅前から、大泉町の総合運動公園まで、幻となった鉄道路線の上を続いています。なお、いずみ緑道自体は、西小泉駅以北にもつくられていまして、小泉線に沿うように、桜の名所として知られる城之内(しろのうち)公園まで延長されています。いずみ緑道が横をかすめる大泉町役場から、町歩きをスタートさせました。

大泉町役場

大泉町役場
(大泉町日の出、2004.1.10撮影)
いずみ緑道

いずみ緑道
(大泉町坂田一丁目、2004.1.10撮影)
いずみ緑道内の公園

いずみ緑道内の公園
(大泉町坂田二丁目、2004.1.10撮影)
東京三洋電機工場入口

東京三洋電機工場入口
(大泉町坂田二丁目、2004.1.10撮影)

大泉町役場は、けやきなどの木々に囲まれた白い建物で、駐車スペースも広く、また羽田・成田両空港へのバス路線を始めとした、高速バス路線網のバス停も設置されていまして、広く町民のために利用されています。役場を出て、西に進みますと、ほどなくしていずみ緑道につきあたります。並行する大通りは、「ハナミズキ通り」と呼ばれ、日本の道路百選に選ばれている道路です。いずみ緑道に入り、北へ、国道354号線沿線に連なる中心市街地を目指しました。緑道の西側は一大工場の広大な敷地となっています。東京三洋電機の工場で、大泉町の製造業の基幹的な工場です。近年は不況に伴う合理化のため、最盛期の生産力は無いようですが、それでも大泉町の財政のかなりの部分は、この大工場が立地することによって充当されているはずです。北にある大きなゲートからは、大型車両がひっきりなしに出入しているようでした。いずみ緑道は、ところどころに現代的な公園スペースが設けられたり、彫刻が置かれたりしていまして、多くの住民の皆さんが散策を楽しんだり、スケートボードに興じていたりしていました。木陰のなかの道ですので、夏場でもけっこう快適なウォーキングを行うことができるのではないかと思いました。

そして、いずみ緑道は、西小泉駅前へと至ります。駅前の国道に架けられた歩道橋から、東方向に展開する商店街を見通しますと、これが「町」の商店街なのだろうか、と思わず目を疑ってしまうほどに整えられた商店街が目に飛び込んできます。西側に目を向けても、市街地が連続してつながっていることが分かります。そして、その市街地は境界を越えて太田市側へも連担していまして、太田市南部の商業集積地域である、高林地区へと至る、連続した市街地を形成しているわけです。なお、この市街化のラインは北側へも続いていまして、大泉町で「グリーンロード商店街」と呼ばれる、太田市東別所町へと至る県道周辺にも商業機能が連続的に集積していまして、太田市飯塚町から西矢島町へとつながる商業集積地をつくっています。

西小泉駅の駅舎は、単線の線の終着駅というわけで、簡素なつくりのものですが、駅前にはロータリーも設置されていまして、大泉町の玄関口的な雰囲気を一応はつくっているようです。とはいいながらも、この駅に発着するバス路線の本数は少なく、モータリゼーションが進んで、鉄道があくまで二次的な交通手段となっている、両毛地域の姿を象徴しているように感じました。実は、この大泉フィールドワークの後、フィールドワークをすべく、小泉線を利用して館林へ向かったのですが、これが私にとって生まれて初めての小泉線の乗車でした。

東武西小泉駅

東武西小泉駅
(大泉町西小泉四丁目、2004.1.10撮影)
西小泉駅前歩道橋より西側を望む

西小泉駅前歩道橋より西側を望む
(大泉町西小泉三/四丁目、2004.1.10撮影)
中心商店街の景観

中心商店街の景観
(大泉町西小泉四丁目、2004.1.10撮影)
ポルトガル語の見える看板

ポルトガル語の見える看板
(大泉町西小泉地内、2004.1.10撮影)

西小泉駅を後にして、国道354号線の両側に広がる中心市街地を歩いてみました。黒い色とモダンなデザインで統一されている街灯が規則正しく並び、歩道も広く、快適な商店街が形成されています。よく見ないと分からない場合も多いのですが、注意深く見ていますと、「日伯(日本とブラジル)」という文字をみつけたり、またポルトガル語の文字を看板に見つけたりします。そういえば、いずみ緑道の西小泉駅前の入口には、ポルトガル語でごみの不法投棄を禁止する旨が(おそらく)書かれた看板も見つけていました。しばしばクローズアップされることですが、大泉町は総人口に占める、外国人登録人口の比率が高いことで知られています。数年前までは、サンバカーニバルも盛大に行われていました。看板に見るポルトガル語の文字は、大泉町のこういった側面を端的に示しています。

住居表示が西小泉から中央にかわり、大泉郵便局前あたりまで来ますと、市街地の密度もやや低くなり、穏やかな住宅地へと変わっていきます。西小泉駅からこのあたりまでは、ロードサイド型の店舗が軒を連ねる地区ではなく、小泉町時代から引き継がれた、旧来型の商店街を基礎とした町並みになっています。きれいに整備された商店街の姿とは裏腹に、道を行く人が相対的に少なく見えたことは、中心市街地が各地で苦戦を強いられていることと無縁とはいえないのかもしれません。大泉町は町域が狭く、かつ巨大な工業団地の敷地が大きいせいか、まとまったロードサイド型あるいはショッピングモール型の店舗が集る地域があまりないようです。先に商業地域が西へ、北へ太田市側へと続いていると書きましたが、ロードサイド型店舗が卓越してくるのは太田市域に入ってからが中心となります。高い税収を誇り、豊かな経済力を持つこのまちにおいても、商業の空洞化はもしかしたら、深刻な問題になっているのかもしれません。将来、国道354号線のバイパスが町の北側を迂回するような形で建設される計画があります。このバイパス(東毛幹線道路と呼びます)は、既に板倉町から館林市を経て、邑楽町域の大部分までは完成していまして、西側は太田市の西新町・細谷町まで(西部工業団地の南を通過している)完成しています。この道路の完成によって、大泉町の商業の構図がどのように変化することとなるのでしょうか。両毛のスーパータウン、大泉町の今後に目が離せません。


#4ページへ

#6ページへ

このページのトップへもどる

りょうもうwalkerの目次のページへもどる   ホームページのトップへもどる

(C)YSK(Y.Takada)2004 Ryomo Region,JAPAN