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りょうもうWalker
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#15 多々良沼周辺の風景 ~白鳥が飛来する水辺の景観~ 2017年1月15日、足利市街地の散策を終えた私は、東武足利市駅より電車で館林駅へと移動し、館林市西部に位置する多々良沼方面へと出発しました。沼の周辺は「多々良沼公園」として整備されており、公園は西接する邑楽町にもまたがっています。正田醤油と日清製粉(日清フーズ)の工場が立地し、駅前ロータリーのみが広大なスペースを取る西口周辺は、今後交通拠点として再整備が進められる予定であるようです。国道122号まで続く大通りも、シンボルロードとして生まれ変わる途上であるようでした。
国道122号沿いを北へと進みます。跨線橋で小泉線の鉄路を越え、郊外型の店舗や飲食店が点在する道路沿いを歩いていきますと、やがて東側から伊勢崎線の鉄路が併走するようになります。東京と日光を結ぶ国道122号は、東北自動車道や東毛幹線道路(国道354号)が完成するまでは、広域的な移動に供される幹線道路としての性格を帯びていました。現在は両毛地域内におけるローカルな幹線道路として、引き続き重要な位置を占める存在です。住宅地と店舗などが比較的集積する都市郊外然とした風景の中をさらに前進していきますと、左側に松を中心とした木々に覆われた砂丘のような場所に到達します。多々良沼の南岸に沿って残る古砂丘の上に発達した松林で、その木立の中にはたくさんの彫刻が設置されていまして、「彫刻の小径」として整えられています。近隣には県立館林美術館も立地しています。北西側は多々良沼から流出する多々良川沿いの低地で、美しい水田風景が広がります。砂丘の南には市街地が迫っていまして、砂丘が市街地と自然公園とを分ける緩衝体としても機能しています。 冬の穏やかな木漏れ日がしなやかなシルエットをつくる小径を辿りますと、木々の間から冬の澄み切った青空が慎ましやかな色彩を見せていまして、木枯らし吹きすさぶ寒さを幾ばくか緩和させてくれます。砂丘のアカマツ林を抜けますと、アシ原が純真な枯れ色を呈する沼の端に取り付けられた遊歩道へと導かれました。この日は空っ風が強烈に引き抜ける冬晴れの気候で、沼の水面も風で小刻みに揺れていました。冬季は日光方面をはじめ、南の秩父方向の山並みを美しく見通すことができる沼の周辺ですが、寒気の吹き出しが強い影響でそれらの山々は雪雲によって隠されていました。条件がよければ、北西のスカイラインの上に富士山の頂を遠望することもできます。湖岸を時計回りに進み、両毛地域の中でも低湿地の多い、館林市及び邑楽郡東部の水郷の風景を進みました。
沼の西側の台地上には平地林が広がり、関東平野の縁辺部らしい瑞々しい風景に出会うことができます。湖に突き出した岬の突端には浮島弁財天が祀られています。こじんまりとした社の先の水面には、白鳥をはじめとした野鳥が、相変わらず強く吹き付ける季節風から逃れるようにして身を休めていました。多々良沼は有数のコハクチョウの飛来地としても知られています。白鳥が遊ぶ水面の先に展開する平地林が見える光景は、筆舌に尽くしがたいほどのたおやかさに溢れていました。多々良沼の西に広がる湿地帯を介して水を湛えるガバ沼に接して野鳥を観察できる施設がありますが、この日は強風の影響かその多くが浮島弁財天周辺に移動していたようでした。この後も多々良沼の周りの水辺景観を探勝しながら歩き、東武多々良駅へと至りこの日の活動を終えました。近傍には日向義民地蔵尊が祀られていまして、近世における農村史を伝えていました。 多々良沼は四季折々に清爽な風景に出会うことができる場所として、この一日も厳寒の凛とした佇まいを見せていました。 |
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